友達のスマホに出てきた通知を見て感じたこと。
「これ、どうやるの?」
といって、友人のYちゃんがスマホを見せてきた。
えっとこれは…と説明している途中で、ピロンとスマホの上部に小さな通知が。
その小さな四角い通知の中にあった「毒親に育てられた…」が目に飛び込んだ。記事のタイトルの一部。
彼女とは、似たような境遇で育ち、大変だったよねと共感しあうことも多く、時に支えあってきた大切な友人。
ただ、その「通知」を見たときに感じた。
「もう、こういうのから離れないとな。」と。
というのも、そのときは、本当に楽しい話をしていた。
仕事のこと、子育てのこと、将来のこと。
たくさん笑いながら、本当に楽しい時間だったのだ。
それが「毒親」というワードで、(私は)一気に引き戻されたのだ。
気にならないふりをして、その場をしのいだけれど。
「そうだった、忘れてた。私たち、毒親に困ってきたんだよね。今も悩んでるんだった。」
潜在意識というのは、こういうリラックスしているときにこそ、顕在意識と行き来しやすいのか、一気に「私たちは毒親に育てられた、かわいそうな人間」ということを思い出してしまった。「かわいそうな人」と自分を思えば思うほど、そこから逃れられないというのに、またそこで改めてしっかり確認してしまったのだ。
すると、一気に、当時のつらい思いに引き戻される。
お風呂でゆっくりしているときに、急に湯船に何か「違うもの」を入れられたような感覚。油断していただけに、すぐに対応できず、どんどんしみ込んでいく、みたいな感じ。
そんなして、楽しい時間は、あっという間に(私にとっては)違う空気になった。私にとっては、というのは、Yちゃんは慣れた手つきで、その通知を上にスライドさせて、画面から消していたので。彼女にとっては、いつも通りなのかも。
もちろん、そのあと、突然話題が「毒親」になるわけではないけれど、何事もなくその通知をスライドして消していた彼女の脳裏にも、似たようなこと…「そうだった、私たちかわいそうなんだった。はいはい、思い出しましたよ。」という切り替えが瞬時に行われたと思う。無意識に。
という風に、スマホの通知にも気を付けないと、特にネガティブ情報は油断していると、無意識に潜在意識にぐんぐん入ってくるので、私は通知を切るようにした。
もう、そんなネタに、わざわざ自分から近づかなくていいのだ。
でも、こんなして思えるようになったのも、やはり前世療法がきっかけだったと思う。じゃないと、その通知を見た後、おそらく「でもさー、うちらの親ってさー」というおなじみの話題に、疑問を抱くことはなかっただろうから。
「もう、こういうのよくない?」
と自分で自然に感じられたのが、はやり不思議でしかない。
読み込んできた関連本も、捨てた。
この転換期はなんだろうか、ここまでこだわっていたものから、離れられるようになる地点、というのはどこからどうやってきたのだろうか。
機序は全然わからない…不思議だ。
でも確かに、新しい人生はスタートしている。