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高橋源一郎「今夜はひとりぼっちかい? 日本文学盛衰史 戦後文学篇」を読んで

時間を有効に使って、3日ほどで本を一冊ずつ読み続けるのがいいんだ、という大学院生の話を聞いた。必要な知識を積み重ねること、1日は限られているのだから効率的にやるべきことに充てること。素晴らしい心がけだ。ただ一方で、私は怠惰な人生を送ってきたので、とてもそんなことはできなかった。かつては朝8時からお天道様が燦々と降り注ぐ間は外で肉体労働をし、夜、食事を軽く済ませたあとに小説を書く、疲れたら眠り、また翌朝は肉体労働…という濃密な時間を過ごしたこともあった。それも結局数か月だったけれど。今は、と言えばもっと身勝手に読みたい本しか読まないし、やりたいことしかしたくないし、していない。ただそれは身勝手というより、ある程度自然にやりたいことが目の前にやってきてそれに対峙するだけ、というような、あるがままの自分を受け入れている感じで心地よい人生を過ごしている。あ、そういえば本文のなかで「人生なんて本当に意味がない」といった言葉があったのだが、翻って見つけられなかった。「非常時」だとか「あの時」だったり「目まい」だったり「戦災」だったり、そんなキーワードは出てくるのに。

NHKラジオ第一で金曜日の午後9時5分頃から始まる、高橋源一郎の「飛ぶ教室」というラジオ番組を去年の春あたりから聴いている。もともと高橋源一郎のファンで「日本に生きている小説家のなかでいちばん本を読んでいる人で、いちばん素晴らしい小説を書く人」と考えている。後者は私の思い込みだが、前者はそんなに外れてないように思う。そういう意味では、高橋源一郎はもっとも時間をうまく使って本を読んできた人と言えるだろう。

そんな「いちばん本を読んでいる」人に私はかつて自らの短編を手渡したことがある。もしかしたら読んでくれたのかもしれないし、他の人が同様に渡した原稿に埋もれて読まれないまま放置されたかもしれない。いずれにしても、私のその小説についてリアクションを得ることはできなかった。ちなみにタイトルは「バファリン」。

喉が渇くのです。
パリ、コリ、ポリ。
フリスクを齧りました。当たり前のことですが、齧ることで何か新しい物語が生まれるわけではありません。
口のなかが綺麗になっているわけでもなく、きっと単なる気休めなのでしょう。
わかっているけれど、そうせずにはいられない、いや、口臭を気にしなければならない強制のようなものを感じ、それを易々と受け入れているわたし、がいて……そこまで取り留めない考えごとをしているとふと鏡の前で笑いたくなりました。
ヘッドフォンを耳にかけ、ウォークマンを聴きながら家を出ます。
余計な音は聞きたくないのです。「くるり」の「ばらの花」が流れていました。
 
安心な僕らは旅に出ようぜ

何だか最近どんづまり、な感じ、を覚えるのです。
別に悪いことが起こった訳でもありません。両親も健在だし、友達が死んだ訳でもない。
交通量調査のバイトをしててお金にも困ってもいません、取り敢えずは。
ただ、以前よりも青空、夏間近の、濃密な空気のなかを薄い雲が刷け流したような青空が心を乱すのでしょう。

思い切り泣いたり笑ったりしようぜ


こんな出だし。ウォークマンという単語が出てくるあたり、もうずっと昔になってしまったなぁ、と感慨深い。太宰治に憧れて、これは彼の作品「駆け込み訴え」を念頭に置いて敬体を用いている。そういえば高橋源一郎「日本文学盛衰史」だと太宰の前、伊藤整の日本文壇史を念頭に石川啄木や夏目漱石らを出して、確か先生と小説家志望の女生徒との恋愛も絡んだ「ブンガク色」の強めな作品だったが「戦後文学篇」(以下この短縮形でタイトルとする)だと太宰の斜陽が書かれた年代やいくつかトピックとして述べてはいるけれど、内田裕也の東京都知事選挙候補者演説とかもっと言ってしまうと2011年3月11日を迎えて「非常時」の作品と変化する。

