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写真を撮らないのもいいかなと思った。

*再放送です(ネタがaaaaaaaなので)

・・・

先週、渋谷に行った。
雨の夜だった。
行ったと言っても、
井の頭線から銀座線に乗り換えるときに駅から覗いただけ。
関東の自然豊かな県に住んでいる僕にとって、渋谷は別世界だった。
人は多いし、夜なのに昼みたいに明るいし、色々騒がしい。

井の頭線の改札を出て50mほど直進すると
左手にスクランブル交差点が見える。

テレビで見るそれに田舎者らしく興奮したがグッと堪えてスタスタ進む。

「え?いつも通ってるんですけど??」

みたいな顔をしてすぐに歩き出した。

銀座線は井の頭線よりも高い位置にある。
連絡通路をガシャガシャ歩き、階段を3ヶ所くらい登って改札向かった。

銀座線は3年くらい前に改修工事がされてリニューアルしたらしく、
なんか、こう、綺麗だった。

電車を待っている時には外が見える。

ホームから見える雨の渋谷は幻想的で、
例えるなら「天気の子」のワンシーンに出てきそうな光景だった。

一部では水滴がガラスをつたい、車のフロントガラス越しのようにピンボケした渋谷の街はとても「エモ」かった。

僕はこの光景を写真に収めようとスマホを取り出しカメラを起動したが、
なぜか、撮らなかった。
理由はその時はわからず、「なんとなくやめとこ」と感じただけだった。

・・・・・・

話が飛躍してしまうので弁明するが、時々自分の行動が思考を先回りすることがある。今回はそれだったと思う。

話をもどそう。
この話を書いてじっくり言葉にしてみた。
最近はなんでもデータで保存できるし、簡単にシェアできる。
素敵な景色や珍しい光景は写真に収めて見返せるし、シェアもできる。
世界の秘境までわざわざ行かなくてもネットで見られる。
美味しいケーキ屋さんに行ったことを投稿すればいいねがもらえて嬉しい。
素晴らしいことだ。一瞬で全世界にシェアでき、一瞬でコミュニケーションが取れる。素晴らしいことだ。
でも、ちょっとだけ疲れてしまった。
自分で見返す用に撮らなくてもいいかなと思った。
むしろ、撮らないことで記憶により深く刻んで
特別なものにできるのではないか。
そう直感したのだろう。

あの時の、夜の雨の渋谷。
多くの人やネオン、あるいは広告の音、馬鹿でかいディスプレイ。
まさにカオスだった。

雨、人、ネオン、広告ディスプレイ、ぐちゃぐちゃに混ざり合っていた。


雨でぼやけたガラス越し入ってきた僕の渋谷はよりカオスで、うるさくて、気がおかしくなりそうな情報量だった。

でもどこか幻想的で、それが雨のせいでもあるのは承知だが、本当に、
一瞬、心を奪われたのは事実だ。


写真にするのさえもったいない、あのときそう感じていたのだろう。
それほどインパクトを受けた景色だった。

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あお
生活費になります。食費。育ち盛りゆえ。。

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