八木義徳「命三つ」を読んで
Robohands - Green [Full Album]
先ほどユーチューブ動画を漁っていたらオススメに出てきた。こういうAIに先読みされる感じは嫌いだけど、良いものは、良い。聴きながら。
八木義徳の名前を知ったのもユーチューブ動画から。
「苦肉祭チャンネル」で居島一平さんが散策する動画のなかで紹介していたと記憶していたがなぜかその散策動画自体がなくなっていた。削除したのかな。簡単にこの私小説家を説明すると、1911年生まれ1988年逝去、昭和19年芥川賞を受賞、その当時は中国戦役に出ていた。妻子がいたが東京大空襲でいずれも焼死したそうだ。さまざま活動したものの売れず、再婚した家族とともに亡くなる前の20年ほどを東京都町田市の公団住宅で過ごした…。
居島さんが紹介したときもパッとせず…みたいな感じで冴えない中年の売れない私小説家なんて暗い大したこともない内容なんだろう、とタカをくくりながら、しかし太宰治、葛西善蔵、嘉村礒多、最近では西村賢太と、私小説家は好きなので気軽に情報として読んでおく気になって図書館でこの本を借りた。
さて、ツイッターのタイムライン、TLで「名刺代わりの小説10選」というハッシュタグが回ってきたので私もやってみた。自分を理解してもらうために自分が読んで良かった、と思った作品だけではなく「現時点で私が興味ある作品」「比較的マイナーな、いろんな人に知ってほしい作品」というコンセプトで書いた。なので「完訳 紫禁城の黄昏」は「満州国は日本政府が溥儀に傀儡のため頼んで皇帝にしたかのように日本の歴史では記しているが溥儀から頼まれて仕方なく据えた」という趣旨のことを参政党の人から聞いて確かめたくなった、私個人で言えば参政党という国政政党を支持している、というアピールをするためにここに載せたので、1887年頃西太后が光緒帝に形ばかりの親政を許したくらいまで、最初のほうしか読んでいない。そして家庭用安心坑夫のほうは芥川賞候補作品に挙がり、あらすじを知って興味を持っただけでまだ1ページも読んでいないw 鈴木大拙なんて作品ですらなく、この人を巡って仏教や宗教への興味に導かれた端緒という意味だし。五分後の世界は作品そのものでなくその状況、すなわちウクライナ紛争から台湾有事、そして日本が中国に侵略された場合を考えたときこの作品が浮かんだ。ペンギンの憂鬱は(https://note.com/aoisoma/n/n5e10b7adc12a)他に日記として書いている通りだがウクライナの状況からこの作品を知ってほしかった。夜と霧は死生学を教えてもらった途上で読んだ。枯木灘はあの世界観を知ってほしいのと主人公秋幸の父の最後のほうのセリフのインパクトが忘れられない。もし八木義徳さんを知っていたら、作品というより名前として載せていたかなぁ。
八木義徳が亡くなる2年ほど前に文芸誌に掲載された短篇6編を集めたこの「命三つ」を初めてまともに読む本として選びたかったか、というと違うかな、と言いたい。上に簡単に紹介したところでは、私としては東京大空襲でなくした妻子への思いを、現在の私の年齢と近い当時に記した作品があればそれを読みたかった。当然私は75歳ではないし、この短篇にいくつか出てくる主人公は65歳だったりする。それよりも私のほうがさすがにずっと若いw そもそも老齢で記した作品は庄野潤三を挙げるまでもなく、若輩者には届かない「軽み」の境地に達していたり「達観」が通底しているのでその作品を真に理解できない、自分の心に引き寄せられない挫折感をどうしても味わうことになる。
と、この作品を読み始めた段階ではある程度身構えていた。
しかし、だ。今振り返ってこの6編を再度かみしめてみると「もしかしたら死ぬ前に見る走馬灯をそのまま書き残したかったのではないか」という気がしてくる。八木義徳は大きな個人病院の院長をしている父の愛人から生まれた庶子であり、父に抱かれたことはない。そういう生い立ちをモロに振り返っている感じ。そしてやっぱり前の戦争での記憶。そのことが表題作「命三つ」で語られるのだが、そこに載せられた俳句が素晴らしいので載せておく。
深田湖南子(この人は小説家として当時有名だった深田久彌氏であり、従軍兵士を指導し、句集を出す中心人物となった)
芽柳に川迂回して橋弧なり
丘明るし菫の近に横たわる
ふるさとに似たる山あり遠霞む
頭の青き兵好もしき涼みかな
天日にわれ恥づるなし野天風呂
続いて岸田春生(作中主人公の戦友)
春雨や夕飼やらん牛の声
丘越へて又蓮華田を宣撫行
緑蔭の房子(ふわんず)の見えて道半ば
この素晴らしい句たちを紹介するのが私の今回noteに記した目的の一つでもあった。なぜ「命三つ」というタイトルなのか、はぜひ実際読んで確認してもらいたい。ここで一息…
最近このリキュールにハマっている。
このアイスボックスにリキュールを注ぎ込んで飲む。参政党を知って、食品添加物に以前よりうるさくなり、だいたい内容物表示を確認してから買うことにしている(アイスボックスは腹をくくって買うw)のだが、久保田のこのゆずリキュールは他と違う。他のリキュールはだいたい「醸造アルコール」なるものが入っている。薄めるためか味をごまかすためか分からないが、何となくイヤな気分になって手を取らない。このゆずリキュールにはそれが無いのだ。そして実際飲むと、ゆずのジュースのような飲みやすさはあるが、後味にしっかりと日本酒の風味がノドの奥から立ち上って来る。この感じが本当に爽快なのである。ああ、飲みたくなってくるが我慢…。
「走馬灯のようだ」ということを言いたかったのだが、その他の作品では以前肉体関係をもった女性との経緯が書いてある。その性的描写の妖艶なこと!死ぬ2年前の枯れた老人…なんてとんでもない!生々しいんだよね。そういえば詩人の谷川俊太郎が、父である哲学者谷川徹三の日記を亡くなった後に見つけたのだが、80歳を過ぎてセックスをしていることを赤裸々に、どのようなセックスをしたか、まで書いてあってどうリアクションしたらいいかわからない、と言っていたと記憶していたが、まさに私の両親のことも去年父から聞かされたので老人の性事情を聴くと「醜い」「たくましい」「生命力」…ものすごくモヤモヤするw ただそのモヤモヤを思い出させただけでも八木義徳の筆力が確かだ、という証拠にもなるわけで。
庶子である生い立ち、従軍の思い出、妻には言えない浮気、そして他にはちょっとした失言から関係が断絶してしまった知人への後悔…人には言えない、言いたくないことを、ここで書いておこうか、というスキャンダルを見ているような陰鬱な喜びを味わわせていただいた。そのスキャンダル性から、もしかしたら私小説なのに主人公の名前を変えて三人称で書いた作品だったのかもしれないな。
だから八木義徳という私小説家はもっと評価されるべきなのである!別の作品も読んでみよう。いつか私の知りたかった彼の内面がうかがえるかもしれない。ヤクルトスワローズの村上宗隆選手がホームラン50本間近だそうだ。松井秀喜以来となる。そういう注目される選手もいいけど、いぶし銀の選手もクローズアップしてほしいね。オリックスバファローズの宗佑磨選手のように…ええ、強引な紐づけですとも!