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[赤毛のアン] 好きなフレーズの記録と真珠の婚約指輪について

最近の振り返りを書いた一個前の記事で、「赤毛のアン」についてあまりに長く語りすぎてしまったから別出ししておこうと思った自分のための記録。

言い得て妙なセリフの宝庫

ジェイン・オースティンとモンゴメリに限定されるけど10冊?通勤と昼休みも読みふけっていた2週間。
読むだけだと自分の中で薄れて消費するだけだから感想を書こう。と思いつつ面白すぎて続編に手を伸ばしてしまう。

でも好きなフレーズの宝庫すぎて、メモしているものだけでも載せておく。

▼アンからマリラおばさんへのセリフ

あのね、マリラ、何かを楽しみにして待つということが、そのうれしいことの半分にあたるのよ

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ1― 第十三章
ルーシー・モード・モンゴメリ/著 、村岡花子/訳  新潮文庫

旅行の計画を立てるとか、調べるとか、心待ちにする時間も本当に楽しいよね!また、こういうことを言ったりしない堅実でまじめなマリラに対してアンが真剣に訴えるのもいい。。

▼一番すきなセリフ

おばさんの忠告は胡椒とおなじだと思うわ。ちょっぴりだと、すばらしくいいんだけれど、おばさんはヒリヒリするぐらいどっさり、あてがうんだもの。

アンの青春―赤毛のアン・シリーズ2― 第四章
ルーシー・モード・モンゴメリ/著 、村岡花子/訳  新潮文庫

なんともこういうことある~っていう!
内容もだけど、「ちょっぴり」とか「どっさり」とか言葉も好き。使いたい!(翻訳の村岡花子さんのセンスも良すぎる!!)

▼進路の岐路に立って未来の見通しが持てないときのアンの言葉

いま曲がり角にきたのよ。曲がり角をまがったさきになにがあるのかは、わからないの。でも、きっといちばんよいものにちがいないと思うの。それにはまた、それのすてきによいところがあると思うわ。その道がどんなふうにのびているかわからないけれど、どんな光と影があるのか―どんんな景色がひろがっているのか―どんな新しい美しさや曲がり角や、丘や谷が、そのさきにあるのか、それはわからないの

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ1― 第三十八章
ルーシー・モード・モンゴメリ/著 、村岡花子/訳  新潮文庫

私も、進路の岐路に立って先行きが想像つかないとき、「曲がり角」ってフレーズ使いたい。これが通じるように友達に赤毛のアン布教しないと。

真珠の婚約指輪

あと、アンの婚約指輪が真珠がぐるっと回った指輪なのも好き!

1巻ではマリラの紫水晶のブローチのくだりで、これこそ想像していたダイヤモンド!本物を以前見たときはがっかりしちゃったわってセリフが少女時代にあって、
2巻には、幸福は真珠が連なったようなものなのじゃないかしら、という描写がある青春時代を送る。

▼幸福について語るアン

一番、幸福な日というのは、すばらしいことや、驚くようなこと、胸の湧きたつようなでぎごとかおこる日ではなくて、真珠が一つずつ、そっと糸からすべりおちるように、単純な、小さな喜びを次々にもってくる一日一日のことだと思うわ

アンの青春―赤毛のアン・シリーズ2― 第十九章
ルーシー・モード・モンゴメリ/著 、村岡花子/訳  新潮文庫

4巻になって、ギルバートとの婚約指輪が真珠がぐるっとまわったものってさらっと記載されている流れになるのが、まさに刈り込みをしたり、枝をひろげたりはしたけど同じ幹を持っているアン!って感じがする!(語りすぎ)

(あとそのあとちゃんと「本当にダイヤモンドじゃなくていいのかい?」って確認のシーン差し込まれていた。短編集かな?かわいい。)

▼成長を寂しがるマリラに、語るアン

あたしはちっとも変わってないわ―ほんとに、いつもおなじアンよ。ただ刈り込みをしたり、枝をひろげたりしただけなの。ほんとうのあたしは―そのうしろにいて―おなじなのよ。心はいつまでもマリラの小さなアンなのよ。

赤毛のアン―赤毛のアン・シリーズ1― 第三十四章
ルーシー・モード・モンゴメリ/著 、村岡花子/訳  新潮文庫

赤毛のアン、若草物語、高慢と偏見、秘密の花園、あしながおじさん、、のような本、すきだなあ。としみじみ思った最近。

アンシリーズは「アンの娘リラ」まで読み終わり、(中学生の時読破しているけどほぼ忘れていて新鮮な気持ちで読めて幸せだった!)
残るは「アンの想い出の日々」しかないから、同じような本ないか探してみようと思います。

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