ブルー・ストーン第八話 「崩壊と逃走」
まず、僕は工場地帯を観察し、身体の感覚野を研ぎ澄ます。
僕の感覚の届く範囲には、崩れたコンクリート。剥き出しになった鉄骨。割れたガラス窓。千切れた電気ケーブル。辺りに流出したオイル。恐らく工場の生産ラインで長らく稼働していたであろうマシン。粉々になった木屑。有機の焦げた匂い。マシンオイルの匂い。それらが無尽蔵に佇んでいる。
「よく見ると、悲惨な状況だね。ひとまず、あそこの建屋に入って調べてみようか。」
「えぇ。」スイは静かに了解した。
スイの緊張が僕にも伝播してきている。生命の感情というものは、電波のように周囲の生命へと接続されているのだろうか。僕もスイと同じ緊張を抱えている。でも僕たちには現状を確かめる必要があるのだ。
周囲を警戒して歩き始める。目指すは、地上に出てすぐの工場だ。直線距離にして僅か10m程度のところだが、足元に散乱した瓦礫を迂回して進む必要がある。
「歩き辛いな...」弱音。
仕事の関係で、よくガラクタの山を登る事があるが、ガラクタの山に比べても歩きにくい。というのも、所々で鉄筋が刺さったコンクリートや鋭利な金属片を避けながら進む必要があるからだ。ガラクタの山の場合、危険と呼ぶには十分なのだが、これほど足元に注意を払う必要は無いのだ。
工場の入り口にたどり着いたのは僕が先だった。
「大丈夫かい?気をつけてね。」
「えぇ。ありがとう。」
遅れてスイが到着する。
「さぁ、中へ入って調べてみよう。」
僕たちは、中へと足を運んだ。
「暗い。あまり見通しが利かないな。」
恐らく受電設備もやられてしまったのだろう。照明はどれも消えてしまっている。目が慣れるまでは、手探りで進むしか無かった。
「スイ、僕の服を握っていてくれないか?ここは暗すぎる。とにかく壁伝いに歩こう。」
返事はなかったが、僕のコートの後ろの方で引っ張られる感じがあったので、ちゃんと握ってくれたことが分かった。僕は空いた手の方で壁を探り、それに伝いながら進んだ。足元には所々で段差があり、転びそうになる。それに、ここにもガラクタが散乱しているようだ。時々つま先に硬いものが触れる感触があった。
しばらく、壁を頼りに歩いていると階段があったようで、僕は転げる。脛を階段の角にぶつけてしまう。僕はなんて鈍臭いやつなのだろう...静かに転げたので大した痛みはないが、僕が転げてしまったのに続いてスイも転げた。
「痛ててて。ごめん、階段があったようで気がつかなかった。どこも痛まないかい?」
「大丈夫、尻餅をついただけだから。」
「そう、じゃあ進もうか。」
階段を登る。階段は踏み幅が狭く、この明かりの殆んど無い環境下でそれを登るのは思いの外過酷だった。それに、スイはまだ僕のコートを握っているので、彼女に合わせながら登る必要があった。
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「とりあえず2階に着いたようだ。」
階段をようやく登り切ったところで、崩れたコンクリートの壁から明かりが差し込んでいた。壁に開いた、縦300mm程度の穴から外を覗くと島の少し先まで見渡せた。どうやら、見渡す限りの範囲でも同じような光景が広がっているようだ。煙が立ち上っている工場も幾つか見えた。
「スイ、恐らくラザファクシマイル全体で何かあったんだよ。」そう言ってスイにその穴を覗かせた。
スイは小さく口を開いたまま僕の顔を見た。しかし何も言わない。何も言えなかったのだろう。
「とにかく、何があったかますます知りたくなる一方だ。このフロアは下よりかは明るい。何か手がかりを探そう。」そう言ってスイの手を引いた。
そのフロアは30m×30m程度の工場としては小さな空間で、扉が前面に一つ、左右に二つあり壁面には突き出した鉄パイプと工具らしきものがぶら下がっていた。天井には埋め込み式の正方形の電燈が規則的に並んでおり、コンセントケーブルもいくらか天井から垂れている。床面にはアルミ製と思われるグレィの棚がいくつも倒れている。直立しているものは一つとしてない。そして部屋の中央部には大きな作業台が置かれてあり、作業台の四隅には万力が固定されている。恐らくここでは、ロボットが仕上げた製品を人間が手直しするためのスペースなのだろうと思った。
