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GLAYに嫉妬して泣いて、そしてこころから感謝した日。

「あのとき、どうして行かなかったんだっけ?」

2025年2月22日。東京ドームで行われるLUNASEAとGLAYの対バンライブが始まる直前、私は25年前に行われたあるライブについて、友人Aちゃんに尋ねた。

「受験だったから……」そう答えたAちゃんは遠い目をしている。そしてこうつけ加えた。

「私の人生で、最大の選択ミス」



約25年前の話。

中学一年生のときに出会ったAちゃんと私は、クラスが変わっても毎日手紙を書いて渡し合うくらい、仲が良かった。
その頃から、私は熱狂的なLUNASEAファンで、Aちゃんは熱狂的なGLAYファンだった。

そんな私たちだから、「THE  MILLENNIUM EVE 」と題されたLUNASEAとGLAYによる対バンライブが開催されるとなれば、当然一緒に参加する。私はそう思っていた。だけどその時、Aちゃんは「行かない」選択をしたのだ。

一方、「行く」選択しかなかった私は、運良く手に入れたチケットで、Aちゃんとは別の友人とライブに参加した。そしてAちゃんには、その日の記念Tシャツを買って帰った。


それから25年の時を経て、Aちゃんは過去の無念を晴らすべく、当時の記念Tシャツを着て今回のライブにやってきた。
「ピチピチなんですけどぉ~」と体型の変化を恥ずかしがっていたけど、私にはぐっとくるものがあった。




この日のライブは、Aちゃんのお母さんも一緒だった。
お母さんはAちゃんに連れられて、何度もGLAYのライブに足を運んでいる。先日も、Aちゃんの奢りで福岡に遠征したらしい。

「全部出してくれたのぉ」と嬉しそうに、前を歩くAちゃんの背中をぺたぺたと撫でる。

「なんでこんなにいい子に育ったんだろ」

おどけた調子でそう言って軽快に笑っているお母さん自身、なかなか苦労して生きてきた方だ。つまりAちゃんも様々苦労してきている。
そんな諸々の事情を知っているから、この母と娘の深い絆にいつも感じ入ってしまう。

「Aにね、よく今まで道を踏み外さなかったよねえ、って言ったの」

隣を歩く私にお母さんは言った。私だって、Aちゃんに関しては常々そう思っていて、彼女の精神の強さを心から尊敬している。

「なんで?って聞いたら、『GLAYがいてくれたから』って言ったの。だからね。ああ、それなら私も真面目に聞いてみようかな、って」

そこから本格的にGLAYにハマっていったらしい。



GLAYと私。(余談)


遡ること27年。中学一年生だったクリスマスのこと。

私はサンタクロースを名乗る人間から、最後のクリスマスプレゼントに何を欲しいか訊かれた。

そのちょうど一年前、私はLUNASEAと運命の出会いを果たしている。しかし、出会うと同時にバンドは一年間の活動休止期間に入った。その間、メンバーは各自ソロ活動をしていて、私はといえばボーカルの河村隆一にぞっこんになった。だから私は、サンタクロースからもらえる最後のプレゼントに、LUNASEAのライブビデオをお願いしようと思った。

時を同じくして、世間ではGLAYの人気が高まっていた。CDショップには、いつ見ても目立つところにGLAYの商品が並んでいた。

当時勢いがあったGLAYのことは、私とて人並みには好きだった。リリースされる曲の印象も良かったし、GLAYの商品を眺めていると興味が湧いた。
だけど、一瞬は迷ったものの、結局私は店頭の派手な陳列棚を通り過ぎ、店の奥の棚に僅かばかり並んだLUNASEAのビデオを手にした。

