創作大賞2024 | ソウアイの星⑦
(八)
通話中にも関わらず、すっかり思い出に浸ってしまったわたしの沈黙が長かったから、ルナが気を遣って話を繋いだ。
「健くんとか、他のメンバーは大丈夫?」
華は、うん、と元気な声で返事をした。
「楽器メンバーはね、それぞれ他のバンドのサポートやったりして、なんだかんだ忙しくしてる」
だから、朔也くんにはあまり思い詰めないでほしいんだけどね、と華は言った。
「ごめんね、もう昼休み終わっちゃう。またなにかあったら連絡する、かな。うん。流香ちゃんだもん。連絡するよ」
ごめんね、と華は言った。わたしは、華が何に対して謝っているのかわかっていた。
健の恋人である華は、一般客に混ざって彼らを純粋に応援するわけにいかない立場になったのだ。一緒にライブに行けなくなったし、メンバーの個人的な情報も簡単には口に出来ないから、わたしとの付き合いも自然と少なくなった。このことは、CALETTeを心から応援するファンとしては当然理解できることだった。
「華ちゃん」
わたしは、華にどうしても確認しておきたかった。
「もし。もし、もう一度朔也くんから連絡があったら、わたしは心のままに動いてもいい?」
華は数秒黙ったけれど、その後すぐに何度も、うん、と言った。
「不調が出始めてから、わたしはいつも思ってた。朔也くん、流香ちゃんに会いたいだろうなって」
よろしくね、と言って華は通話を終えた。
(九)
中止になったライブの翌日、CALETTeのホームページには活動休止の報告が載った。そこには朔也の声帯の手術のこと、前日のライブのチケットの払い戻しに関することなどの情報があった。だけど、何度その文面を読んでも、朔也の気持ちを知ることは出来なかった。相変わらずわたしと朔也のメッセージ画面は、わたしが送信したもので終わっていたし、電話が鳴ることもなかった。
そうして、クリスマスに浮かれることもなく年の瀬を迎えた。
あと数日で一年が終わろうという頃、仕事終わりにやることもなく、吉祥寺の街をあてもなく歩き回った。普段よりもカップルや家族連れを多く目にする。あちこちにクリスマスの名残があって、イルミネーションの煌めきが相変わらず夜の街を彩っていた。
ふと、歩きながら朔也を想った。年が明ければ声帯の手術に臨むという朔也の心境を思うと、わたしだけが明るい気持ちで新年を迎えることは難しい気がした。
わたしと朔也は、確かに親しい関係だった。
ファンと、ステージに立つアーティスト。その境を有耶無耶にするのは良くないと、適切な距離を取ることを宣言したのはわたしの方だった。その時の朔也の乾いた「そっか」という言葉は、何か意味を含んでいたようにも思うし、ただ事実を受け入れた無感情なものだったかもしれない。わたしたちは、友達以上の関係になることなく、ファンとアーティストの関係を守った。
朔也はどうして今になってわたしに連絡をしたのだろう。いくら考えても、答えはどこにもなかった。もしかしたらわたし以外にも同じようなメッセージを送って、すでに感情をうまく処理出来たのかもしれない。何しろあの日は、朔也からのメッセージに気づくまでに時間がかかりすぎた。もしかしたら朔也は、すぐに反応しなかったわたしに腹を立てているのではないだろうか。
わたしは答えのでない物思いに耽ふけり、いつまでも街をふらついた。閉店間際のPARCOの明るい店内を目的もなく歩き回って、その後は吉祥寺の駅前のイルミネーションを、体が冷え切るまでただ眺めていた。考えることがあったり不安に思うことがあると全くお腹は空かない。そんな数日を過ごしていたから、二キロも体重が落ちた。
『ねえ、心配だしモヤるのもわかるんだけど、あんまり気にしすぎて自分が体調崩すのは良くないと思うよ?』
ルナは最近静かにしている時間が多かったが、そろそろ話し始める頃だろうな、と思っていた。
「お腹空いたでしょ、ルナ。ごめんね、ちゃんと食べてなくて」
わたしは本当にルナに申し訳なく思っていた。
『じゃあさ、今からいせや行かない? 好きな本数だけ食べたらいいじゃん。やきとり。一本でも二本でも』
ルナはやきとりが好きだった。そういえば、朔也も好きだったな、と思い出した。
「食べられるか自信ないけど、とりあえずいってみようか」
ルナは、やった、と言って喜んだ。
わたしはいせや総本店に向かって歩いた。バス通りの車の流れを見ながら、道路の反対側からいせやを眺めて、やっぱり食欲が沸かないことを認めざるを得なかった。
「ごめん、ルナ。いせやは無理だ。でも、家に着くまでにお腹空かせたいから、公園歩いてみる」
わたしはバス通りから井の頭公園に続く坂道を下って行った。薄暗い公園の中は、犬を連れて散歩する人や、寄り添うカップルの姿がちらほらあった。
わたしが無意識に向かっていたのは、花見の時期に穴場となる絶景スポットだった。以前、いつもの四人で花見をした時に見つけた場所だった。そこにはベンチはあるが桜の木はない。だから人はあまり寄り付かないが、そこからの眺めは公園全体を見渡すことが出来て、絵画のような桜の風景を観ることが出来るのだ。わたしたち四人のお気に入りスポットだった。
夜の池を眺めながら歩いた。一人で来るには寂しい場所だと気づいたけど、今は孤独を味わいたい気分だった。
そこに先客がいると気づいたのはかなり距離を縮めてからだった。黒いジャンパーを着て立っていたその人は、夜の闇にすっかり溶け込んでいた。だけど気付けなかった理由はそれだけではなかった。近づいても存在がわからないほど、その人は精気を失っていたのだ。その人の横顔には、わたしの愛する三つのほくろがあった。わたしは振り返ったその人と目が合うと、涙を抑えることができなかった。
咄嗟に声もかけず、彼を抱きしめた。朔也は大人しくわたしに抱かれて立ち尽くしていた。