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掌編小説 | 家族

 インターホンのカメラに映らないように顔を隠した。
「だれ?」と姉が訝しむ。
「わたし」とわたし。
「くだらないことやっていないで、上がってらっしゃい」
 勝手に上がれないからインターホンを押したんじゃないか、とつぶやきながらエントランスのドアを通過した。
 姉が住むのはマンションの三階フロアだ。廊下を歩きながら、ひとつひとつ、家の表札を読む。
「しばた…かなもり…にしだ…キム…さかもと……」
 姉の苗字がなんだったかわからなくなってきた。姉は三回も離婚と再婚を繰り返している。姉はモテる。そしてモテない。
 姉の最近の苗字を思い出したときにはフロアを何周もしていた。

 ようやく見つけた姉の家のドア横に、またインターホンがついていた。わたしは嬉しくてそれを連打した。
「ねえ、ふざけないで」
 姉が勢いよくドアを開けてわたしを家の中に引きずりこんだ。
「相変わらずね」と姉がわたしを睨んだ。
「どんなところが?」
「そういうところよ……」
 無表情でそう言った姉の視線が、わたしの顔から徐々に下げられ、持っていた紙袋で停止した。
「また。やめてよ」
「お土産だよ」
 嘘ばっかり、と言いながら姉はわたしを玄関に残して去って行った。
「お邪魔します」
 わたしは来客用のスリッパを履きながら新築特有の匂いを数回、肺にたっぷり吸い込んだ。わたしにとって築二十年以内の建物はすべて新築の部類だ。
 呼吸を整えたわたしは、姉の後を追ってリビングに入った。
「旦那の名前、なんだっけ」
    わたしは部屋を見回しながら姉に訊ねた。
 姉はキッチンで紅茶のポットにお湯を注いでいる。
「たかしだっけ、しゅうじだっけ」
 姉からは返事の代わりにため息しか聞こえない。
「ああ、りょうだったよね」
「あきらよ!」
 姉はややイラつき気味に答えた。姉の初恋の人の名前をだすとなぜだかすぐに答えをくれる。
「いつ帰るの?」と姉がわたしに訊く。
「いま来たばかりだよ」
 姉はまたため息をついた。
  

 ピンポーン。はい。
「おう、着いたぞ」
 二人組の来客だ。この老夫婦、さては両親だな。
 わたしはインターホンの〝解除〟ボタンを押した。
 エントランスから二人がこの部屋にたどり着くまで、大体三分はかかる。
「紅茶、ここにおいておくわよ」
 姉に声をかけられたが、わたしは片手を上げただけで、返事をしない。なぜなら百八十秒のカウントの途中だからだ。

 ピンポーン。ガチャ。
 これはこれは、お久しぶりです。父上、母上。
「お? お前、何年も連絡よこさねえで。ふざけやがってこのやろう!」
 あー父上。懐かしいですね、その話し方。まあまあ、そう声を荒げないで。おっと、往復ビンタの真似事ですか。相変わらず俊敏な動きをなさいますね、母上。しばらく見ない内にやけに明るい髪色になったではないですか。白髪が増えたのでしょうか。 
 まあ、いい。どうぞお入り下さい。ここは特別な空間ですから。

「飲まねえとやってられねえ、おい、酒だ酒!」
 まあ。昭和感たっぷりでいかにも情緒的です。父上、今お持ちしますよ。相変わらずウイスキーですか? あまり濃い飲み方はおすすめしませんが、何を言っても聞かない人でしたね。

「あんたの連絡先を教えなさい」
 あらまあ、母上。ついにスマートフォンを入手なさったのですね。これで同居の妹に怒られずにすみますね。ずっとスマートフォンを持てと言われ続けて全く進まなかったのに、何年か離れていた間にちゃんと成果がでたではないですか。わたしは今、感動していますよ。
 ところで、今日妹は一緒ではないのですね?

