荒れた中学で人生終了の予定が実際に入学したら完全に膿が出きっていた
俺は地元の区立小学校に通っていた。
この小学校当時としては結構画期的な造りで、教室にドアがないオープンスクールだった。隣のクラスともパーテーション1枚で仕切られているだけ。バブルの頃に建て替えられたようで校舎も他の区立小学校と比べ、新しくて綺麗だった。
もうひとつ特色があって、中学校と渡り廊下で校舎が繋がっているのである。俺が通っていた小学校と隣町にある小学校のいずれかを卒業した児童は中学受験しない限り自動的に渡り廊下一本で繋がったこの中学校に入学することとなる。こう話すと公立の小中一貫教育を想像するかもしれないけど、小学校と中学校を繋ぐ渡り廊下は普段は頑丈な鉄の扉で閉鎖されている。でも校舎は繋がっており同じ敷地に建っている、そんなイメージである。
なぜ同じ校舎なのに閉鎖されていたのか。
中学生のお兄さんやお姉さんたちと交流が持てるのは楽しそうだし、縦の繋がりは子どもの成長にも良さそうなものである。
どういう方針で閉鎖していたか、真実は知る由もないが、当時この中学校はめちゃくちゃ荒れていた。地元でもかなり有名な荒れ具合で同級生の半分近くが中学受験を選択し仲の良かった友達とも離れ離れになったりした。
そんな中学校だったからあの鉄扉を開放できる状態ではなかったのかもしれない。ただの推測だけれど…
とは言え、中学校とは同じ敷地だったから朝は中学生も小学生と同じ時間に登校してくる。教室の窓からは中学校の様子も結構見えていた訳で実際にどんな荒れ具合だったかは自分自身でも日々目の当たりにしてきた。
小学生だった俺は、いつしかあの渡り廊下に設置された鉄の扉は地獄の門だと思うようになっていた。
どんな荒れ具合だったかというと、
原付で登校してくる生徒を複数の先生が門で待ち構えて怒号が飛び交っていたり
授業をサボっているのであろう不良グループが体育館の屋上に登ってうんこ座りをしながらタバコを吸っていたり
下校中の気弱そうな男子生徒の背中目掛けて飛び蹴りを喰らわす理不尽な暴力を目の当たりにしたり
カラーギャングが流行っていた時代だったのかお揃いのベンチコートを着ている池袋ウエストゲートパーク的グループがいたりするなど
まさに地獄絵図だった。
俺は、この中学校では2種類の人間に分けられると考えるようになった。それは不良の先輩にスカウトされてカラーギャングに加入させられる人間とそのカラーギャングに支配されてみじめな3年間を過ごす人間である。
いずれにしても恐怖。
だから俺は中学受験する友達が羨ましくなっていった。なぜならどこでも良いので私立の中学校にさえ進めばカラーギャングになることもないし、カラーギャングたちから集団暴行を受けることもない、そう思っていたからである。
そんな偏った思想を抱き始めた俺は、中学受験を両親に了承してもらうためのその布石として図書館へ行って本を借りてきた。都内の私立中学校がたくさん掲載されている中学受験案内の分厚い本である。とりあえずその本を親の目のつくところに置いてみたり、親の前でペラペラとページをめくってみたりした。
すると意外にも父はそれに食いついた。どこどこの中学は有名だとか、友達の誰々はどこの中学を受験するって言ってたなどと会話が弾んだ。
なかなか受けが良かったからタイミングを見計らって遂に両親に中学受験をしたいと言った。そしたら母に即答された。うちは経済的に無理。仲の良い友達が受験してるからしたいだけでしょ、と一掃。
俺はカラーギャングへの加入もしくはカラーギャングたちからの集団リンチ、2つの道のいずれかを選択する運命となった。
月日は流れ無事に小学校を卒業。
仲の良かった友達は受験やら引越しやらで離れ離れになってしまい、新しい友達はできるのだろうかという不安に俺は苛まれた。
孤独となって不良グループからお声がかかるのではないか、いつも独りで弱そうだから飛び蹴りが飛んでくるのではないか、そんなことを考えると恐怖だった。
しかし、いざ中学校に入学してみるとめちゃくちゃ落ち着いている学校だったのだ。
一部やんちゃそうな先輩もいるはいるが荒れているという感じはしない。
聞くところによると荒れていたのは我々の入学と同時に押し出されていった先輩たちの代までだったらしく、完全にこの中学校は不良浄化作戦に成功していた。完全に膿を出しきっていたのである。
一学年3クラスあって俺は1年A組。担任の先生はショートカットで背の高いかっこいい女性のN子先生。担当は体育。よく不良グループを校門で待ち構えていた先生の一人である。
N子先生は3年間俺の担任をしてくれた。とても情熱のある先生だった。
そして不安要素だった人間関係でも新しい友達が無事できた。
この中学で俺はひとつの青春を過ごすことになったし、いい意味でも悪い意味でも今の俺という人間を形成した場所だったことに間違いはない。
また中学時代の詳しい思い出は別の機会に記したいと思う。
ということで、俺は運良く不良にもならずに、またいじめに遭うこともなく、まあなんだかんだ平和な日々をスタートさせたのだった。
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