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エッセイ | わたしの青い世界

ショッキングな内容の話を聞くと、頭の中がそのことに占拠されやすいが、最近は特に、聞いた話が鮮明に映像化されてしまう傾向にあって悩ましい。
物語を書き慣れてきたからか、要らない部分までくっきり輪郭を描いてしまう。昨夜も、人から聞いた話からそんな妄想に取り憑かれて(ぐっすり寝られたものの)やはりどこか引きずっていた。

わたしは数年前からテレビを見るのをやめ、ネットでもニュースを見ることをやめた。
毎日毎日ニュース漬けになっていた頃は、自分はニュースが好きだし、ニュースを見ることは義務に近いものなのではないかと思っていたけれど、そんなはずはなく。いったんすべてをやめてみると、とても快適になった。というより、わたしには合っていた。

痛ましい事件、戦争、災害。そういう情報を遮断することは、ずるいことだと思っていたけれど、わたしの中で起こる小さな混乱はなくなった。よく考えれば、ひどいニュースに日々泣かされていたことが精神的にいいわけがない。
ニュースを見ないから、政治も何もかもわからない。「増税メガネ」という言葉だって、Xの大喜利で知ったようなものだ。
「ニュースを見ないで生きていけるの?」とたまに心配されるけれど、本当に必要な内容は人々が話し始めるから、noteでもリアルでもどこかから耳に入る。気になることは、それから調べても遅くはない。ここ数年、生活で困ることは何もなかった。

自分の心を守るために自分の安全な逃げ場を作ることは大切だと思う。それは現実にある場所であったり、人であったり、手段であったり、趣味の世界であったりする。それが万能なものではなかったとしても。


先ほど投稿した「わたしの青」は、そういう大切なもの(場所)のことを「青い世界」と表現して書いてみました。




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