やっぱり喉が渇くのです。
バイトで知り合ったユースケにその話をすると、マンション建設現場のプレハブ小屋のなかで(新しく出来るマンションのための交通量調査なのです)、彼はマスクを外しながら「排ガスだよ、それ」と嘲るように笑う。それが彼のクセなのです。
こっちも的を外された欠乏感を抱きながら、そういうものか、と笑い返しました。
辞めてしまいたい。でも出来ない。それはわかってる。この年齢で、そんなワガママ言えたもんじゃない、一人暮らし、生活もかかってる。何もかも当たり前のこと、ただ時々、そんなすべてから解放されたい。
ごめん。グチったね。ただ話はここからなんだ。
日もとうに落ちた帰り道、線路に沿って歩いていると、音がしたんだ。
驚いて見ると、男が一人、歩道を埋めて並んだ自転車を蹴って将棋倒しにしてはまた起こしている。
思わず笑っちゃったよ。ただ、そいつの奇妙な振る舞いに、ではなく、その時のぼくの願いや、悲しみや、ほんの少しの希望や、つまり、いや、何もかもゴッチャにした全部、そいつが表現してる気がしたんだよ。
「何?」
ぼくより5つは若いでしょうか、肌寒いだろうにTシャツの上に着た長袖シャツの前をはだけた男はぼくと目が合うと睨みながらそう言いました。
ぼくは笑っちゃいました。こいつの全部が無性に可笑しかったのです。
「何笑ってんだよ? 」
ぼくはそんな男の凄みを効かした雰囲気にたじろいだけど、すぐにまた可笑しくなって答えたんだ。
「……」
男はまた自転車を蹴り倒した。
ぼくは駆け寄って男の自転車を起こすのを手伝った。
男は一息吐くと(それはため息のようでもありました)、ついてこい、とぼくの返事を待たずに歩き出しました。
それがクロキとの出会いでした。


昔書いた作品を読み返すと「そんなに悪くないじゃないか」と思ってしまう。あれだ、自分で調理して作った料理は美味しく感じる法則だ。これは今からどれくらい前に書いたのだったか、20年近かったかそれとももっと前だったのか。「戦後文学篇」では「時震」であるとか「経験する前の時点で経験していたかのように思ったあの時」であるとか、時制が乱れることがあったのだが、私の場合は単純に物忘れだ。ここで東日本大震災当時を振り返るが、正直言って私は高橋源一郎のような衝撃は無かった。それだけその当時の生活にアクセクしていて事象、時間はただ過ぎゆくだけだったからかもしれないし、小説家志望に似合わない細かいことに気づけない浅学無才の露呈だったのかもしれない。あと「戦後文学篇」にはその態度として
⑴なにか現実的なことをする
⑵なにもしない
⑶⑴以外のことをする
この三つの選択肢を出していたが、私は⑵に近いというより⑵なのだけれどもそうも言えない、という感じ。つまり地震直後は震度4という揺れを体験し電子レンジのボタンを押す部分が少し外れたりしたし、計画停電や電車が間引き運転されたせいでラッシュを経験したりして自らも「被災者」という意識もあるが、津波や原発のメルトダウンに関しては911テロと同じくテレビで何かショーでも観ているような傍観者だった。そして「何がなんだかわからない、目先の生活を続けるしかない」という日常に自分の身を置くことしか考えていなかった、というのが素直なところではなかったろうか。最低限、友人の実家が仙台にあるということでエネループを送った記憶はある。寄付はしなかった。

何かグダグダなんだよねぇ。上手くまとまらないっていうかさー今すぐ投げ出したいけど、実はこういう状況に満足してるから文句の一つも出ちゃう。
アンヴィヴァレントさがイヤなんだ。何のために俺たちは生きてるんだろう?
クロキと入った居酒屋で、ダブダブのパンツを履いた足をテーブルの下で無造作にこちらに投げながら、酔った彼がそう言うのでした。
ぼくが答えると、
「違うよ」
言ったきりクロキはグレープフルーツをアルミの絞り器に押し付けました。
手がべとべとするからグレープフルーツサワーなんて嫌いだ。

