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『そして、バトンは渡された』を読み終えた塾講師

こんばんは。今日は読書記録です。

思ったことや、考えたことを綴ろうと始めたnoteですが、私は読書も大好きなので、読書記録もしておこうと文字を打っています。

今月に入ってすぐに、家から一番近い蔦屋書店にいきました。私は昔から本が好きで、本屋さんは何時間いても飽きないほど大好きな場所です。

先日蔦屋書店で購入した『そして、バトンは渡された』。
昨年、瀬尾まいこ先生の作品である『あと少し、もう少し』を読みました。

『あと少し、もう少し』は、裏表紙のあらすじを本屋で読んだときに、衝動的に「この本を読みたい!」と思って購入しました。

『そして、バトンは渡された』は、2019年の本屋大賞を受賞したとのことで、本屋の目立つところに並べられており、何度もこの緑色の表紙をみたことがありました。いつも、「読みたいな」と思いながらもなかなか読むことができず、ここまで時間が経ってしまいました。

2021年4月、やっと読み始めて、2日で読み終えてしまいました。本当にどんどん読む手が止まらなくて、本を読み終えて寂しいと思えたのも久しぶりでした。

この本は、いろいろな事情があって母親が2人、父親が3人いるという、高校3年生の優子のお話。彼女が今一緒に暮らしているのは、3人目の父親、森宮さん。森宮さんと優子の生活が主軸となって、物語は進んでいきます。

この本を買うときに目にした、

血の繋がらない親の間をリレーされ、四回も苗字が変わった森宮優子、十七歳。
だが、彼女はいつも愛されていた。
(引用:『そして、バトンは渡された』帯より)

この帯の言葉。

この言葉が頭の中にある状態で、一冊読み進めていました。

この言葉通り、優子はいつも愛されていました。
優子の人生が描かれているのですが、森宮さんとの生活が主軸となっているのもいいなと思いました。優子も、もちろん大好きになっちゃったんですが、なによりも登場した4人の親たち、本当に大好きになっちゃいました。
正確には5人の親がいるのですが、優子の産みの母親は、優子が幼い時に亡くなってしまったので、どんな人かを優子が覚えていませんでした。

血のつながったお父さんである、水戸さんも、2番目のお父さんの泉ヶ原さんも、森宮さんも、そして梨花さんも、優子のことを大切にしているのが伝わって、こころが温かくなりました。

愛の形は、それぞれ違うけど、言葉や態度、行動に優子を大切におもう気持ちが滲み出ていて、じわっと涙が出てきました。

話は変わりますが、わたしは結婚もしていないですし、子どももいません。
でも親はいます。今も同じ屋根の下、暮らしています。両親ともに。
でも決して良好な関係ではありません。なにがきっかけかと言われると、いろいろありすぎて「これが原因です!」と言えませんが、徐々に徐々に溝は深く、広がっていきました。特に、父親と。

でもそれを、成人して、大学も卒業して、社会人になって、今更悲しいとか、寂しいと思っていません。薄情な娘なのかもしれません。でも、申し訳ないと思うほどに、この関係を悲しんでいないのです。

ですが、この本を読んでいると、じわじわと思ってしまったことがあります。
「羨ましい」と。4回苗字が変わって、環境が変わっても、親にここまで愛されている優子が、羨ましくなってしまいました。
でも、だからといって優子が妬ましいわけでも、自分の親が妬ましいわけでもありません。

ただ、こうして愛される経験を、できるだけ多くの子にしてほしいと思いました。
きれいごとのように聞こえてしまうかもしれませんが、誰かに愛される経験はその人の心を育ててくれると思います。
人は認められたいし、無償に愛されたいものだと私は思います。

「何度も言うけど、俺、本当にラッキーだったよ。優子ちゃんがやってきて、自分じゃない誰かのために毎日費やすのって、こんなに意味をもたらしてくれるものなんだって知った。」
(引用:『そして、バトンは渡された』)
「自分のために生きるって難しいよな。何をしたら自分が満たされるかさえわからないんだから。金や勉強や仕事や恋や、どれも正解のようで、どれもどこか違う。でもさ、優子ちゃんが笑顔を見せてくれるだけで、こうやって育っていく姿を見るだけで、十分だって思える。これが俺の手にしたかったものなんだって。あの時同窓会に行ってよかった。梨花と会わなかったら、俺今ごろ路頭に迷ってたな。」
(引用:『そして、バトンは渡された』)

森宮さんの言葉、この言葉を見てわたしは羨ましいと思ってしまうから、まだまだ子どもの立ち位置なのかな。

周りの友達が、「結婚したい」「彼氏が今欲しいわけではないけど、いつか結婚したい」「子どもが欲しい」と話すようになりました。

その言葉に心から共感できないでいたわたしは、理想像がいま自分の中にないからだと、この本を読んで気づきました。
わたしの友達には、答えがあるのかもしれない。「自分が愛されたように、誰かを愛したい、大事にしたい。」そう思っているのかな。

でも、優子の親たちほど深い愛情ではないかもしれませんが、わたしはこの本を読んで、今勉強を教えている子ども達を思い出しました。

彼らにとって塾は、生活の中の10%にも満たないかもしれない。そう分かっていながら、やっぱりあの子たちの事を考えてしまうのは、何かをしてあげたいと思うこの気持ちは、親ほどではないかもしれないけど、今の私の一つの生きる意味なのかな、なんて思いました。

私は結婚できないかもしれないし、誰かの親になることもできないかもしれない。でも、塾の先生にはなれた。
あの子たちの生活のバトンを、お父さん、お母さん、おじいちゃん、おばあちゃん、学校の先生、習いごとの先生、コーチ、いろんな人と繋ぎながら仕事をしているのかななんて思いました。


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