付着.14 先入観をぶっ壊せ。
今回は「せ」だ。
せっかくの祝日。読み終わった後、少しでも皆さんの毎日が明るくなるように精一杯書こうと思う。
テーマの前に少しだけ、ちょうど「せ」だったので「生命式」という作品について書きたい。
村田沙耶香さんの短編集なのだが、自分の人生において一番衝撃を受けた作品である。最高傑作だと思っているし、俺が絵を描けたなら読後必ず生命式の絵を書いているはずだ。とても美しく、感情を揺さぶるラストシーンを今でも想像できるし、叫びたくなるほどその「絵」に圧倒される。
絵の描けない俺は激しい衝動に駆られて、自分でも小説を書こうと思ったし、今こうして文章を書いているのは間違いなく生命式の影響だ。書くことを学んで、どうしても創りたい世界観がある。
影響された本はいくつかあるが、小説というジャンルで生活にまで影響を与えられた作品は数えられるほどしかない。
というか、残り2つだ。w
「猫の地球儀」では、ラストシーンの先を想像して曲を書いたし、「イリヤの空UFOの夏」では文章を読んで発狂しそうになったり吐きそうになったり、言葉で感情が震わされるという新しい自分を見つけることができた。どちらも秋山瑞人さんの作品である。
残りの人生であとどのくらい、衝動的な作品に出会えるのだろう。人を動かしてしまえるほどの物語に出会うのは楽しみだ。
前置きが長くなったが、今日のテーマは上記の内容も関係している。
「先入観」というものについて考えてみたい。
先入観を持つこと全てが悪いことではないし、個人の主観ならまだ良いのだが、他人から植え付けられる先入観ってのが厄介だ。邪魔になることが多いし、なによりも世界を狭めてしまう。それでもなお挑戦することでぶっ壊れたときは爽快なのだが、そもそも導入段階でかなりの壁になり時間ばかり失ってしまう。
特に俺は、自分からにせよ他人からにせよ先入観はぶっ壊した方がいいと思っている側なので、すまないがこちら側の目線で書いていきたいと思う。
先ほど紹介した作品達もそうだが、生命式との出会いは帯に書いてあった西加奈子さんの言葉に心を奪われて手に取ったのがきっかけだった。書店で2ページほどめくり、「むしろこれは最も苦手なタイプの話じゃないか。」と思ったのが正直な感想である。怖そうとかグロそうとか、その類いの話は昔から苦手だったからだ。初日は買うことをやめ、帰路についた。
ここでは、自己の先入観を考えてみる。
帰宅後、仕事中も寝る前も頭にこびりついて離れない日々が続いていた。書店には週一くらいで通っていたし、毎回手には取るのだ。それでも先入観が邪魔をしてなかなか購入には至らなかった。1ヶ月ほどの葛藤を経てようやく、怖いもの見たさで購入することを決めたのだ。
なるべくダウナーになりたくないので、カレー沢薫さんの「生き恥ダイヤリー」などのアッパー系(個人の主観です。)エッセイも逃げ道として数冊一緒に購入したくらいの恐怖だった。w
ずっと気になって頭から離れなかった。でも先入観が邪魔をして踏み出せなかった。読後、こんな自分への後悔が止まなかった。なんてもったいない時間を過ごしたのだろうと。もっと早くこの作品に浸りたかったと。
そして、今まで読みたくなかったジャンルに片っ端から手を伸ばしていた。歴史的な絵画や現代アートの本も沢山購入した。あのラストシーンの「絵」を越えるものはないのか?自分が絵を描けないことが悲しいと思ったのは初めてだった。
さ迷い続けた結果、ついに自分で作品を創ってみたいという思いにたどり着く。綺麗な絵は描けないかもしれないけど、世界を変えるような価値観を変えるような作品が創りたいと思うようになったのだ。先入観が邪魔をしていなければ、もっと早く創る楽しさを知れたかもしれない。
遺憾だ。
逆に秋山瑞人作品への導入は早かった。もともとオタクだった俺はラノベばかり読んでいたし、表紙や挿し絵が気に入れば買っていたからだ。なので次は相手の先入観についてだ。
