ショートストーリー | ベイベ | シロクマ文芸部
閏年の閏日になっちゃうよ。ぽつりと夫がつぶやいた。空耳のようだったが、確かに聞こえた。わたしは額の汗を手の甲で拭って、一度けもののように咆哮した。
「リラックスよぉ。そうしないと赤ちゃん、苦しいわ」助産師が呆れている。
無理でしょ、まじで痛い。
だけど……
わが子が苦しむの?
それはだめ。呼吸しなきゃ。呼吸。
「ちなみに今、23時48分」
今度ははっきりと耳元で夫の声を捉えた。すかさず声の方へ手を伸ばすと、たまたま触れた夫の頭髪を力いっぱい掴んだ。
「わかってんだよ……」
あつい。あつい。
からだがあつい。
「はい、しっかりー。息すってぇー。吐いてぇー」
助産師の声に合わせて呼吸をする。今日は2月28日。あと数分で日付が変わる。明日は、四年に一度しかお目にかからない29日。今年は閏年なのだ。
「まりりん、あと5分」
夫がわたしの手を握った。掌から伝わる想いが暑苦しい。わたしは苛立ちを隠さず、夫の手を大げさに払うと、お茶!と叫んだ。
夫が慌ててストローを差したペットボトル差し出した。勢いよく生ぬるいお茶を吸い込みながら、もう一度気合を入れる。
ラスト5分。絶対に生む。閏日に第一子を生むなんて冗談じゃない。誕生日を聞かれるたびに、えー閏日なんだぁ、すごーい!みたいな反応をされるなんて、コミュ障のわたしには地獄だよ。地獄。
「さあ、もう頭みえてるわよ」看護師の声がわたしを勇気づける。
ほら、ね。
この子だって、わたしの子。
閏日生まれで注目なんてされたくないの。
意地でも今日中に生まれてやるって、思ってるわよ。
「2分きったよ。どうする、やる?」
夫はそう耳打ちするとすぐにわたしから体を離して防御姿勢をとった。
なに?やるって。なんのはな…し……。
「ぐああああああああああああ」
夫に返事をする間もなく、最大級の痛みに襲われた。いつの間にか現れた医師が股の間に見える。看護師は手際よく赤ちゃんを受け止める準備に入った。
生まれる。
生まれる。
「いいわぁその調子、いけいけ!」
看護師が煽る。
生まれる……生まれる!
股から生暖かいものが大量に流れて、直後、エイリアンが飛び出たような振動を感じた。わたしは短い雄叫びを上げた。
「おめでとうございます!」
すぐに小さな泣き声を聞いた。生まれたんだ。無事に、我が子は誕生した。
「ちょっと、なにしてんの」
興奮の最中、看護師が冷めた声を発した。夫がなにか弁解している。夫は、まさにわが子がこの世に誕生した瞬間、部屋中の時計に布を被せたのだ。どうにかして時間をごまかそうと奮闘したらしい。
看護師が夫に説教をしている間に、冷静に腕時計を確認した医師が言った。
「2月29日0時1分。おめでとう」
夫は、そんなぁと言った。
「子どもが生まれたのに、そんなぁはないでしょ」わたしは笑った。
「まりりん、いいの?あんなに嫌がってたじゃない」
夫はひどく落ち込んでいたが、それがわたしのためだと言われると、なんだか不思議な気持ちだった。胸に乗せられたわが子のあまりの小ささになんとも言えない幸せを感じていた。
ごめん、夫。
もうどうでもいいの。
無事に生まれただけで、最高よ。
閏年、最高!
[完]
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