後輩が先に就職決まっても動じるどころか祝える自分の懐の深さに感動
1歳下の後輩が内定をゲットした
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大学3年の夏になっても就活は一切せず毎日ダラダラ本を読み、YouTubeを垂れ流しに、週末は草野球に興じている。
そんななか、同じ大学3年の後輩が内定をゲットしたと耳にした。
研究も熱心にしていたし、インターンシップにも参加し精力的に職を探し回っていたらしい。
学割のためだけに大学に行って、できるだけ楽をして適当に生きているやつとは大違いであろう。楽しいけども。
知人は言う。お前は何をしているんだと。私は言う。好きな本を読んで週末は草野球で遊んでいると。知人はそれ以上何も聞いてこなかった。
たぶん、知人はそういう意味で聞いたのではなく、大学3年にもなってフラフラしていて恥ずかしくないのか1歳下の後輩は内定をゲットしたのに悔しくないのか、と言いたかったのだろうとしばらくして気がついた。
休学していたので同い年の連中は4年になり、就活を終えている者も多い。終活である。一方で、3年生であと1年半の刑期が残っているが将来のことなど全く想像していない。否、落ちこぼれゆえ、できない。
奇をてらう行動をしたい欲求があるのかもしれない一方で、自分のことを大事にしたい保守的な考えもあった。
嫌々就活している知人を見ると疑問を抱くのだが、それ自体頭がおかしいのかもしれないし、せっかく学費を出してもらったしという親に対しての恩返しもあるのだろうから、むしろそっちが正常なことなのだろう。
人によって背景がそれぞれあるから口出しは野暮である。
親を始め、親戚一同から釈放されている身としては、悲観的要素も少なからずあるが、それよりも自由特有の不安感や焦燥感と、何よりも清々しいほどの解放感に酔いしれている。
それゆえ、嫉妬もしない。素直に祝えるし、遠慮なく泣きつける。無職になったら助けてほしいから今のうちからゴマをするつもりである。
そしてそんな懐が深い自分に感動さえした。より大好きになった。
おめでとう。
生活費になります。食費。育ち盛りゆえ。。