付着.23 エビチリはいかがでしょうか。
今回は「ぬ」だ。
なんだか朝からフォローして下さる方やスキを下さる方が多くて、とても嬉しい。
が、なぜ今日は「ぬ」なのだ。
こんな大切な日にタイミングが悪い。
まず、ぬってなんなんだ。発音しずらい。見た目はエビチリの海老みたいだし、なんか響きが嫌だ。
せっかく読んで下さる方々が増えたのに、初日の相手が海老なんて聞いてないのよ。
どうにか上手くチリソースでもマヨネーズでも絡めて美味しく料理できればいいのだが、あいにくレシピを持ち合わせていない。味の保証ができないのが誠に申し訳ないがお付き合い願いたい。
そう。これはただの時間稼ぎである。ぬで書きたいものが見当たらないのだ。ドロ沼だ。
うーん。ぬって眺めてると目が回りそうになるよね。
ほら。
ぬ。ぬ。ぬ。ぬ。ぬ。
コイツはやべぇ。早くここから抜け出したい。ぬを脱ぎさって、さっぱりしたい。
そんなわけで、テーマは「脱ぐ」である。
脱ぐで何か書けるのか!?とも思うのだが、海老も最初に皮を剥かなければならない。早速脱いでいただこう。というか脱ごう。
我々人間もこの長い人生のなかで、1度や2度はプライドや洋服を脱いで裸一貫で立ち向かわなければならないときがある。特に、「愛」に向き合うときが多いのだろう。
しかし、俺にとっておそらく、それは今日だ。もうプライドもなにもかも脱ぐしかない。
正直に言えば、昨日までの俺はぬるま湯の中にいたのだと思う。書くことの練習だと考えてnoteを使っていた。もちろん読まれることを想定して書いていたのだが、フォローして下さる方が増えて急に責任感が増したのだ。
つたない文章に時間をさいてくれることに感謝して、読者の方々の為に一肌脱がなければいけない。フンドシをしめなおすことが必要だ。note湯かげんいいですねと、海老のように赤くなっている場合ではない。
さて、自分で使っておいてなんだが、ことわざ?(あれがことわざかはさておき。)には「なぜそんな言い回しをっ!?」とツッコミたくなるものが沢山ある。
上記の一肌脱ぐもそうだ。袖をまくると聞けば、立派な腕を出し真剣に取り組む姿が想像できるが、一肌脱ぐとは一体どこからきたのだろうか。
蛇の脱皮でもあるまいし、一肌脱いだら剥き出しの筋肉が露になってしまい、キモい。w
一皮剥けるも同じくである。
こうして昔、先輩とことわざについて考察したことがあったのだが、とにかく謎が多すぎた。
例えば、豚に真珠。なぜ豚をチョイスしたのだ。他にも沢山選択肢があっただろう。真珠もそうだ。ダイヤでもエメラルドでもいい。
そもそも豚と真珠が出会うことがないだろう。まだ亀とかのほうが真珠に近い。母親と父親の出会いよりも気になる。
そこで、我々が考えたことわざがこちらである。「天狗の鼻にマスク」
どうだろうか。これなら出会いも「まぁ、なくはない」ギリギリの範囲だろうし、天狗にはマスクの価値がわからないだろう。
まず、ゴムも耳に届いていない。
後、作者の個人的主観が入りすぎてるものもある。猿も木から落ちるなど最たるものだろう。この作者は猿を神として崇めているとしか考えられない。なぜなら、猿は木から落ちないという絶対の信頼がなければ成立しないからだ。お猿様は万能だと思っていなければこんな言葉はでない。
あいにく自分はお猿教に属していないため、この言葉は全く響かないのである。
おいおい、全然テーマの脱ぐについて書いてないじゃないか。とお怒りの方もいるだろうが、実はこれ、かなりテーマにそっている。
今、ことわざという海老の曖昧な皮を脱がして、少し辛みのある言葉で味付けして、エビチリを作っていたのだ。(完全な偶然。)
ものは言いよう。嘘も方便だ。
お口に合わなかったかもしれないが、できるだけ慎重に調理したつもりである。
自粛期間も長く、家に居る時間も多い。
普段身に付けているプライドや価値観を脱ぎ捨てて、自分なりのことわざを作って遊んでみるのもいいのではないだろうか。
少しでも日々を楽しんで、明日もいい日にして欲しいと願うばかりである。
(ふぅ。なんとか沼を脱出したが、頭を使いすぎた。今夜の枕は「抜け毛」だらけかも、しれない。)
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