バカみたいなことばかり書きました。
いつもはぐらかされてる気がする、あなたが時々ぼくに言っていた言葉を思い出しました。
こういうことなのかも知れません。でもさ、あなただって……。
いや、もう今さらなんだよね。わかってる。いや、わかってないからこうやってメールしてるんだね。当たり前のようにあなたは答えてくれないけれど。
もうきっとあなたはどこかの誰かと幸せになっているのでしょう。
ぼくだっていいひと見つけたよ。あなたよりカワイくて、優しくてさ、もう最高だよ。

「嘘だろ」
クロキが平然と言い放ちます。
しっとりしたでも風の冷たい夜気を吸いながら、クロキは、放置自転車の一台をやわらつかみ、コンクリートで脇を固めた川に投げ込みました。

その悲しみの如きもの
そう名付くほか寄る辺なき
吹き溜まりの如くなる
抵抗、胸中にあり


やっぱり太宰で「人間失格」をパクってるところあるよね。クロキって堀木だよね。あれ?いなかったっけ?そんな人。振り返ってみると、こういう昔の自分の姿から気づくこともあって。つまり、高橋源一郎は「戦後文学篇」ということで、その当時の「いま」起こっていることを「ブンガク」として読み取ろうとしているわけ。内田裕也、東日本大震災を出したり、それを考えるために石坂洋二郎や東京大空襲後の焼け野原を出してきたり。でも私は、太宰治なんだよね。もちろん中上健次とか村上春樹とかそれこそ高橋源一郎だって読んだ。綿矢りさや柴崎友香だってすごいって思った。いしいしんじだって戌井昭人だって…。でも太宰なんだ。私が私の言葉で小説を書こうとすると、太宰治になるんだ。それって何だろう?70年も前に生きた人の小説を模倣しようなんて。

「クソッタレ」

橋のたもとの脇からのびる楔型に打ち込まれたハシゴを伝い、クロキがその小さな川に下りました。わたしも後に続きます。
思ったより流れる水は綺麗で、街の明かりにテラテラと光っています。
クロキは半分ほど川に浸かっていた自転車を持ち上げると、もう一度川面に投げ込みました。
ベルの半球が落ちました。
何度も叩きつけます。クロキの額から汗が滴ります。
わたしもそんなクロキに近づいていって何時しかその作業に手を貸して繰り返し、自転車をつかんで下に投げ落としていました。
サドルが落ちました。車輪が少しだけ歪みました。跳ねた水で上着まで濡れました。
クロキは歪んだ車輪からスポークを取り出し、頭上に掲げました。
 
瞑目する暗夜に映る迷妄
音楽に合わせ無心に踊る自身の姿
冬に花火を灯すような宴
導かるるは、女
 
昨日あなたの夢を見ました。
あなたにはもう新しいカレシがいて、「幸せかい?」わたしが尋ねると、あなたがうなずく、ちょっと困ったような顔をしています。
何だかお日様が向き合うわたしたちを温かく照らしててさ、もうそれで何もかもおしまいってカンジだったよ。

失うもののみ多かりし
歳月、されど忘れがたし
星を噛み、霜を砕く
懶惰の……失われた青春? て何?


懶惰のカルタっていう太宰の短編から「懶惰」っていう言葉が好きになった。いまだって、新しく覚えた言葉は好きで使いたくなる性分。ボトルネックを「ボトムネック」と覚えてたのは恥ずかしかったけれど。プラスティックとプラスチックの違い、のようなもの、とは寛恕いただけないかw 青春だって逆の意味でそうだろう。古すぎて使うことが照れ臭くなるような言葉をなんとか新しく意味づけようとする試み?アオハルって言葉が出てきたときは「やられたぁ」と思ったものだ。そういう意味では、ここに登場する「あなた」という言葉もただ元カノってだけじゃなくて、「駆け込み訴え」が頭にあるので別の、そう「神様」でもあります。愛で受け入れてくれる存在、罪を告白し、許しを与えてくれる存在だ。小説というのは一歩引くと恥ずかしいキザなことをいかに没入させて読ませるか、というところがミソなのかなぁ。結局一番没入しちゃってるのは最初の読者でもある作者であって、その距離感を今でもつかめてないのは間違いないな。最近ニコニコ生放送というストリーミング放送サイトで放送している一般人「ニンポー」という人が気になっていて、41歳で19年間引きこもっている男なんだけれど、昨日も歯磨きをしながら途中で寝てしまってそして何事もなかったように起きだして結局数十分かけて歯を磨いていたのだけれども。精神疾患で手帳を持っていて、映画を5000本観たと言いながら相席居酒屋も知らなくて。孤独死がイヤだからと可愛いと聞いた女性生主は手あたり次第会おうとする。今日も20歳の可愛い女の子と筑波山に登ろうとするんだけど30分も経たないうちに、半分も登らないうちに息が切れてリタイア下山。とても情けないんだけど、周りからは気を遣ってもらえているんだ。気に入った女の子への口説き文句が寺山修司の引用だったり。またこの人のことは上手く説明できる機会があるだろうけれど、要するにこの人は太宰治なわけ。人間失格なんだよね。病弱で薬を飲み、何かあれば「ぼくが傷つけてしまった」と泣いて後悔するがその翌日には別の可愛い女の子とニヤニヤしながら道化を演じる。まさに恥の多い人生を送る人は、滑稽なんだ、コメディなんだ、と気づかせてくれる。

