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価値観は本当に人それぞれだなぁ
先日料理人とそのパートナーである医療関係の先輩とギネスビールを飲みながら人の価値観めいたものの話になった。
「料理人なら人に美味しいものをつくって幸せになって欲しいんだよね。」
「いや、そうじゃないよ。ただ、じぶんの納得のいく料理を作りたいだけだよ。」
そのときに「ひとはみんなが人に幸せになって欲しいという価値観をもってるわけではないんですよ」と言う話をしたら、その先輩は「えっ?そうなの?」と大層驚いていた。
ばっちこい心理学の岩野さんと飲んでる時によくこの話になる。かれこれもうこの話をし始めてから10年間くらい経つんじゃないかな。
そこで岩野さんから、「あおき君の発想は福祉(or 教育) の価値観だよ」といわれる。
ずーっとしばらくの間、このひと何言ってるんだろう?と思っていたのだが、昨年頃になってようやくわかってきた。
あまりに自然に思考しているので気づかないものだが、ひとの価値観はもちろん人の幸せを願う人もいれば、それがプライオリティではない人もいるようだ。
こういった思考をしていないひとと話すとじぶんがいかに社会貢献や慈愛に拠った考えをしているかがわかる。
例えば、経営者と話していると思考パターンは基本的に功利を産むことやアイデアを出すことが基本パターンであることがわかる。
料理人と話していると、きっちりと美味いものを作ることに美学を感じていて、そのほかの事柄もしっかりしたいと思っている。
研究者である岩野さんと話していると、知らないことを知りそれを話したいと言う原動力で動いていることがわかる。
私の場合は、社会貢献しひとが幸せになって欲しいと基本思っている。
この4名を対比して初めてわかるのだが、人の幸せを願っているのは医療・福祉派のわたしだけである。
ほかの3名も人の幸せを考えていないわけではないが、基本価値は違う。
人を傷つけることを言わないだとか、メンタルで苦しんでるひとをなんとかしたいのは私のような価値観の元で起こる思考である。
だから、そう考えずに人を傷つけたり、メンタルがさらに悪くなってしまう関わりをしてしまうこともあるのだろう。
あるいは教育的価値観を持つ場合、ひとがよく育つということが中核になるのかもしれないが、誤解した知識のもと教育をした場合、人をよく育てたいという価値観を持ちながら、一般的にネガティブな方向に教育をしてしまうこともあるだろう。
それは医療や福祉の現場でも言えること。
まずは価値観が思った以上に違うことに気づくこと、相手が違ったとして自分の価値観にあわなかったとしても嫌悪せずいったん受容れること、そして正しい知識を持つこと
このあたりが大事だなと思うのは私の価値観なのでした。
ちと濃い話になりましたがこの辺で。素敵な日曜日を。