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中年ラブ・ストーリー

「冬の夜、寒空さむぞらの下で団子なんて、と思ったでしょう」
 学者の城田しろたさんは人差し指で鼻の下をこすった。照れているわけではなさそうだ。城田さんにおいては案外自信家で、そうそう照れるなんてことはない。というより、照れるタイミングや照れ方が一般的ではない、ということは言える。

 クリスマスが近づくこの時期、人気の商業施設は一層華やかさを増す。一方で、その裏手にある公園はあまり存在を知られていないのか、人通りもなくひっそりとしていた。そんな公園の中のベンチに、城田さんと私は横並びで座り、なおかつ向かい合っている。ベンチは木製だったから良かった。この寒さでは触れるものすべてが危険なほど冷たいのだから。
「お団子ですか。好きですよ、私は」
「それはよかった。朝のうちに買っておきました。近くのディスカウントショップです。なかなか見かけないでしょう。焼いただけの団子というのは」
 城田さんは腿の上でかちゃかちゃと音を立てながら団子の入ったプラスティック容器の蓋を開けた。
「言われてみればそうですね。普通はみたらしとか餡とか」
「ずんだとか」
「三色とか」
「よもぎ、いそべ、醤油、とまあ、そんなもんでしょう」
 城田さんは微笑み、次にはさらりと話の方向を変えた。
「寒い日ならではの食べ方がいいかなと思いましてね」
 そう言うと、腿の上の団子が落ちないように気をつかいながら体をねじった。そしてバッグから何やら取り出すと、はい、と私に差し出した。それは華奢な女性が好んで持つような、細くて容量の少ないステンレスボトルだった。
「冷たっ」
 受け取った瞬間、そう口に出さずにはいられないくらいにステンレス製のボトルは冷えていた。触れたそばから体温がぐっと下がった気がして、私の体は震えた。それを見た城田さんは、おやおやというように口をすぼめた。そしてすぐにボトルにハンカチを巻いてくれた。
「これでどうです」
「ええ、少しはいいです」
 城田さんは真面目な顔で頷いた。
「そうそう。誤解のないように先にお伝えしますが、このボトルをつかうのはあなたが最初です。つまり、このボトルは新品だということです」
 だから何も怖がることはない、と城田さんは言った。私は怖がってなどいないのに。
「それから、ここに巻いたハンカチは汚れてしまっても構いません。安物ですし、私はもう一枚持っていますから」
 ふふ、と私は笑った。ハンカチを汚すだなんて。何が始まるのだろうと期待してしまう。
「ねえ、城田さん。このボトルの中身というのは?」
「出汁ですよ」
 彼ははっきりと照れていた。
「お出汁、ですか?」
「とびきりうまい出汁です」
 城田さんは、ステンレスボトルを握る私の手を包み込むようにしてボトルを支えると、もう片方の手で蓋を回した。
「城田さん。私、自分で開けられますよ」
「そうですか。それは失礼しました」
 あたたかい手が離れていく。城田さんは、こういうときにする照れ笑いを知らない人だ。

