エッセイ | 40歳差の私たち。文通30周年メモリアルイヤーはエメラルドグリーンの輝き。
祝日の朝早く、ゆうパックが届いた。
私にゆうパックを送ってくれる相手で思い当たるのは一人しかいない。おじさんだ。
おじさんというのは、私の長年の文通相手のことで、昭和19年(1944年)生まれの八十歳である。
おじさんとは、私が一歳の頃に出会った。
おじさんは当時私が住んでいた家の、真向かいにある古いアパートの一階に夫婦で住んでいた。
その頃から、家の前で会えば挨拶を交わし、たまにお土産や、おじさん手作りの料理をおすそ分けいただくという交流があった(ちなみに、おじさんは調理師免許を有しており、機内食のチーフを努めた経験がある。機内食コンクールで金賞をとった話は毎度手紙に添えられた別紙にて、今でも自慢してくる)。
子供の頃の私は、どちらかと言えばおじさんではなく、おばさん(おじさんの妻)と会話をした。
おばさんはベリーショートのヘアスタイルで、夏であればショートパンツにTシャツ姿、首に白いタオルをかけて銭湯から戻ってくるところをよく見かけた。
おばさんは、後におじさんが私に何度も自慢するように、とても足が長く(私はおじさんからおばさんの股下の長さを聞かされている)、スタイルの良い女性だった。
おじさんはというと、夏場はハーフパンツに白のタンクトップ姿だった。私たち家族は、父の実家の二階に住んでいたので、夏場ドアを開け放しているおじさんが、家で寝転がりながらテレビを見ている様子を度々目にしていた。
おじさんは優しく、私たち姉妹のことを気にかけてくれても、寡黙な印象が強くそんなに話をするタイプではなかった。
・・
1994年夏。私が10歳のとき、父の海外転勤が決まり引っ越すことになった。
おじさん夫婦とは血縁関係にあるわけでもなく、家を行き来するような濃い付き合いでもなかったから、普通ならここでお別れになるのだった。
引っ越し当日の朝、私が布団で寝ていると、母とおじさんが話している声が聞こえた。
かなり朝早かったので、おじさんは仕事に行く前に最後の挨拶に来てくれたのだろう。寝ている私たちを起こさなくていいと何度も母に言いながら、明るく別れを告げるおじさんの声を、私は布団の中で聞いた。当時私は〝超〟がつくほど恥ずかしがり屋で、そのときもおじさんの前に出ていけなかった。
おじさんは母に、餞別だと言って私たち姉妹にお小遣いを渡してくれていた。
海外での生活が始まると、私は日本にいる友だちに宛ててたくさん手紙を書いた。現地の小学校に転入し言葉を理解できず、学校ではほとんど話すことがなかった。そんな中で夢中になったのが『文通』だった。
私は主に、幼なじみ、祖父母や親戚、小学校の同級生に宛てて手紙を書いた。手紙を送って、相手から返事を書いてもらったとしても、それを受け取るまでに何週間もかかった。
はじめのうちは海外の生活に興味を持ってくれて、ある程度文通が続いた友達もいたけれど、いつしか間隔があき、手紙は途絶えた。その中で唯一、私が日本に帰国するまで絶えず手紙を送り続けてくれたのがおじさんだった。
そんなわけで、私とおじさんの文通が始まり、途絶えることなく今年で三十年になる。
それに加え、今年はおじさんが八十歳、私は四十歳になる節目の年だ。
おじさんはこの節目にかなり重きをおいていて、一年以上前からなにやら匂わせてきていた。
おじさんと私は、多いときで月に何通も手紙を送りあう。
おじさんとの手紙のやり取りがここまで頻繁になったのは、数年前におばさんが逝去されたことがきっかけだった。
おじさんを元気づけたい私と、自分語りを誰かに聞いてほしいおじさんは、互いに夢中で手紙を送りあった。それからはずっと、頻繁に手紙のやり取りを続けていたのに、この二ヶ月半は途絶えていた。大切な節目の、もっとも盛り上がるときになって、なぜかおじさんは突如沈黙したのだ。
実をいえば、私はこのことを二ヶ月半の間ずっと気にしていたのだけど、下手に動いて節目イベントの幹事を任されても困ると思い、とにかくおじさんからの手紙をただ待っていた。とはいえ、おじさんは齢八十で一人暮らしをしている。便りがないことで、おじさんの安否も気になり始めていた。
それでも、「順番でいえば次はおじさんのターンなのだから」と、結局私からは手紙を送らずこの期間を過ごした。
そして今日、ついにおじさんから荷物が届いた。
このありがたい贈り物には、当然手紙も添えられていた。
手紙を読んでわかったことは、やはりおじさんは、着々となにかに向けて準備をしているということだ。
手紙の最後には、〝もうすぐ四十歳になる貴女へ贈る〟とされた交響詩が添えられていた。
今朝届いたゆうパックは交響詩第1楽章だったのだ。
そう言えば、以前からおじさんは、この節目には私にエメラルドを贈りたいと申し出てくれていて、見事にそれを匂わす交響詩となっている。
「ご期待してお待ちください」とあるように、第2楽章以降にもちろん期待はするけど、なにが始まるのか予想がつかなすぎて、正直こわい。
さらに、おじさんはこんなメッセージを私に残した。
唐突に感受性を試されている。
和菓子と、ハンカチ二枚と、エメラルドグリーンの輝きという交響詩から感じたことを手紙に綴りなさいと言っている。
大切な節目は互いに祝うだけでは済まされない。ここにおじさんと私の三十年が試されている。妙なプレッシャーを感じるけど、これはおじさんと私だから成立する遊びなのだ。数日中には何かしらを綴っておじさんに手紙を出そうと思う。
それから、おじさんは交響詩の序文に、とても素敵な言葉を私に贈ってくださった。心からの言葉の贈り物は、どんなものよりも嬉しい。
おじさんとのこんなやり取りが、できるだけ永くつづくよう、願っている。