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お金で愛をもらった話

「愛はお金で買えない」
「いくら物を持っていても死ぬときには全部いらなくなる」
よくある言葉だ。私も確かにそうだと思う。
でも、つい先日私は夫からお金で愛をもらった。

夫からもらったネックレスの話

私は小さいころからあるコンプレックスがあり、つい最近までそれを抱えていた。
第一子長女という存在はとてもやっかいだ。長男じゃないから家を継ぐわけではないし、でも一番上なのでしっかりしていないといけない。
両親から受け継がれるものは全て弟に行くものだと小さいころから刷り込まれていた。結婚して相手の家に入り、相手の姓になって、自分の人権は実家から離れた別の物になる。
母が持っている大事な宝石類もきっと全て弟のお嫁さんに行くのだ。
そんな事を思っていた。

そして、先日とある出来事があり、私はいつまでも小さい子どものように親に一番愛されたいという願望が今の今まで抜けてないことに愕然とした。
経緯は割愛するが、誕生日に夫から欲しいものを聞かれたとき
「真珠のネックレスが欲しい」と即答した。
それはたぶん、単なる物としてではなく、愛されている証みたいな物の象徴だったのかもしれない。
夫は、いろんな人から情報を仕入れて、丹念に調べあげ誕生日もクリスマスもお正月も明けたころに贈り物をしてくれた。
冠婚葬祭に役立つシンプルな真珠のネックレスとイヤリング。
いつも夫がくれるアクセサリーや時計は普段使いが出来るものばかりだったけど、これはそのどれでもない、特別なものだった。
私の想いを全て汲んでくれたうえで贈ってくれた。

幼い私から両親から受け取れなかったものがあり、そんな自分を丸ごと引き受けてくれた夫の優しさがこのネックレスに詰まっている。
配偶者を親代わりにするなと言われるかもしれない。
ただ、両親からもらうはずだった無償の愛を、私は本当の意味で実感できずに大人になってしまった。
それは私の問題で、もちろん両親が悪いわけではない。

欲しいものは自分で買えるし、ネックレスだって自分で買うことも出来た。もう十分大人だから。
でも、どうしても夫からもらいたかった。
物で愛情を図るなんて馬鹿かもしれないが、そのネックレスを受け取った時確かに私は愛されていると実感したのも事実だった。

物に愛情は宿る

どんな物でも、想いがそこに乗っていればそれは大事な宝物だし、どんなに高くてもそこに想いがなければただの物である。
子どもからもらった手紙は宝物だし、夫がたまに買ってきてくれる大量のアイスも私を喜ばせようとしてくれるのがわかるから私は冷凍庫を除くたびに夫の愛を実感して嬉しい。
やはり、物を贈るときには相手がどれだけ自分を想っていて、かつ自分がどれだけ相手からの想いを受け取れているかで受け取った時の体験が変わる。

夫は私に贈り物をするときいつも真剣だ。
私に似合うものを一生懸命探して調べて選んでくれる。
小さいおやつひとつでも、私が好きそうなものを選んでくれる。
夫がくれる物には全て物語があり、そのエピソードを伝えながら渡してくれる。
だから、夫からもらうもの全てどういう気持ちで贈ってくれたのか、どういう理由で贈ってくれたのかまで覚えている。

愛はお金で買えないが、お金で愛を贈ることはできる。
お金にはパワーが宿っているし、贈り物はその人の労力や時間が少なからずともかかっているものだと私は思っている。


物をもらうことが嬉しい理由


夫が私に
「誕生日(やクリスマス)何が欲しい?」
と聞いてくれることが好きだ。
それは物がもらえるから好きなのではなくて(欲しいものは自分でも買えるし)
私が「〇〇が欲しい」と言ったときに、快諾してくれるのが好きなのだ。
要求を何も言わずに受け取ってくれて、返してくれることで私は深く安心し愛されていると思える。

赤ちゃんがミルクを欲しがるとき、親は無条件で与えるだろう。
「あなたのためにミルクを作ってあげたのだから、ちゃんと感謝して飲みなさい」
とか
「ミルク作ってあげたんだから、見返りが欲しい」
なんて口に出さないし思わない。

そんな単純な愛情を繰り返し求めている自分がいる。
欲しいと言ったものを信頼している人からもらい、満たされるやり取り。
子どもは無償の愛を親からそういう行動でもらうという。
愛情の器には個人差があり、少しのやり取りで満足する子どももいれば、ずっと欲しがる子どももいる。
私はたぶん後者なのだ。
夫からたくさん「無償の愛」をもらい続けて、今やっと満たされた世界を感じている。

自己肯定感や自信は、自分一人では作れない。
誰かからもらって自分自身が愛される存在だと実感し、愛情の土台が出来て初めて自己を肯定することができる。
自分を信じることが出来る。
通常は親からもらうものだが、親からもらえなかった人は親以外から少しずつもらっていき愛情の土台をつくるのだそうだ。
私は確実に夫から無償の愛を補填してもらった。


子どもには「あなたにお金をかけられて嬉しい」と伝えたい


小さいころ、両親から
「あなたは本当にお金がかかる」と言われて育ってきた。
それは兄弟全員言われていたのでもちろん私だけがというわけではない。
専門学校の費用も出してもらったし、仕送りだってしてもらった。
そのことにはとても感謝している。
ただ、その言葉を聞くたびに私は
「自分にお金をかけることは両親にとって損なのだ」
「自分はお金をかけてもらえる存在ではないのだ」

という気持ちになった。

専門学校を出てせっかくついた仕事を出産のため辞めて復帰が出来なくなった時
「もう復帰しないのか?」
と何度も聞かれた。
私が親の立場だったら(すでに親だけど)その気持ちもわかる。
子どもには、かけた分だけ元を取ってほしい。
ただ私は子どもにはお金に関しては「これだけかけたのに」とは言うまいと思っている。
私が、子どもにかけたいと思ったからかけたのだ。

我が家はお財布が別なので、夫婦で家計をわけている。
だから、子どもや夫に何かを買うときには、家族のお金ではなく自分のお財布から払う。だからこそ、払うときには気持ちよく払いたい。
それには、そう思える人間関係を築くことも大事なのだと思う。

真珠のネックレスは大事に大事に使って、子どもに渡そう。
夫のように物語を添えて渡そう。
渡すときは、私がもう使わなくなった時だ。
想いと共に受け継がれていくものを子どもに残したい。

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