 蓋を外すと、ボトルの口から白い湯気が立った。
「きれい」
 細く頼りない湯気の後ろに、商業施設のイルミネーションが煌めいた。ピントをぼかされた幻想的な風景は美しく、私はそれをうっとりと眺めた。
「そんなふうに眺めるものではないですよ。飲むんです。一口だけ」
 いっとき夢見心地でいた私は、城田さんの声で現実にひき戻された。
「一口だけ?」
「そう、あなたが試し飲みするための一口分は余分に入れてあります」
 城田さんに見守られながら、言われた通り、私は一口分を口に含んだ。
「熱っつ!」
 思わず首をすくめた。そんな私の反応を面白がって、城田さんは、わははと笑った。
「さっきは冷たいと言って、今度は熱いのか」
「そりゃあ、それぞれ違うものに触れているわけですから、感想が違ったって間違いではないでしょう?」
 そのとおり、と城田さんは姿勢を正して、すぐさま笑いを引っ込めた。そして少しだけ心配そうに訊いた。
「熱さで味わうどころではなかったですか」
 私の舌はまだひりついていた。だけど痛みを堪えて笑顔を作った。
「いいえ、美味しかったですよ。味が深い」
「うん。いい出汁なんだよ」
「これを飲みながらお団子をいただくの?」
 実をいうと、私のお腹は少し前から密かに食べ物を欲していた。
「それはそうなんだけどね。食べ方を考えたんだよ。このステンレスボトルの中にね、お団子を浸すんです」
「浸す?」
「そう。団子をボトルの中に入れてみてください。串ごと逆さにして。串の長さとボトルの深さがぴったり合うから」
 そうして手渡された焼き団子はすっかり冷えて固まっていた。それを、熱々の出汁の中に静かに沈めていく。
「お団子を入れたら、出汁が溢れてしまいませんか」
「溢れませんよ。計算してあります。どうぞ最後まで入れてください」
 そうは言われても私は慎重になった。さっき口にした出汁はかなりの高温だったのだから。
 私は串の先をつまんでゆっくりと団子を沈めていった。すると、ボトルの底に団子の先端が触れたのがわかった。団子はボトルの中にすっぽりと収まった。
「団子専用のケースみたい」
 私が面白がっている間に、城田さんはボトルの蓋を閉めた。
「二分ほど待ちましょうか」
「二分経つと、どうなるんですか」
「柔らかくなりますよ」
「柔らかく」
「そう。つまり雑煮のような風味の焼き団子になる」
「美味しそう」
 ハンカチの巻かれたステンレスボトルを二人して見つめた。
「団子が仕上がるあいだに、僕たちの話をしましょう」
 城田さんは腿の上にあったプラスティック容器をベンチに置いた。そして私に近づき、髪に触れた。
「三度目になりますね。あなたとこうして二人で会うのは」
「そうですね。三日連続で」
 はは、と城田さんが笑う。
「せっかちですみません。あなたが、三回会わないと好きかどうかわからないとおっしゃったので」
「三日連続はずるいですよ。考える暇もない」
「そうですか」
 城田さんがじっと私を見つめるので、私も城田さんを見つめ返した。
 変な人、という印象だ。四日前までこの人は私のことなどまるで眼中になかったというのに。
 食堂で彼がお茶をこぼして、その場にたまたま居合わせた私が世話を焼いて、そこから交流が生まれた。そのとき彼は、甲斐甲斐しく立ち回った私の行動ではなく、私の外見をタイプだと言った。もちもちした肌に触れてみたいなどと、こちらが恥ずかしくなるような台詞を平気で吐いた。急接近してくる彼を、いやらしい、と思ったけれど、素直なところが可愛いとも思った。近くで見る城田さんは、歳の割につやつやとした肌をしていて、私の方こそ彼に触れたくなった。城田先生として見ていた学生時代を経て、等身大の彼を冷静に見つめることができるようになった今の私は、いつの間にかずいぶん大人になってしまった。
 私は城田さんが好きだった。学生の頃からずっと。だから卒業後は彼の研究施設の職員になった。
 彼が学者として楽しく研究をしている姿を、遠くから見ているだけで十分と思っていた。それなのに彼は今、私を求めて答えを迫る。私が彼を想っていた多くの時間を飛び越えて、たったの三日で私を手に入れようとしている。ずるい人。

