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私の日記を、リカバリーの物語として読む⑪ 入院初期を振り返ってみる(まとめ)

この連載のテーマは「私の入院中の日記をリカバリーの物語として読んでみる」です。書いてみると思いのほか材料が多く、入院9日目までで、既に10回になりました。自分で改めて日記を読み返してみますと、入院前から入院初期には、大きなうねりに巻き込まれたような出来事が続いていました。人生にそうそうない出来事、あってほしくない出来事がいくつも起きています。

連載は、ここまでで約50,000字、原稿用紙120枚くらいです。それで、一度振り返ってまとめてみた方が良いのではないか、そう思った次第です。細部が多くて、全体の筋が見えにくくなっているのです。
ということで、今回は中間の「振り返り(まとめ)」です。


■ 連載 第一回「リカバリーとは?」■

私は難病で、完治はありません。病気を内に持ったまま生きていきます。未だに症状は残っていますし、今後の悪化も十分に予想されます。
でも、体は治っていないのだけれど、気持ちはずっと沈んだままではありません。気持ちが暗く重い時もよくあります。でも、前向きになっていたり、時には、病気前よりも良いかも、という気持ちの持ちようになることもあります。
この気持ちの動きが、以前に本の中で見た言葉「リカバリー」なのかもしれないと思うようになりました。そこで、改めて本を読み、「リカバリー」との考え方を吟味しました。
その上で、当事者の語る物語性を、心理学のナラティブ・モデルをベースに分析している、社会学者の伊藤智樹先生が用いた概念のイメージで、私の入院中の日記を読み解いてみることにしました。

この第一回では、下記の図を作成して、伊藤先生の概念を整理してみました。そして、私の日記を、以下のような手順で行きつ戻りつしながら、読み解いてみることにしました。

ア.私の病前のキャラクター
イ.出来事⇒筋へ(見出される意味のある秩序)
ウ.モチーフ⇒主題へ(多分全体を書き終わる頃)
エ.声(筋にのらない)、体(言葉に依らずとも語る体)を拾い上げる



■ 連載 第二回 「まずは『私』というキャラクター」■

第二回では、第一回で確かめた手順に沿って、まずは病前の私のキャラクターを挙げてみました。私のキャラクターを分解してみると、だいたい下記のような部品で構成されました。

この内(5)では、「人見知り」と「認めて欲しい気持ち」が共存しているのが興味深いです。私は人と関わりたくない、という訳ではないようです。傷つくのが怖いのでしょうか。「私を見て欲しい」という気持ちが強いことがわかります。

(1)性質…人見知り、努力、承認欲求、いいかげん
(2)好きなこと…読む、書く、写真、構成的な創作
(3)好きな物…文具、手帳、絵本、金属、ラジオ
(4)大切なこと…自分の世界、本当のこと
(5)人…緊張する、認めてほしい
(6)信条…あまりない、弱い人の力になりたい
     (自分がそうだから)

当時、私は病状への対処に精一杯でした。「闘病なんか、誰がやっても大差ない」と思っていました。でも、書きながら気づきました。病気への対処の仕方には、私の特徴が出るのだなあと。
例えば次のようなことです。

①努力
病院内で治療が受け身である中で、「努力で何とかする」という今までの私のやり方を、リハビリの中に無意識に見出せたのでした。
②承認欲求
これも当時は無意識でしたが、私を見てほしい、私の辛さを受け止めて欲しいという、心の内からの強い希求がありました。
誰かに向けて書く行為は、私を実況中継するように見てもらう「私」劇場だったのかもしれません。
誰にも辛さを言えない状況の中で、必死にその方法を手探りしていた姿が透けて見えます。

🔷考えたこと・気づいたこと🔷

🔴病前のキャラクターが闘病にも表れるようです。
🔴逆に自分のキャラクターを、治療や闘病生活の中で、意識的に活かすのも方法なのかもしれません。得意なパターンに持ち込むように。
🔴「難病者は難病である以前に人だ」と気づきました。





■ 連載 第三回「発症直前」■

第三回目では、発症直前の仕事での異常なストレス状態を書きました。
この記事では、今まで言葉にしなかったことを、できるところまで掘り下げてみました。この作業がとても辛かったのを憶えています。
その辛さは、当時の光景や感覚を思い出し反芻するからです。おそらく、自分の心を守るために、辛かった時期のことは無意識に封印しているのだと思います。その封印を自分で解く作業を、自らすることになりました。

