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「圧倒的な心の土台がない」ということを再認識する夜。

今日は連投です、読んでくださってありがとうございます。
ちょっと、弱っているのでしんみり系です。


先ほどアップした記事のような

お悩み事(特に子供関連)で心がガクンガクンと揺さぶられるようなことがあったとき、いつも私はタイトルにあるような気持ちを再認識するのです。

人間が母親おなかの中から外界に出て、それだけでも怖いのに、外の空気を吸ってなんとか生きていく中で、
「(怖いけれど)生まれてきてよかった」
みたいな…すんごく大切な基礎工事、みたいなものがあるかどうか。

あんまり好きな言葉ではないですが、わかりやすく言うところの「自己肯定感」みたいなもの。

例えとしては、
「土地さえあれば、なんとか」
みたいな、心にもセーフティーネット(ちゃんとした更地)があるかどうか。
家がなくなっても、テント買ってきたらなんとかなるっしょ、みたいな。

その「土地」はこういう「危機」のときにこそ、あるかないか、がわかります。土地そのもの、というよりも「強固な、ちゃんと固められた土地」みたいなもの。

それが弱いなー、脆弱だなー、と思うわけです。
それは、幼いころの経験から、残念ながら「強固な土地」とはならなかった、わけです。

「ウマレテキテヨカッタ」とは、と。

もちろん、これまでの記事にも書いてきた通り、大切なのは未来であり、過去に縛られていては身動きできない、呪縛でしかない、とは思います。
だからこそ、転んで砂まみれになったとしても、膝をすりむいたとしても、古傷が痛んだとしても、なんとか立ち上がって一歩前に行こうと思うんです。そこに嘘はありません。

先ほどの土地を例にあげれば、土地は脆弱だとしても、なんとか基礎工事をして家を建てる、それはやっていけそうです。いろんな工夫をして。
人に助けてもらったりもして。結構、いい家を建ててきたなあとは感じています。

しかし、その家が嵐や台風で壊れてしまったとき、なんとも弱いのです。

結構、立派な家を建てていたとしても、簡単に崩れてしまう。
家がなくなったときに、土地の弱さがあからさまになってしまう。
「結果、土地が弱いと話にならない」
みたいな、なんとも言えない疲労感が漂います。

前回の記事に出てきた友人たちと話をしていても、差を感じるのはここだなあ、と心で思います。

なんか、最後のところで自分を信じられない、そういう弱さがあるなあ、と。

前述のキャラとか、性格とか、工夫しながらやってきたけれど、結局、弱いんじゃん!ってなるっていうか。これって結構絶望に近いんですよね。

まあ、確かに「土地が弱いっていうこと、そのものが思い込みでは」みたいな仮説も立ててみて、自分を励ましたりもしますが…あまりにも損傷具合が激しいと、間に合わせではどうにもならないよなあ、って感じですか。
「多少のことなら、なんとか、見かけだけでも修理できるんだけどさ」
っていうか。

さすがにこれはー、って損傷を追うと、再起できるんだろうか、って不安ですよねー。

とはいえ、これが私でもあるので、他人をうらやましいと思っていても、強固な土地は、今更手に入るわけでもなく。
現実を受けとめて、今手にあるものでなんとかやっていく、しかないのだと思います。

まあ、こういうときもある、と思うのがいいのかな。
台風が去って晴れたら、また気持ちも変わるのかもしれません。


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