友人に「オススメの本あるー?」と聞かれ猫の地球儀などを勧めると「ラノベじゃん。」といった反応をされることが多く、正直、かなり辛かった。w
ちょっと待てほしい。小説という分野においてラノベは食べやすいデザートだと仮定したとして、友人に「美味しいお店ある?」と聞かれたとしよう。男性同士でもデザートを紹介する時があるだろう。(状況によるし、基本的には稀だが。)
流石に相手が「甘さ?考えただけで胃もたれとじんま疹でるわ。」なんて人にベットベトの甘ったるいデザートなどは紹介しないが、強い苦味が美味しいコーヒーゼリー(あるかはさておき)、抹茶のスイーツ(デザートのボキャブラリーが思った以上に皆無だった。w)くらいは紹介できるだろう。(例えが下手くそで強引だが。w)
とりあえず勧められたら食べることで、友人のデザートに対する価値観を変える出会いになることもあると思うのだ。気づいたときにはラノベ万歳に変わることもあるかもしれないし、アニメまでたどり着きコミケで同人誌を買い漁るかもしれない。世界は確実に広がるはずだ。
どちらにせよ、悩んでいる時間はもったいない。
最後に一番厄介な、他人に植え付けられた先入観について考えみたい。
これはもう一種の洗脳であり、ぶっ壊すことがとても難しい。なぜなら先入観を植え付けてきた人を否定しなければならないからだ。時には戦いもやむなしである。少しでも柔らかく伝えるために、親子の話に例えてみたい。
近所でも有名な悪ガキがいる。もしくは、愛想が悪く根暗そうな無口な子とか。なんでもいい。w
両親から「あの子とあまり関わりを持たないで。」とか言われるというような、よくある話を想像してほしいのだ。
大体この台詞を口にする時の両親という奴は、悪ガキ、無口少年そのものと関わりを持った経験がないことが多い。近所の話を聞く、道で見かけた時の態度が悪かった。一歩踏み込んでいたとしても、一度家に来たときに嫌な印象を持った。迎えに来た相手の両親が、たまたまアートな身体を持っていた。
こんなもんだろう。
しかし、自分にとっては生涯の友達になる可能性があるのだ。友達から嫌われていたり良くない噂を聞かされたとしても、勇気を出して話しかけることで初めて趣味を共有できる奴だったりするのだ。
自分自身が本当に楽しくて大切に思うなら、他人の先入観などぶっ壊しにいけばいい。よく知りもしないのに俺の友達を馬鹿にすんなと戦えばいい。
会社でも学校でも地域でも、集団で植え付けられた先入観はとても恐ろしいものだ。好きなものを好きといえず、もし好きだと発言すれば自分も嫌われたりするだろう。
でも、先入観達は自分の人生を背負ってくれないんだよ。やった失敗には「ほらな。」とかとやかく言うくせに、やらなかった失敗には責任を持ってくれないんだ。
だから俺は、先入観をぶっ壊せと思ってる。
今の仕事もトイレの汲み取りだと言うだけで嫌な顔されることも、なめられることもある。「若いのにこんな仕事してねぇ。」みたいな訳あり男に思われることもある。
10個程の職業をしてみて思うのだが、俺にとって今の仕事は最高だし、誇りに思ってる。仕事探してるならいつでもきたらいいし、よかったと思わせる自信もある。
こんなつまらないものに人生を支配されちゃいけない。自分の目で見て、自分で決めろ。最期に笑って死ねるのは、全部自分の身体と心で決めてきた奴だけだと思う。
先入観に救われることだってもちろんあるだろうけど。
それでも、もう一度言いたい。
先入観などぶっ壊せ。
あなたの明日を、あなたの手であなたの心で。
素晴らしい1日にしてください。
生まれ変わりってのは今からでも出来るんだぜ。
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