本『きいろいゾウ』 西加奈子|世界の手ざわり
1.感覚(五感)
読んでいて最初に私に届くのは、たぶん、五感の描写だと思う。
その感覚は、読み終わった後でも、思い出して挙げられる。好きな感覚なので、自分の言葉で書き出してみる。
感覚の言葉によって、「物語」は、リアルな感覚を伴った「世界」に変わる。
どうして、彼女はあんな小さな感覚を拾い上げられるのだろう。彼女の目を、主人公の目を通して見える世界は、あたたかさと優しさと、彩りに満ちている。
読み終えた後、手触りのような感覚がはっきりと残る。
2.繊細な感情の動き
五感に載せて描かれるのは、繊細な気持ちの動き。
それぞれの生きる時間の中にある大きなテーマは、私の中の気持ちに触れて、記憶を呼び起こす。
無防備に世界に対峙していた子どもの私を思い出す。
触れられないように、たくさんの鎧をかぶる前の私。
自分を見ないようになるずっとずっと前の私。
そして、生きる中でたくさん背負ってきた罪や後悔を思い浮かべる。
つらくて向き合わない私を思い起こす。
たぶん多くの人は、それらに落とし前はつけない。生活という理由のもとに、やりすごし、うやむやして、生きていく。
著者が誠実だと思うのは、これまで読んだどの本でも、彼女は気持ちの動きを見つめ、向き合おうとし続けている。自分を許し、認めてあげられるところまで、主人公の背中にそっと手を添えて、背中を押し続けてあげている。
彼女はなぜ、そこまでして、自分の中の真実と向き合い続けるのか。なぜ自分に向き合うことをやめないのか。
小さな気持ちの動きから、背負った大きな宿題まで、それぞれの中に思い当たることがある。だから、読みながら、時に泣きながら、思いが物語に載っていく。
強い思いが、読んだ後に残る。
歳を重ねるにつれ私の中に体験が降りつもるからなのか、気持ちが言葉に感応する。
3.うねり
そして、いつの間にか巻き込まれるのが、うねり。グルーヴと呼ばれるような感覚の中で、言葉の速度が上がっていく。
私は細かい描写を追えなくなり、かわりに大きなうねりに巻かれる。うねりに乗って流されていく。そこにあるのは、感覚だけ。
読み終えて、あの世界の中にいたという感覚が残る。
4.緻密さ
彼女の小説は、感覚に直接伝わる。でも、実は構成がかなり緻密に組まれているのだと思う。読み終えて丁寧に振り返ってみてわかった。
最近、ロックミュージックの紹介で、安易に使われる言葉「世界観」。私はあまり好きではない。歌で簡単に書かれたストーリーは、世界観というにはあまりにも浅いことも多いから。
でも、彼女の書くものは、世界観という言葉が合っている。直接に描かれるのは、彼女の世界観ではなく、登場人物の世界観。その世界観を描いているのが著者。描かれているのは、響き合う世界。
すみずみまで気持ちが行き届いているから、世界を描いている感じがする。
響き合う世界が、自分の中に残る。
あとがき
私には、小説の世界が終わってしまうのが惜しくて、最後まで読み終えないようにする癖がある。そして、一度読み終えたら、その本を開くことをほとんどしない。小説の時間は、現実の時間と同じように、戻すことはできないと感じるから。
でも、西加奈子の時は、本を閉じてもそこにまだ世界があると思える。
いつでも、続いているその時間の中に戻れる気がする。
その世界にいた感覚が、はっきりと自分の中に残っているから。感応できた確かな自分があるから。
そして、感応できるまでに自分の中に体験が降り積もるのにも、これまでずいぶんと時間がかかったのかもしれない。
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Ⓒ2022 青海 陽
書籍:きいろいゾウ 西加奈子 小学館 2006