この記事に限らず、書くことは、ある程度の深さでやめることができます。自分にも他人にも、それらしく見えるように書くことはできます。でも、私は、前に進むためには、本当は何があったのかを知りたかった、空白の時間を埋めたかったのです。それで、より深く掘り下げることを選びました。その結果、かなり細かく当時の職場状況と、私の心情を書くことになりました。

掘り下げてみて改めて気づいたのは、次のようなことでした。

(1)理不尽な異動と我慢
努力で獲得した前職での成果を所属団体に理解されず、理不尽な異動を命じられたことが気持ちの根底にあったことに気づきました。私の評価はむしろ外部での方が高かったのです。
(2)悪化した職場の立て直しと我慢
前職の成果をあきらめ、酷い条件の職場の立て直しのために着任しました。その場所には呆れるような低レベルの雰囲気と議論がありました。私が大切なものを捨てて得るものはこれなのか、とがっかりしました。その後、襲い掛かるように様々な事が起こりました。それでも、私は初めての管理者として、何とか対処しようと奮闘していました。体調を崩しつつある中でも、希望を前向きに掲げていました。

🔷考えたこと・気づいたこと🔷

🔴発症時期の極度のストレス状態の根底にあったのは、「評価されないこと」と、キャリアの中で「大きなものを失った感覚」だったようです。このように、私には許容し難い一定の条件があるようです。
🔴この頃にも、私の考え方や行動の癖、「あきらめ」「我慢」が出ているように思います。その感情を自分の中に押し込めて「抑圧」した時に、体が壊れたのかもしれません。
🔴自分の価値観から大きく逸脱する状況では、想像以上に大きなストレスがかかるのかもしれません。
🔴さらに極限まで自分を追い詰めた原因として、私の管理者としての役割意識がありました。私には、「〇〇の立場の人は、〇〇としてふるまうべき」考える癖があるのだと思います。
🔴自分を追い詰めるパターンが自覚できれば、これからは早めに回避行動を取れるかもしれません。


またこの回で、自作の「リカバリーの全体イメージの図」を示し、最初の谷の説明をしています。
この先も、長期的にはこの図に沿ってお話ししていく予定でいます。

私のリカバリーの全体像(図)



■ 連載 第四回「発症」■

この回では、体に起きた変調の様子を詳しく書きました。数カ月間、いくつかの病院の通院検査を経ても病名は明らかにならず、体はどんどん蝕まれていきました。

そんな中で私がしたことは、次のようなことでした。

(1)初めて自分の体に耳をすました
(2)書いて精神の自由を確保しようとした
(3)私の命の終わりと、残された時間を意識するようになった
(4)「助けて」と、信頼できる人にSOSを発信した

我慢を幾重にも重ねてきた中で体が壊れました。最後は自らの体を「仕方がない」といってあきらめなければならないのか、と無念さを書いています。

弱音を吐かない私も、本当に辛くて、手だてがみつからなかったのでしょう。滅多にないことですが、「助けて」と人に伝えています。これができないのが今までの私でした。これができた時に、差しのべてもらえた手の優しさに泣きました。

🔷考えたこと・気づいたこと🔷

🔴不得手な「弱音を吐くこと」「人に助けを求めること」が少しだけできた瞬間でした。
🔴今後同じような状況に陥った時に、「辛い」と言えることが、大切な手立ての一つになるのかもしれません。



■ 連載 第五回「どん底の頃の日記」■

第四回の状況を示す具体的なエピソードを、実際の日記から抜粋しました。




■ 連載 第六回「入院が決まった日」■

手立てを失っている中で、知人から紹介された医師による古い病院での診察を、エピソードとして詳しく描きました。
のちに、これが私が救われた出会いだったことに気づきます。

🔷考えたこと・気づいたこと🔷

🔴一日の出来事でしたが、実はこれが最初の転換点なのかもしれません。私の治療が、前に転がり始めた瞬間でした。
🔴この医師を紹介してくれたのは、かつて私が仕事の中で丁寧な関係を築いた知人でした。
🔴人との出会いが、動き始めるきっかけになることがあるのかもしれません。
🔴急な入院の中「持ち物をどうするか」その選択に私らしさが出ていました。何を大切にしているのかが、こんな究極の状況の中で見えるのでしょう。



