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向田邦子と三谷幸喜。

最近、NHKオンデマンドに加入してみた。とりあえず1月だけ。

どんな番組見れるのかなとチェックしていた時、向田邦子の『阿修羅のごとく』を不意に思い出して、検索してみたら丁度観たかった1979年版(演出:和田勉)のものが出てきた。


実は、その少し前にたまたまBSで放送されていたものを途中から観ていて、これはちゃんと腰を据えて最初から観たいと思っていたのだ。

その時たまたま観たのが1979年版『阿修羅のごとく』パート1(全三話)の第二話の途中から。上記リンク先にもあるように、当時パート1が大変好評だったため、翌年の1980年にパート2(全四話)が制作・放送されたそうである。



さて、腰を据えて、『阿修羅のごとく』パート1とパート2を観た。


…一言で、見事にハマった。。

向田邦子のテレビドラマを観たのは初めてだったと思うのだけど、あの三谷幸喜の作品と通じる空気感というか、似ているなと感じたのが最初の印象だった。

…と思っていたら、これまたリンク先に記述されていることで、三谷幸喜の理想とする脚本、つまりは言葉と思いは必ずしも一致しないという、登場人物の発言している事とその人物が実際に思っている事が違っているのが、『阿修羅のごとく』には見事に表現されているのだとか。

確かに、現在放送されている三谷幸喜脚本の大河ドラマ『鎌倉殿の13人』とも、この『阿修羅のごとく』はどこか共通するものがあると感じたし、北条義時(演:小栗旬)が「…あの者は思っている事と言っている事が違う時がある」みたいな台詞を言う回もあって、益々向田邦子からの影響をあれこれ勝手に想像してしまう。


これはかなりマニアックな話かも知れないけれど、『阿修羅のごとく』パート1の第三話で、長女綱子(演:加藤治子)と次女巻子(演:八千草薫)が実家で母親(演:大路三千緒)の白菜漬け作りを手伝っている時に、昔実家に出入りしていたクリーニング屋のお兄さん(綱子は母に気が合ったのでは?とつつく)が、トラボルタに似ていることを綱子と巻子が同時に思い出し盛り上がるシーンがある。

三谷幸喜脚本の『古畑任三郎』第2シリーズで、長女綱子を演じる加藤治子が犯人役で出演した回があって(加藤治子は向田邦子作品の常連俳優だそう)、その中で加藤治子演じる脚本家が、トラボルタに似ていると陰口を叩かれている若手俳優と密な関係であるという設定になっている。まさに向田邦子作品へのオマージュか?と思ったのだけれど、実際どうなのだろう?


なにはともあれ、劇中度々流れては耳にこびりつくような民族音楽のテーマと言い、過剰なまでにドアップなカメラアングルと言い、和田勉演出の『阿修羅のごとく』は、おそらく未来永劫色褪せる事のないエキセントリックで魅力的な演出に溢れていると思う。

個人的には、四姉妹が一同に会して初めて父親(演:佐分利信)の不倫の話をする時に、長女綱子の差し歯が不意打ちのごとく欠けるシーンだとか、次女巻子宅に電話が掛かってくるシーンで直前に巻子が何やら(天ぷら?)摘み食いをしようと口をあーんと開けた何とも言えない表情だとか、三女滝子(演:いしだあゆみ)の硬い性格を表したような声の荒げ方だとか、四女咲子(演:風吹ジュン)の永遠なる可愛さだとか、物語の主軸と関係ないような細かい描写のあちらこちらが、ほんとに愛おしく楽しい。


言わずもがな、出演している俳優さんも心から素晴らしく、これまた個人的には、次女巻子の旦那である鷹男を演じる緒方拳(パート1のみ出演)にベストアクト賞をお送りしたい(高校生の時、新宿の新星堂のCDコーナーでお見かけたしたことがあって、今思えば握手してもらえばよかった…)のだけど、それは自分が男の立場で観ていたからかも知れない。


考えれば考えるほど底無しの普遍的な何かが『阿修羅のごとく』にはある。

人は、ただ満たされたいから、それをしてしまうものなのか、と。



まだご覧でない方で、三谷幸喜作品好きの方は必見なドラマ作品に思います。

ちなみに、NHKオンデマンドに加入したそもそもの理由は、『六角精児の呑み鉄本線・日本旅』を観たかったから。でした。






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