そのビデオに始まり今に至るまで、私はLUNASEAに狂うことになるのだけど、もしこの年のクリスマスにGLAYのビデオを選んでいたら今頃どうなっていたのだろう。

GLAYのビデオを選んでいた人生もきっと悪くはなかったと思う。
だけどやっぱり、私はLUNASEAに出会わない人生を
想像できない。



こうして、LUNASEA結成35周年を記念した再現ツアーの一環である特別対バンライブを、念願叶ってAちゃんと観ることになった。

Aちゃんの横で、人生を支えてくれたそれぞれの〝推し〟を拝む。まさに拝んでいた。

「Aちゃんを幸せにしてくれてありがとう」

そういう気持ちでGLAYのステージを見ていた。



25年前のライブや、その他フェスでGLAYのステージを観るたび思うことだけれど、彼らはとにかく優しい。
LUNASEAのことを愛してくれているし、LUNASEAのファンにも親切だ。スマートな気遣いがある。

GLAYは、曲を知らないLUNASEAファンのために、ステージを映す大きなモニターに歌詞を流してくれた。
GLAYの歌詞は詩的だった。小説のようであり、誰かに宛てて書かれた手紙のような。その歌詞を味わいながら、体は生の演奏を聴く。まさに夢のようだった。
そして隣には、首にかけたタオルで時々涙を拭うAちゃんがいる。

Aちゃんのお母さんが、「GLAYの曲は、色んな人生経験してから聞くとさらに沁みるんだよね」と言っていた歌詞は、私の心にもしっかり沁みわたった。

それと同時に、ボーカルTERUの伸びやかな歌声に、LUNASEAのファンならではの複雑な心境にもなった。
余裕で歌うTERUの姿が、心の底から羨ましく、眩しい。

ここ数年、LUNASEAのボーカルRYUICHIは発声障害に苦しんでいる。
声の出ない状況下にありながら、それでも全身で表現して、大袈裟でなく、死にものぐるいで一つ一つのステージをこなしてきた。そういうライブを見慣れている私にとって、不安を感じさせない堂々たる歌声は、もはや新鮮で衝撃だった。

穏やかな表情で歌っているTERUと、ステージに立っている間、ひとときも緊張感から逃れられない状況にあるRYUICHIを、つい比べてしまった。

TERUの歌唱に魅せられつつ、心では嫉妬で涙した。実際に目が潤んでしまったくらい、TERUの歌は素晴らしかった。




GLAYのステージが終わって、私はAちゃんに言った。
「すごく沁みたよ。特にHOWEVERと、そのひとつ前の曲。pure loveだっけ」
「pure soul ね」

賽を振る時は訪れ  人生の岐路に佇む
今いる自分を支えてくれた人
この歌が聞こえてるだろうか?
祈るような毎日の中で  もっと強く生きてゆけと
少しだけ弱気な自分を励ます
もう戻れぬあの日の空

GLAY「pure soul」より引用。



この日のフィナーレを迎えたステージでは、Aちゃんと私の〝推し〟たちが、一人も欠けることなく25年振りにこの場所東京ドームに戻ってきたことを喜び、抱き合っていた。
健闘をたたえ合い、これからの未来も一緒に歩んで行こうと話している。
そんな美しいステージに自分とAちゃんを重ねて、私はAちゃんに抱きつきたい気持ちになった。
すぐに抱きしめても良かったけど、推しを拝む貴重な時間を奪いたくない。

終演後。駅に向かう道で、感極まった私はここぞとばかり、Aちゃんに言った。

「25年越しのうちらの夢が叶ったね!」

これに対しAちゃんは
「ああ。そういえばそうだね」と言った。

クールだった。だけど多少の温度差など気にしない。
病める時も健やかなる時も一緒にいたからこそ、LUNASEAは35周年を迎えたし、GLAYは30周年を迎えた。私とAちゃんだってそうなのだ。

これからも互いの推しを尊敬しあい、そして私たち自身も互いを尊ぶ。そういう関係がずっと続いてきた年月にあらためて感謝したこの夜は、私にとって、(たぶんAちゃんにとっても) 最高の一夜となった。



ありがとうGLAY。
ありがとう、LUNASEA。

°・*:.。.☆



#エッセイ


※この記事ではこの日のLUNASEAのステージについて触れていませんが、言うに及ばず、素晴らしかったです。 


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