のこしたいモノ

親はいつから親になるのだろう。
命はどこから来るのだろう。
親とはどのような存在なのか、
子供とはどのような存在なのか。
親とはどうあるべきなのか、
子とはどうあるべきなのか。
親としてどう在りたいのか、
混沌とした世界でおやこのみちを考える親子道を提唱しています。

はじめましての方もふたたびの方も
お立ち寄りいただきありがとうございます♪

寒暖差がますます大きくなって、体調管理が難しい季節がやってきましたね〜。
昨年からの流行り病で、スッカリ世の中の常識までもが様変わりですね。

「子供はかぜのこ。上手に風邪をやり過ごして、自己免疫をつけていきましょう」は、もう古い考え方なのでしょうか…。
目に見えないほどの小さな小さなかぜのもと。
間違えることなく原因だと特定できるってすごいですよね。特に最初に特定してくれた方々。海辺の砂浜に落とした1粒の極小ビーズを色も形も落とした場所すらわからないのに見つけられたというくらいのすごいことだと思います。
かぜのもとに負けないように対抗するためのお薬やワクチンを開発してくれた人達の迅速さは、すばらしい。
先人の知恵、人と人の生み出したコンピューターの共同作業なくしては成り立たないことだと想像します。

科学の力と賢い人に感謝です。

なぜこんなすごいこと。人はできるようになったのか…。
それは、伝言ゲームの力だと、私は思うのです。

子供は貪欲です。成長するということは何でも吸収することだと言ってもいいくらいじゃないでしょうか?
食べ物も知識もどんどん取り込んでいく。どんどん、どんどん。
なんでだろう。自分を満たしたいのかな?お腹も知識もいっぱいにしたいのかな?

人は体と心と知恵を持っていてそれぞれに器があるのだと表現されることがあります。器の中身が少ないと感じているうちは、一生懸命に満たすための行動をする。満たされて溢れ出てきたときや、入っていることに、量に関係なく満足を感じたとき、周りの人に分け合うことができるようになるのだと言われています。とてもうなずけますし、心当たりもあります。

また、歳を重ね命の終わりを感じ始めると、人は持っていたものを大切な人に譲りたくなる…。まるで自分自身を預けるかのように。

知識も技術もそうやって、先人たちは集めに集めた知識を、我が子同然に可愛がっている若者に余すとこなく伝えてくれた。その伝承の連鎖が今の最先端に繋がっている。まさに伝言ゲームの最先端。

沢山の発明、発見があって、それら知識もまた、我が子なのだとおもうのです。気にかけて、目をかけて、手をかけて、時間も愛情もかけて親の期待もたくさん注がれている。その集大成の知識は我が子そのものと言っても過言ではないでしょう。
男でも女でも性別なんて関係ない。すべての人が、その人が生きた証の知識知恵を持って伝承している。

自分がした苦労は我が子にはさせたくないという、親心もそこには見え隠れしている。

血が繋がっていてもいなくても関係ない。誰かの知識知恵は誰かの子でありそれを受け継いでさらなる発展をさせていくとき、それはいつの間にか大切な我が子になっている。

子供ってなんだろう…
親ってなんだろう…

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