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閉鎖人間は緩やかに死に行く
【先週だったかな。
買い物に向かう途中、街で外国人に声をかけられた。多分ベトナム人だと思う。
○○ビルハドコデス?って慣れない日本語で聞いてきた。
顔を見ると、必死に伝えようとしてるのが分かった。
私その時、結構緊張してしまってて、「○○ビルはアッチデスって」そのベトナムの人につられてカタコトになっちゃった(笑)
っていう今思い出すと凄い恥ずかしい話。】
はじめに
以前「人間関係の輪」についての記事と「閉鎖人間」についての記事を投稿しました。
今回はその2つの記事を絡めながら深掘りしていこうと思います。
(まだ読んでいない方がいれば是非読んで頂きたいです)
今瞳に映るこの美しい世界で一人
中国に単身で旅行する話
比較的短時間で読める記事となっておりますので是非とも最後までお付き合い下さい。
閉鎖人間とは
閉鎖人間とは?
これは私が都合良く作った造語なので「閉鎖人間とはこうだ!」と言い切る事は出来ませんが、「こうだと思う」について少しだけ…
(※どうしても私思考のバイアスが掛かってしまうのでコメントで皆さんの「こう思う」を頂けたら嬉しいです)
世の中には、何事も否定的に考えたり常に現状維持に走ったり他者の意見に耳を傾けなかったりする人がいる。
それらに共通するのは"受容出来ない"という部分だと思う。
周りの意見を否定したり新しい発想に怯えたり。
外界の情報をフィルターに通す事なくはじき返してしまう。
私はそうした人達をまとめて閉鎖人間と呼ぶ事にした。
これがここで言う、つまり私の記事に出てくる閉鎖人間というものだ。
閉鎖人間誕生のメカニズム
何故、閉鎖人間は受容出来ないのか?
それは恐らく不確実性への恐怖だと私は考えている。
今までの経験や記憶から弾き出された確実性への依存とも言い換える事が出来る。
確実性への依存。
つまり、過去に些細な成功体験をしたとしましょう。
この時開放人間の場合「もっと良くならないかな?」とか「他に応用出来ないか?」と成功体験を発展させようとする。
しかし閉鎖人間の場合では、「次もこれでいいや」とか「こうすれば絶対だ!」と現状維持に走ってしまう。
現状維持では、進化していく時代に取り残され緩やかに衰退していくだけなのに。。。
私は、こうした「道は一つしかない!」だとか「こうすれば絶対だ!」という固定観念が閉鎖人間を生み出すのだと考えている。
閉鎖人間に訪れるであろう緩やかな「死」
"急速なグローバル化と「個」に問われる多様性"
という観点から閉鎖人間のこれからについて考える。
今、現在進行形でグローバル化は進んでいる。
SNSの普及によりそれはさらに速さを増している。
こうした社会で閉鎖人間はどうなるだろう?
恐らく、閉鎖人間は疎外される。
疎外せざるを得ないのだ。
グローバル化が進むと平行し、人間関係の輪も広がっている。(コンビニとか行くと外国人の店員さんとか多いよね?それに工事現場とかでも東南アジアから来た実習生が多かったりする)
勿論、日本の文化と諸外国の文化には違いがある。
言語 食べ物 宗教 習慣etc当然育った環境も違うし考え方も違う。
日本人から見てみれば「変わってる」とか「マナーが悪い」とか思うこともある。でもそれは、その国では割りと当たり前の事だったりする。
例えば、宗教上豚肉を食べれない人だったりお箸の使い方が下手っぴだったり。
私はこのような文化の違いを受け入れられるし、異文化の人達とも仲良くなりたいと思う。
街でカタコトの日本語で道を聞いてくる外国人とかに出会うと「頑張れ~」って心のなかで応援してしまう(笑)
だけれど閉鎖人間の場合は、異文化を受け入れようとせずに否定をしてしまう。異文化を知ろうともせずに先ず否定なのだ。(なんと心が狭いんだろう…)
そのように、閉鎖人間のほうから異文化を疎外するとグローバルの輪から逆に疎外される。何故なら、グローバルの輪は限りなく大きいから。
異文化に限らず他者を疎外するということは、新しい発見を疎外しているのと同じこと。もしかしたら、疎外したその人は素晴らしい発想をもった人かもしれないし、その人から面白い話を聞けるかもしれない。
それに疎外ばかりしていると、いくら当人がすごい個性を持ち合わせていても誰も気付かないだろうし個性の生かし所が無くなってしまう。
そんな風に自分の可能性を閉じ込めてしまうのは、個性が死んだも同然だと思う。
最後に…
世の中の全てを受け入れるのは難しい。本当に難しい。
でも、だからって最初から否定するのはダメ。
せめて、知らない事を知ろうとする努力をしてほしい。
私は色んな事を知りたいし色んな人と繋がりたい。
そうやって個性を広げながら自分探しでもしてればきっと楽しくなるはずだ。