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掌編小説|投げ星|シロクマ文芸部

 星が降る先はきまってぼくんちの庭だった。

 チエ姉ちゃんとあの海の家で過ごした夏、ぼくは最高にしあわせだった。そういう夢を見ている夜に、星は降る。

 星は、ひょうのように庭に落ちてくる。とても大きい。その衝撃でぼくらはベッドから投げ出されてしまい、宙を舞う。
 ぼくら、というのは、ぼくの足もとで丸くなって寝ている犬のゲーテのことで、ぼくはたいていゲーテの激しく鳴く声で目が覚める。

 うちは幸い、どの家よりも天井が高い。その昔、父の父の父あたりの人が、見栄を張って天井を高く設計したのだ。おかげでこうしてベッドから投げ出されても、天井に叩きつけられることなく命拾いしている。

 長い長い滞空時間、ぼくはもう一度チエ姉ちゃんとの夏を思い出す。ゲーテが犬かきでぼくの近くにやってくるのを見ながら、ぼくはあの日チエ姉ちゃんと泳いだ海を懐かしんだ。

「赤い水着を着ていたっけね」

 ゲーテはまだ小さかったから覚えていないかもしれない。ぼくは浮き輪をつけていた。チエ姉ちゃんは泳ぐのが得意で、逆さになったり、シンクロナイズドスイミングの真似をして変なポーズをとってはぼくを笑わせた。

 チエ姉ちゃんが海に潜ると、少しのあいだあたりは静かになる。ぼくは耳を澄ませて波の音の間にチエ姉ちゃんの音を探した。やがて大きなしぶきをあげて水面から顔を出すチエ姉ちゃんが見えたときは手を叩いた。たくさんたくさん手を叩いた。嬉しかった。だって、怖かったから。チエ姉ちゃんがどこかに行ってしまったのじゃないかって。

 だけど、チエ姉ちゃんは必ず顔を出した。ぼくはその度に手を叩いた。
チエ姉ちゃんの体は、水面から現れる度に小さくなった。いったい、チエ姉ちゃんはどんな魔法を使って体を小さくしているのだろうと不思議だった。
 チエ姉ちゃんは潜る度にどんどん小さくなっていく。それでも、ちゃんと顔を出しておどけたポーズをとる。赤い水着がチラチラと波間にゆれた。
 そして、そのうちに見えなくなった。あの海の家も、チエ姉ちゃんも、何もかも遠く、見えなくなった。

 気がついた時には、大勢の大人たちと両親と、チエ姉ちゃんの赤い水着だけがぼくを囲んでいた。

「きみもいたっけね、ゲーテ」

 ゲーテはいつのまにかぼくのすぐそばにいた。あと数メートルでベットに着地するというところで、いつもぼくらはこうして抱き合う。しっかりと抱き合う。もう二度と離れないというように。

 チエ姉ちゃんは水着だけをのこしてどこへ行ったのだろう。あの日、ぼくとチエ姉ちゃんは、ゲーテとぼくのようにしっかりと抱き合っていれば良かったのかもしれない。だけど、チエ姉ちゃんのあの顔を見たら。誰だって手を叩いて見守るしかない。
 思い出す度、悲しいのにしあわせな気持ちになるのは、チエ姉ちゃんがあの海で、たのしそうに笑っていたからだ。

 真っ白な歯が見えた。チエ姉ちゃんは歯並びが綺麗だ。
 笑うと弓なりになる目はおばあちゃんにそっくり。
 たまに口を開けて、長い舌を出しておどけてみせる。
 そんなチエ姉ちゃんを見たのは何年ぶりだっただろう。

「今もあの海にいるのかな」

 ゲーテにそっと囁いた。ゲーテは悲しそうな顔をした。だって、ゲーテとチエ姉ちゃんは一番の親友だったから。だけど、ゲーテにだって、チエ姉ちゃんはあんな笑顔を見せなかった。

 無事にベッドに着地して、ぼくとゲーテは急いで庭に走り出た。
いつだってそうだ。ぼくらが庭に出る頃にはもう星は消えていて、桜色の貝殻だけがのこされている。

「海と宇宙は繋がっているのかな」

 ゲーテに尋ねても答えてはくれない。ぼくらは貝殻を拾い上げ、その匂いを吸う。懐かしい海の匂いがする。ほんとうはチエ姉ちゃんの匂いがするといいなと思うけど、その貝殻から漂うのは、なんともいえない潮っぽさだった。

 つぎはいつだろう。

 星が降る夜。またチエ姉ちゃんに会える。
 どうしてか、チエ姉ちゃんのことを普段は思い出せない。思い出さない方がいいって、誰もが言う。その方がしあわせだよって。
 悲しいけど、そうかもしれないってぼくも思う。だから、度々こうしてぼくらの庭に星は降る。きっと、チエ姉ちゃんがおどけた顔で星をぶん投げてよこすのだろうって思っているけど、違うかもしれない。





#星が降る
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