■ 連載 第七回「入院初期 風・自由の感覚」■

第七回からが、入院の話です。

私はモチーフとして次のことを挙げています
(1)風、窓
(2)幽閉感
(3)自分の世界、気持ちの自由
(4)書く


私にとって一番苦手なのは閉じ込められている感覚でした。私は「窓」を見つけることや、書くことで、気持ちの自由を確保しようとしていました。
入院前から、私は書くことで状況を見極めたり、方法を探ったり、ストレスを発散したりを無意識にしていました。

🔷考えたこと・気づいたこと🔷

🔴入院して数日間、私の目は、私の内側だけを見ていました。
🔴自分の置かれた状況を書いて病院外の親しい人に送ることで、前述の第二日目にあるように、「私」劇場を作り出したのかもしれません。
🔴「幽閉感をどう排除するか」が、今後の同じような状況の中での大切なテーマなのかもしれません。


■ 連載 第八回「いい子の患者さん」■

入院初期にも、「患者は人としてこうあるべき」「人に甘えてはいけない」「弱音を吐かない」という私の考え方の癖が出ていると思います。
病名がつかず治療が始まらない中で、体が蝕まれていくことの不安は強かったはずです。それを誰かに伝えて楽になりたくて、看護師に話し、看護師の戸惑う様子に、表現するのをやめています。

🔷考えたこと・気づいたこと🔷

🔴この気持ちのやり場、別の言い方をするなら「辛さを口にする」「頑張りを見ていてもらう」が、この後の入院中、退院後の大切なテーマになる予感がします。





■ 連載 第九回「心の内から外へ」■

中庭のベンチでの他の患者との関わりが始まりました。
数日を経てやっと、私の目が、同室の患者や中庭ベンチの入院患者に向くようになりました。

🔷考えたこと・気づいたこと🔷

🔴私の目が自分の内から外へ向き始めました。これが後に、病院内から病院外への視野の変化につながっていくのだと思います。
🔴患者同士の関係、つながりには、他では得られない何かがあることに気づき始めています。



■ 連載 第十回「リハビリ」■ 

院内のリハビリ室でのリハを許可されました。
このリハビリが、この後の私の気持ちの持ちようを大きく変えていく転換点になりました。この出来事の意味には、私は以前から気づいていました。
しかし今回書いてみて分かったのは、医療(治療)への諦めからリハビリを申し出たことでした。
また、私の中に入院四日目という相当初期に「このままじゃまずい」という危機感が生まれていたのでした。

🔷考えたこと・気づいたこと🔷

🔴リハビリでは、私のこれまでのやり方「努力」がたまたま活かせました。
🔴リハビリで自分の体を感じる方法を知った瞬間に、自分の体を取り戻した感覚があったのだと思います。
🔴患者には、このような転換点となる出来事があるのではないでしょうか。
🔴治癒の状況とは別の気持ちの動きがあり、これがリカバリーなのかもしれません。




■あとがき■
入院前の状況から、入院9日目の大きな転換点となったリハビリに出会うところまでを、入院初期として区切りました。

日記から改めて見出したモチーフには、私の特徴が出ていることに初めて気づきます。これを更に読み込む時、私らしい物語が展開していることに気づきます。

今回、過去をなぞることで、私が私を大切に思い、いたわることができればいいなと思います。
私はいつも自分なりに精一杯やっている。自分を認めてあげたい、許してあげたいと思います。


それと、この激しい体験を次に活かしたいと思うのです。これを「🔷考えたこと・気づいたこと🔷」として、「🔴マーク」で箇条書きにしてみました。
これからも活かせる私の特徴があるのであれば、それを私の「強み」として意識したいと思います。また、もし私が窮地に陥るパターンがあるのなら、自覚して早めに回避したいと思います。ここから、自分なりの対処のノウハウを見出せたらいいな、と思うのです。
そしてもし叶うならば、私の記録を読んだ方がぞれぞれがお持ちの「強み」を見つけて、窮地を乗り越える力にして頂ければと思います。

今回も、長い文章を最後まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
思うこと、気になることなどがありましたら、ぜひコメントにお書きください。これをきっかけにやりとりができたら、もっと嬉しいです。


文・写真:©青海 陽2023

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青海 陽
読んでいただき、ありがとうございます!☺ かつての私のように途方に暮れている難病や心筋梗塞の人の道しるべになればと、書き始めました。 始めたら、闘病記のほかにも書きたいことがたくさん生まれてきました。 「マガジン」から入ると、テーマ別に読めます(ぜんぶ無料です)🍀