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最低限のラインについて考える
私は日々妥協ばかりの生活だけど、同じように妥協した結果ですら私よりはるかにハイレベルな人は確かにいてそういう人たちを尊敬している、そしてそのラインってどうやって決まるんだろうと考えた最近。
電車に乗れるレベルの身支度
行先にもよるけど、私が電車に乗れる最低限の身支度は、化粧とコンタクトと毛先ワンカール。
対して、ソウルの地下鉄ですれ違う女性は日本人観光客以外みんな髪ぼさぼさのすっぴんが多くて衝撃だった。
確かに海外ってラフな恰好の方多くて美の基準は違うんだろうなとは思っていたけど、韓国は日本と近いのでは?という先入観と、美容大国キラキラK-popアイドルのイメージしかなかったから余計にびっくりした。
ここまでするのが当たり前だと思っていたけど、そんなことないんだ、これが許されるんだ・・という衝撃。
衝撃とともにすごく楽そうに見えてうらやましいとも感じた。
村八分を恐れる日本人的な感性と、意識が高い人が多い環境の2つがそろって私の当たり前は作られていたと知り、自分の最低限が高いことには中々気づかないんだなと思った2024年。
最低限が高いほうがいいこと
仕事においては最低限が高い人=優秀がある程度成り立つんじゃないかとは思っている。
コミュニケーションしかり成果物しかり、
会議の前日までに資料のフィードバックもらうとか、メールは即日返信とか、資料に関してもフォントや色、フォーマット、、何においても最低限が高いほうがいい。
新卒時代は基準が大学生すぎたせいで基礎的な指摘をたくさんもらって過ごした。今思うとポンコツすぎる常識で生きてたなと当時の上司に頭が上がらない。
上司の指摘受けているうちに気づいたら当たり前のことになっていた。
感謝。こういうのって、一つ一つは大したことないように見えるのに重なると大きい。
でもいまだに
仕事に来ただけで100点と思っている甘ったれた社会人だし、何なら人付き合いにおいての最低ラインは全然成長していない。
まだまだ全然むかついた人からの依頼受けたくない。期限が切れる前には対応するけど。
表面にそこまで出ない部分だし(出てないと信じたい)それを直接言ったりさらけ出さない社会性はぎりぎり身に着けている、
だからこそ、誰かから指摘を受けることもなくて、私の最低限は上がってない気がする。
それくらい自分でやりなよ、上司でもないのに私に依頼しないでよ、依頼するならせかさないでよ、って最近そんな出来事多いけど、でもこういうのを口に出しちゃうと余計めんどくさいしなー。
今の私の最低限は、「はい」だけで了承すること。
これはやっぱり低いのかしら。
口に出して確認しないことの基準ってまだまだ全然わからない。