本音を言おうか。
あなたがいつも返事をくれないから、こんなどうしようもない詩を書き連ね、一人笑うんだ。
ほんと、どうしようもない。
やり直そう、そう言いたいのか? 言って欲しいのか。
そんな訳ないだろ、お互い連絡も取り合ってないんだ。
未練たらたら、まあそんな素振りを見せれば女はそれだけでも優越感を覚えるものだ。
バカだ、俺。もうダメだ、なんてあなたに甘えようとしても、もう応えも帰ってこない。
わかってる。
諦めて舌を出す。持ち合わせの金もない。
預金も家賃と光熱費の分を差し引くと給料日前でほとんど残ってない。
昨日の夜、棚の隅に眠っていたチキンラーメン五個入りパックの最後の一つを啜っちまった。バイトに行くのもウザくて、腹が痛くて早く起きた、朝からずっと部屋にこもりきり。
ユースケから何度かメールがあったけど、とりあえず無視。
明日給料が振り込まれる。そしたらメシを奢ってやろう。
そう言えばアイツも言ってたな、フリスクで空腹をごまかせる。一瞬だけどね。
クロキだっけ。
ああでも今はその一瞬が欲しい。
けどフリスクもねぇ。頭が痛くなってきた。そうだ、ゆっくりとわたしは立ち上がる。
食器棚の下、引き出しを開け、せんべいが入っていたアルミ缶のフタを両手でこじ開けた。
小さな紙の箱から指の先大の粒を二つ、タブレットを銀の包みから押し出す。

パリ、コリ、ポリ。
パリ、コリ、ポリ。パリ、コリ、ポリ。ポリポリポリ、コリ、ポリポリポリ。

奥歯で噛み砕く。
喉が渇いているのか、奥の方でざらざらしてうまく胃に入っていかない。
口のなかでツバを集め、飲み込む。
水で嚥下するのは簡単だけど、それじゃ、食べる実感が湧かない。
何やってんだ、俺。
舌がバファリンの砕片で白く覆われている様を想像する。


