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本『きいろいゾウ』 西加奈子|世界の手ざわり

2006年に出版された本で、著者の3作目だという。
私にとっては、彼女の本は、エッセイ『まにまに』、小説『i』、『サラバ!』に続く4冊目だった。その4冊の間に何十冊かの小説を読んだけれど、彼女の本を読んだ後に残るあたたかい読後感は、特別なものだった。その理由を考えてみようと思った。

*ご注意*
ストーリーを明かさないために、描写の前後にあるつながりや、大切なキーになる言葉は外しました。それでもニュアンスは垣間見えてしまうかもしれません。『きいろいゾウ』を初見で堪能するためには、この記事を読まないことをお勧めします。

1.感覚(五感)

読んでいて最初に私に届くのは、たぶん、五感の描写だと思う。

その感覚は、読み終わった後でも、思い出して挙げられる。好きな感覚なので、自分の言葉で書き出してみる。

自然の中にいるときのざわめき。そう、命の存在感や気配みたいな何か。
都会の夜、空気に低く響き続けている人工的な音。私は嫌いじゃないけど。
夜の空気感。夜の空気の重さや圧みたいなもの。
朝の空気感。新しい若い息。
一条の光。光に映えて舞うほこりみたいなつぶつぶ。
寝息。となりにいる人のあたたかさと夜の匂い。
はじける光。まぶしく包む光。
コーヒーの匂い。匂いの中にいた時の気持ち。
動物の匂いや髪の匂い。きもちの中の何かがざわざわする懐かしい匂い。
木の温度。そこにあり続ける沈黙の命。
インクの色。大好きなブルーブラックと水ににじんだ色。
お湯。体を包むやさしさ。指先が溶ける感覚。
クレヨンの色。それぞれの色の個性と温度。
綿毛のふわふわ。
トマトと塩とチーズの味。舌の上のとがった感じ。

感覚の言葉によって、「物語」は、リアルな感覚を伴った「世界」に変わる。

どうして、彼女はあんな小さな感覚を拾い上げられるのだろう。彼女の目を、主人公の目を通して見える世界は、あたたかさと優しさと、彩りに満ちている。 

読み終えた後、手触りのような感覚がはっきりと残る。

2.繊細な感情の動き

五感に載せて描かれるのは、繊細な気持ちの動き。

それぞれの生きる時間の中にある大きなテーマは、私の中の気持ちに触れて、記憶を呼び起こす。

無防備に世界に対峙していた子どもの私を思い出す。
触れられないように、たくさんの鎧をかぶる前の私。
自分を見ないようになるずっとずっと前の私。

そして、生きる中でたくさん背負ってきた罪や後悔を思い浮かべる。
つらくて向き合わない私を思い起こす。
たぶん多くの人は、それらに落とし前はつけない。生活という理由のもとに、やりすごし、うやむやして、生きていく。

著者が誠実だと思うのは、これまで読んだどの本でも、彼女は気持ちの動きを見つめ、向き合おうとし続けている。自分を許し、認めてあげられるところまで、主人公の背中にそっと手を添えて、背中を押し続けてあげている。

彼女はなぜ、そこまでして、自分の中の真実と向き合い続けるのか。なぜ自分に向き合うことをやめないのか。

小さな気持ちの動きから、背負った大きな宿題まで、それぞれの中に思い当たることがある。だから、読みながら、時に泣きながら、思いが物語に載っていく。

強い思いが、読んだ後に残る。

歳を重ねるにつれ私の中に体験が降りつもるからなのか、気持ちが言葉に感応する。

3.うねり

そして、いつの間にか巻き込まれるのが、うねり。グルーヴと呼ばれるような感覚の中で、言葉の速度が上がっていく。

私は細かい描写を追えなくなり、かわりに大きなうねりに巻かれる。うねりに乗って流されていく。そこにあるのは、感覚だけ。

読み終えて、あの世界の中にいたという感覚が残る。


4.緻密さ

彼女の小説は、感覚に直接伝わる。でも、実は構成がかなり緻密に組まれているのだと思う。読み終えて丁寧に振り返ってみてわかった。

最近、ロックミュージックの紹介で、安易に使われる言葉「世界観」。私はあまり好きではない。歌で簡単に書かれたストーリーは、世界観というにはあまりにも浅いことも多いから。

でも、彼女の書くものは、世界観という言葉が合っている。直接に描かれるのは、彼女の世界観ではなく、登場人物の世界観。その世界観を描いているのが著者。描かれているのは、響き合う世界。

すみずみまで気持ちが行き届いているから、世界を描いている感じがする。

響き合う世界が、自分の中に残る。

あとがき

私には、小説の世界が終わってしまうのが惜しくて、最後まで読み終えないようにする癖がある。そして、一度読み終えたら、その本を開くことをほとんどしない。小説の時間は、現実の時間と同じように、戻すことはできないと感じるから。

でも、西加奈子の時は、本を閉じてもそこにまだ世界があると思える。
いつでも、続いているその時間の中に戻れる気がする。

その世界にいた感覚が、はっきりと自分の中に残っているから。感応できた確かな自分があるから。

そして、感応できるまでに自分の中に体験が降り積もるのにも、これまでずいぶんと時間がかかったのかもしれない。


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Ⓒ2022 青海 陽
書籍:きいろいゾウ 西加奈子 小学館 2006

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青海 陽
読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀

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