「ねえ、紅茶。飲まないの?」
姉がこちらを睨んでいる。はいはい、と言いながらわたしは立ち上がり、姉の座っているダイニングテーブルに行き、大きな音をたてて紅茶をすすった。
「それ、やめなさい。飲んでるアピールをしてほしいわけじゃないの。わたしはただ、来客に最低限のおもてなしをしただけなんだから。で、いつ帰るの?」
姉のこめかみに、うっすら血管の筋が立っている。苛立っているんだ。
「ん、だって。まだ妹が来てないよ。どうせなら家族五人揃ったほうがいいじゃない」
「家族が揃った方がいいなんて、どの口が言うの」
 姉は呆れた、と言って席を立った。確かにわたしは、何年も家族と離れていた。
    姉が去っていく後ろ姿を見ながら、ここはずいぶん広い家だなあと思う。

 ピンポーン。ピンポーン。
 二回も鳴らす無礼者。誰だ。どうせ鳴らすなら連打してみな。
 わたしはインターホンのカメラに映る人物を観察した。
 目の周りを黒くした、ピンク色の髪の女が立っている。妹だろうか。怪しい。
「どなたですか」
「どなたですか」
「二番目の姉です」
「二人の姉の妹です」
 まじか。妹だ。わたしは百八十秒を数える。その間、父に飲み物を出し、母と連絡先を交換した。

 ピンポーン。ガチャ。
 勝手に入ってきたか。わたしは急いで玄関に走った。
「お久しぶりです」とわたしは言った。
「黒っ」
 黒い? わたし? 
「髪黒いな、姉。うちの三人、みんな髪明るいから、黒髪見るとびっくりするわ」
 父・白髪。母・白髪染め。妹・ブリーチ後のピンク。なるほどね。
「もう一人の姉はどこ?」と妹が言った。
「ああ、わたしに呆れてどっかいっちゃったよ」
「せっかく末っ子が来たっていうのに?」
「そう。わたしの趣味に理解があるんだかないんだか……」
 妹はふふ、と笑った。いや、笑っていない。無表情だ。もう少し表情を付けてやれば良かった。

「父上、母上。末っ子が到着しましたよ」
 父がこちらを向き、母もこちらを向いた。
「まあ、座ってよ。と言っても椅子がないか。床に座っちゃう? そうしよう」
 わたしは妹の足を潰した。えい、えい、と床に妹を叩きつけると、妹の足はあらぬ方向にぐにゃぐにゃと暴れながらやがて大きな塊になった。
「マトリョーシカみたいになったね」
 妹は何も言わない。両親が床に倒れている。妹を潰すときの衝撃で倒れたんだ。
 父親は飲んだくれらしく仰向けに転がり、母親は横向きに倒れたから、顔の片側が歪んでしまって、今にも泣きそうな表情になっている。
「もう修復不可能だな」
 わたしは崩壊した家族を眺め、姉の真似をしてため息をついた。
 両親は床に転がり、マトリョーシカになった妹は部屋の中央にしっかりと座っている。まるでこの空間の主みたいに。
 わたしは家のドアに鍵をかけた。
 ガチャリ。

 姉がいれてくれた冷めた紅茶を口に含む。
 ぐちゅぐちゅぐちゅ。
 口の中に苦みが広がる。この苦みがわたしにとって必要なものかどうか、悩む。結局わたしは、紅茶を口に含んだまま立ち上がり、洗面所で吐き出した。
 自室に引きこもっていた姉が出てきて、嫌悪感たっぷりにわたしを見つめた。
「終わったの?」
「終わった」
「帰る?」
「うーん。もう少し居たい」
「だめ。帰って」
 姉はわたしをじっと見ている。
「わかった、帰るよ。ドールハウス、ありがとう。人形は置いていってもいい?」
 わたしが訊くと、姉は首をふった。
「だめに決まっているでしょう。持って帰るか、捨ててちょうだい。粘土は手が臭くなるから嫌いなの」
 粘土アーティストに失礼だよ、と言ったけど姉は聞いてくれなかった。

 別れ際、「またくるね」と言ったけど、姉はそれには答えず、厳しい声で言った。
「ドールハウスくらい、自分で買ったら? そうしたらいくらでも家族ごっこができるじゃない」
 姉はわたしの顔を睨むようにじっと見つめた。それから徐々に視線を下げ、わたしの手首に視線を移すと、むき出しの傷を見つめた。
「嘘よ。いつでもいらっしゃい」
「ありがとう」
 わたしは姉に見張られながら玄関で靴を履いた。そして最後に姉に訊ねた。
「ねえ、また苗字忘れちゃった。何だっけ」
 姉は答えない。
「いとう? ながせ? あきもと? ……ああ、さくはらだっけ」
「石井!」
 わたしは姉に突き飛ばされてドアの外に転がった。全身に大きな衝撃が加わったが、一番は足だ。
 あーあ。足、ぐにゃぐにゃになっちゃったじゃん。
 

 

 
 
 
[完]


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