ここで「わたし」ではなく「俺」としたのはそれがしっくりきたからで。かしこまっていた自分を唾棄する心情の表れ、と言えばそれっぽいかな。結局私もナルシシストの名のもとに、太宰治になりたかった、というより、太宰治がいちばん「しっくりくる」。日本人でコンプレックスを抱いていた男でよくあるでしょ?「こんな僕でもいい?」というネガティブ要素から女性を口説こうとする人。あれって全部太宰治に集約されているように思う。最近マニュアル人間の元祖は団塊の世代だ、と教わった。ハウツー本やらマニュアルで行動する人たちのことね。バブル期は「女の子との付き合い方」で赤坂プリンスホテル「赤プリ」にホテルを予約して誘う、なんて文言があったとか。「戦後」という言葉、戦後が終わった、という区切りについても「戦後文学篇」でどこかに書いていたようにも思ったのだが、どこかわからなかった。高橋源一郎の文章は探しやすいと思っていたのだが、実際一つも引用できない。これが彼の作品の本当の難しさかもしれない。宮崎駿へのインタビューとか武田泰淳の話、ブントやサルトルあたりまで戻ってもダメだった。冒頭のミツハルっていうのが金子光晴だと誤解していたことをここで思い出したw 
で、何を言いたかったかと戻れば、マニュアル人間の元祖団塊の世代の人たちって、要するに田舎者なわけ。田舎者は都会に来て、コンプレックスを抱く。ダサいもの。そんな人たちのマニュアルに「卑下すること」が組み込まれたんじゃないかな、と言いたいのだ。そしてそこから戦後が始まっているのなら、ああ、そういえば「戦後文学篇」でもいくつか「戦後の終わり」の区切りが示されていたけれど、私の実感としてはどうだろうか。実際前の戦争に出征した人が死に絶えればそこで戦後の終わりと言っていいのだろうけれど、在日米軍基地がそこかしこにあって、そういう軍事的な占領が続いていると見なせばまだ実は日本は戦後が終わっていないのだが、それでもどこかで「いい加減戦後ってもう古いでしょ、合わないでしょ」という感覚はあってそれはマトモと言えるでしょう。1989年のバブル崩壊か、1995年の地下鉄サリン事件か、2001年の911テロか、2011年の東日本大震災か、はたまた去年からのコロナウイルスのパンデミック?私のなかではやっぱり現在進行形のほうが身に迫って感じるからコロナウイルス禍の今かな、と思う。つまり今までは「平時」であり、去年から「有事」に時代が変わったことを肌で感じているから。そういう意味では自分が今まで生きてきた「戦後」という時代はナンダカンダ穏やかで平和だった。これからは違うぞ、という明確な空気を感じる。だからもう、コロナウイルスがパンデミックを起こす前には戻れないんだ。ペストの時代は数年経てば黒歴史認定して記憶を封印という形で忘れる、という説もあるらしいけれども。

そのときでした。急に温かい光が差し込んでくる気がして……そんなもの、あるはずもない。全部閉めるのが面倒で、いつも窓の半分だけを覆っているカーテンの脇から入ってくる、なんだか外に出なければいけないような強い、朝ぼらけには強すぎる陽光が擦りガラス越しにまぶしいだけの、ああ、これはこれでアリなのか、いや、ナシだよ。
その陽光が神をも切り裂くような突起に見えるとでも? 
最後に癒やしを持ってこようとする魂胆がイヤシイ。けど……やっぱり気づかされたのです。その、何もない、そのなかに、なんだかふわっと真理、何て大げさなモノが隠されているような……つまり、嬉しくてさ、バイトもサボってバファリンなんかメシ代わりに食べてて、モトカノに未練たらたらメール送りまくって返事も来なくてどん詰まりでこんなこと言うの、ゼッタイ変だけどさ、あ、ゼッタイって口癖、嫌いだったね、ゴメン。
いや、とにかく逆ギレみたいなもんだけど、嬉しかったんだ。
何か全部どうでも良くなってさ。
悪い意味じゃなく、そう、何やっても赦される、何やってもいい、そんなどうでも良さ、なんです。こういうふうに書くと矛盾してるみたいだけど。
いったん腹に入れてみる。
吐き出すのは、怒りでも喜びでもなく、矜持。

わかってくれるかな?


これで最後。「バファリン」全編お読みいただきありがとうございました。「完」

…では終われない。私の小説の宣伝をしたかったけれどもw いや、数十年前の小説の宣伝をしても、それこそ黒歴史をほじくり返す恥の上塗りというやつだ。ここは口直しに、高橋源一郎の素晴らしい本文を引用して誤魔化そう。