ひとまず床に散乱した棚を調べる。棚は3段の引き出しがあり、どれも鍵が掛かっている。幸い中身が飛び出していないので比較的歩きやすいのはこのためだと分かる。
「ちょっとこの棚の中身を確認しよう。さっき壁に工具がかかっているのが見えたから取ってくるよ。」
僕は壁に掛かっていた工具を調べる。壁には、プラスとマイナスのドライバ、モンキーレンチ、パイプレンチ、ニッパ、ペンチ、ラジオペンチ、スケール、ハンマ、弓鋸、グラインダ、電動ドライバ...などの凡庸的な工具が壁に刺さったボルトにそれぞれかけられていた。
ハンマとマイナスドライバさえあればこじ開ける事が出来ると思い、それを手に取りスイの元へと戻る。
「これで開けてみるよ。」取ってきた工具をスイに見せながら言った。
「どうやって?」スイは聞く。
「簡単なことさ、少し強引で申し訳ないけど。ま、見てなよ」
棚の引き出しに2mmくらいの隙間があったので、そこにマイナスドライバの先端を当てがう。そして、軽く押し込んだところでドライバのお尻の方をハンマで叩き込む。少しづつドライバの先端が食い込んでいく。そしてそのまま、てこの原理を利用して引き出しをこじ開ける。手の力だけでは開きそうになかったので、ドライバのお尻のとこをハンマでガツンと叩き込む。何度か衝撃を加えたところで引き出しが勢いよく開いた。
「わぁすごい!どうやったの?」
「どうやったのって、見ての通りだけど...あまり格好の良い事では無いよ、このくらい。」
引き出しの中身を確認すると、精密ドライバ、ボロ布、ラチェットレンチ、ヤスリなどの備品と工具類だけしか入っていなかった。わざわざ無駄なエネルギーを労してこじ開けるほどの物でもなかったと後悔。
「特にこれと言って、手がかりになりそうなものは入っていないね。まぁあまり期待はしていなかったけれど。」
「そうね。他の棚もしらべるの?」
「いや、恐らく他のも調べる価値は無いよ。」
僕は立ち上がり、左手に見える扉へと歩く。スイも黙ってついてくる。もうコートは握っていない。
「この部屋を調べてみよう。まぁ多分ここも何も無いだろうけど。」
僕は扉のノブを握り、それを回転させる。ノブは何度も何度も開閉された疲労により、グラグラと取り付けが緩んでいた。ギィと音を立てて扉が開く。中を覗くと、人影が素早く動きどこか物陰へ隠れていった...いや、勘違いかも知れない。
「今、人影のようなものが見えた気がしたけど...」スイに目をやるがスイは首を傾げるだけだった。
少し手汗をかいているのでズボンでそれを拭き取り、武器を強く握りしめる。
「どなたかいませんか?」僕の声はコンクリートに吸収されてしまっただけで応答は無かった。
「僕の見間違えなら良いんだけど、確かに誰かがいたような気がしたんだ。」
「私は見えて無かったけど...きっとコノハの見間違えだわ。」
「まぁいいや。」
ガタン。
部屋の隅の方で音がする。
僕とスイは顔を見合わせた。
「あの...どなたかいるのですか?」もう一度確認してみる。
...応答は無い
「僕たちは、この工場地帯の地下にずっと居て、外に出てくるとこんな事になってしまってて...そこに誰かいるなら説明して欲しいのですが。」ひとまず僕たちの状況を説明した。
すると、部屋の隅の方で物音があった。音の方には、大きめの棚の様なものがあり、その後ろからゆっくりと人影が姿を現した。
「助けて下さい...」人影はか細い声でそう言った。
「えっと...それはどういう事ですか?僕たちはこの状況を理解していなくて、何か事故が起きたんですよね?」
「違うんだ...これは、事故なんかじゃ無い。誰かが、仕組んだ事だ...また奴らは襲ってくる。」
「事故じゃないのですか?それに襲われるって、何に?」
「黒い警備ロボットに、あの無数のロボットの大群に襲われる...」
登場人物
コノハ・イサム:分解屋で機械生命体論者。
スイ:青目で少女の容姿をしたアンドロイド。”確定現象”を見るという不思議な力を持つ。20年間もの間ラザファクシマイルの地下に幽閉されていた。誰が何の目的で彼女を産み出したのかは不明。