「人生のようなカレー」と29年前の自由研究
いつもそうなのだけど、私の場合「こういう設定にしたら新しいだろう」とか、新奇であることを狙って設定やストーリーを作らない。
題材やモチーフが語りかけてくるもの、そこから自然発生するものを注意深く追っていたら、結果として表面的には奇抜な設定になった、
というのが本当のところで、その順番というか過程が大事だと思っている。
表面だけで奇抜さを狙って作ったものは、浅い伝わり方しかしないから。
前作の「レペゼン母」もそうで、変わった設定を書こうとしたのではなくて「自然とそうなった」