P283(講談社単行本版)
あなたたちの顔を見る最後の機会に、一つだけお話をさせてください。それは『正しさ』についてです。あなたたちは、途方もなく大きな災害に遭遇しました。確かに、あなたたちは、直接、津波に巻き込まれたわけでもなく、原子力発電所が発する炎や煙から逃げてきたわけでもありません。けれど、ほんとうのところ、あなたたちは、もうすっかり巻き込まれています。なぜ、あなたたちは『卒業式』ができないのでしょう。それは、『卒業式』をしないことが『正しい』ことだといわれているからです。でも、あなたたちは、納得していませんね。どうして、あなたたちは、今日、卒業式もないのに、いささか着飾って、学校に集まったのでしょう。あなたたちの中には、疑問が渦巻いています。その疑問に答えることが、あなたたちの教師として、わたしに果たせる最後の役割です。
いま『正しさ』への同調圧力が、かつてないほど大きくなっています。凄惨な悲劇を目の前にして、多くの人々は、連帯や希望を熱く語ります。それは確かに『正しい』のです。しかし、この社会の全員が、同じ感情を共有しているわけではありません。ある人にとっては、どんな事件も心にさざ波を起こすだけであり、ある人にとっては、そんなものは、見たくない現実であるかもしれません。しかし、その人たちは、いま、それをうまく発言することができません。なぜなら、彼らには、『正しさ』がないからです。幾人かの教え子は、わたしに『なにかをしなければならないのだけれど、なにをしていいかわからない』と訴えました。だから、わたしは『慌てないで。心の底からやりたいと思えることだけをやりなさい』といいました。彼らは、『正しさ』への同調圧力に押しつぶされそうになっていたのです。
わたしは、二つのことを、あなたたちにいいたいと思います。一つは、これが特殊な事件ではないということです。幸いなことに、わたしは、あなたたちよりずいぶん年上で、だから、たくさん本を読み、まったく同じことが、繰り返し起こったことを知っています。明治の戦争でも、昭和の戦争が始まった頃にも、それが終わって、民主主義の世界に変わった時にも、今回と同じことが起こり、人々は、今回と同じことをしゃべり、『不謹慎』や『非国民』や『反動』を排撃し、『正しさ』への同調を熱狂的に主張したのです。『正しさ』の中身は、変わります。けれど、『正しさ』のあり方には、なんの変わりもありません。気をつけてください。『不正』への抵抗は簡単です。けれど、『正しさ』に抵抗することは、ひどく難しいのです。
二つ目は、わたしが、今回しようとしていることです。わたしは、一つだけ、いつもと異なったことをするつもりです。それは、自分にとって大きな負担となる金額を寄付する、というものです。それ以外は、ふだんと変わらぬよう過ごすつもりです。けれど、誤解しないでください。わたしは、『正しい』から寄付するのではありません。わたしは、ただ『寄付』するだけで、偶然、それが、現在の『正しさ』に一致しているだけなのです。
『正しい』という理由で、なにかをするべきではありません。『正しさ』への同調圧力によって、『正しい』ことをするべきではありません。あなたが、心の底からやろうと思うことが、結果として、『正しさ』と合致する。それでいいのです。もし、あなたが、どうしても、積極的に、『正しい』ことを、する気になれないとしたら、それでもかまいません。
いいですか、わたしが、負担となる金額を寄付するのは、いま、それを、心の底からはできないあなたたちの分も入っているからです。三十年前のわたしなら、なにもしなかったでしょう。いま、わたしが、それをするのは、考えが変わったからではありません。ただ『時機』が来たからです。あなたたちは、いま、なにかをしなければならない理由はありません。その『時機』が来たら、なにかをしてください。その時は、できたら、納得がいかず、同調圧力で心が折れそうになっている、もっと若い人たちの分も、してください。共同体の意味はそこにしかありません。
『正しさ』とは『公』のことです。『公』は間違いを知りません。けれど、わたしたちは、いつも間違います。しかし、間違い以外に、わたしたちを成長させてくれるものはないのです。いま、あなたたちが迷っているのは、『公』と『私』に関する、永遠の問いなのです。

オリックスとロッテの三連戦、オリックスを応援しているのだが1戦目は3点リードの終盤に3ランホームランで追いつかれて引き分け、2戦目は5点差をつけられて負け、最後の三連戦目が今日、9回まで1点差で勝っていたのに、ヒギンス投手が二人連続ファーボール、2アウト2-3塁からヒットで同点に追いつかれ、2者連続ファーボールで勝ち越しを許す最悪の展開。野球に正解はないが、これは悔しすぎる…東日本大震災の高橋源一郎の先生としての演説が現在の状況にも通じる、とちゃんと言いたかったけれど、さすがに精神が挫けた。オリックスの負けグセを治す薬、ありませんかね?

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