「キスをしましょう」城田さんが言った。
「いきなりですか」
 私は躊躇った。近頃、急に気温が下がったことで肌のかさつきがひどく、いまいち自分の唇に自信が持てなかった。
「あなたがキスをしてくれたら、成立です」
「私たちが恋人になるということですか」
「いかがでしょう」
「そうですね。それなら城田さんは目を瞑っていてください。その間に考えます」
「いい返答を期待していますよ」
 目を閉じた城田さんは、眠っているように邪気のない顔を私に向けた。瞑想を日課とする彼だから、とても自然体でじっとしている。彼を見ていると、彫刻のように彫りの深い顔のパーツを指でなぞりたくなる。その気持ちを抑えて、私は自分の唇に触れた。指先はかさついた肌の感触を感じ取った。
 城田さんはもちもちの私が好きだと言った。そこも含めて求められているのだとしたら、この唇は彼を大きく失望させるかもしれない。私は唇をかみしめた。もうほとんど諦めていた恋に、こんなに急激な展開が訪れるなんて、誰も教えてくれなかった。
 ハンカチが巻かれたステンレスボトルを握りしめ、私は悔し涙を堪えていた。
 ステンレスボトルには焼いただけの団子が入っている。恋人となった私たちが初めて食する思い出の味になるであろう、焼き団子。とびきり美味しい出汁で柔らかくなった団子を、この寒空の下で、二人仲良く食べるのだ。私はそれを心から望んでいた。

 城田さんのすーすーという呼吸音が聞こえた。寝てしまったのかもしれない。この三日間、彼は私と会う時間を作るため、朝は一時間早く仕事を始めたり、休憩時間を削ったりして忙しくしていた。そんなふうに私のためにしてくれたことを思うと、彼の無防備な寝顔がたまらなく愛おしかった。
 私は城田さんに気づかれないよう、そっとステンレスボトルの蓋を開けた。串の先をつまみ、音を立てずにゆっくりと団子を引き上げた。したたる汁をハンカチで受けた。そして先端の団子を軽くハンカチに押し付け、汁気を拭った。
「私がいいと言うまでは、絶対に目を開けないでください」
 城田さんに声をかけた。城田さんの眉毛がぴくっと動いて、同時に「ふぁ」という声が漏れた。やはり寝ていたらしい。だけどそれは今の私には好都合だった。
 夢うつつな城田さんの唇を狙う。私は慎重に位置を定めて団子を押し付けた。強くない圧で、だけど十分に愛しさを込めて。
 ふたつの柔らかい物体が触れ合う弾力を指先で感じ取り、まるで私も彼らと同化したような心地良さを感じていた。
 こうして、城田さんと私のファーストキスはしばらく続いた。途中で若いカップルがベンチの前を通り過ぎた時も構わず私たちはキスを続けた。

 名残惜しくはあったが、そろそろ寒さも厳しく、終わりを迎える時が来た。近くの商業施設がこの日の営業を終え、人々が公園に流れ始めていた。私は指先の感覚を器用に操り、団子にかける圧を調整した。徐々に圧を緩めて、城田さんの唇から丁寧に離した。そしてまた、静かにボトルの中に団子を戻した。
 緊張のひとときだった。だけどそれは、長くかかった恋路の終着点であり、始まりを示す愛おしい時間だった。
「もう、目を開けてもいいですよ」
 そう声をかけると、目よりも先に城田さんの口がぱかっと開いた。そしてようやく目を開けた城田さんは間の抜けた表情で私を見とめて言った。
「ずいぶん、長い時間だったように思います」
 そして穏やかに微笑んだ。
「ええ、とっても。長く時間を要しました」
「それでは聞かせてください。あなたに、僕は必要ですか?」
 城田さんが静かに問う。
「私はこれまで、あなたという存在に、ずっと支えられて生きてきたのですよ」
 私の目から涙がこぼれた。
 城田さんはポケットから二枚目のハンカチを取り出すと涙を拭ってくれた。ハンカチからは城田さんの香りがした。ずっと憧れていた香りだ。私は更に涙を流した。拭いても拭いても流れる涙に、城田さんはいつしか音を上げて、ただ私が泣き止みむのを待ってくれた。
 そうして私に笑顔が戻った頃、彼は私に優しいキスをした。




#シロクマ文芸部
#掌編小説

クリスマスが近づくと中年の恋を書きたくなります。

メリークリスマス🎄°・*:.。.☆




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