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共感覚者同士は馴れ合いが苦手?

共感覚の発信をしていると、当たり前だが共感覚者だという方、お子さんが共感覚者という方などと話をする機会がある。私としてはとても光栄なことで、自分の発信でなにか気づきやつらいことが軽減されたならうれしいし、困っていることがあれば聞きたいと思う。

この一連の活動に嫌悪感はもちろんない。しかし、そんな私でも「ただの共感覚当事者」となったときに、ずっと苦手と感じることがあるのだ。

それが共感覚者同士で輪を作り、馴れ合うこと。

もともとグループに属することが得意ではないが、共感覚においては特に苦手意識がある。中にはまだスピリチュアルや能力者と言っている人が混ざっていることでの考えのずれが生じるであろうこと、それもあるがほかにどうして苦手なのか考えてみた。

おそらく、共感覚というものが当事者ひとりひとり全く同じではないためだ。そのため感じているものへの「違う」が、きっと苦手に感じてしまうのだろう。

例えばだが私は数字の4が赤色に見えているが、前に共感覚に関するエッセイのようなものに「その人の中では4は青だったかだから、別の色になると気持ち悪い。」ようなことが書かれていた。

全く同じ感情を持つので、心情としてはとても共感するのだが、私の中の4は赤だから、そのエッセイの文章自体が違和感があるのだ。

共感覚は本当にその人によって細かく細かく違うから、集って自分の共感覚を話しても気持ち悪くなるだけなんだろう。

ただ、自分の共感覚と向き合い深く知ることは当事者としては気持ちが楽になると私は考えるので、大変な部分や、こういった気持ち悪さがあるときどうすればいいかなどの意見交換の場ならいいのかも…しれないけれどやっぱり苦手だなと感じてしまう。ダメだ。

当事者のご家族の集まりならいけるかもしれない。いや、そもそもグループに属する必要はあるか?左利きが左利きのグループに属して何かを話し合ったことはあるか?少なくとも私にはない。違うんだ、特別視するでは先に進めない。ああどうすれば。私の認識は、右利きと左利き。共感覚がある人とない人。それくらいまで落としていきたいのだ。

特別な才能などとうたわれる共感覚を個性として考えるそんな社会にするために、適切な伝え方を今一度考えよう。

※今日は悩みながら書いたため文章が支離滅裂な部分もあることをお詫びしたい。

山口葵


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山口葵|共感覚を言葉と絵で伝えるアーティスト 表現者
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