「対岸の彼女」角田光代/読書メモ
個人的な創作の備忘録。
構成は「A(現代)フェイズとB(過去)フェイズの展開型」
村上春樹の「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」「海辺のカフカ」「1Q84」とおなじ。
とくに「対岸の彼女」は「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」に似ている。ラストで「Aの世界とBの世界が重なる」構造。
「世界の終わりとハードボイルドワンダーランド」(ファンタジー小説)は「ハードボイルドワンダーランド」の世界(の主人公の脳みそ=世界の終わり)に収斂される。
「対岸の彼女」はリアリズム小説で「現代」に物語が収斂される。
物語のへそ(ネタバレ)。
何も怖くなんかない。こんなところにあたしの大事なものはない。いやなら関わらなければいい。とても簡単なことだ。(しかし現実世界では、葵(小夜子)はそれに押しつぶされそうなのだ)247頁
周囲をぐるりと見渡してみれば、そこには本当に、なにひとつ葵にとって大事なものなどなかった。壁の向こうに手を伸ばしてまでほしいものなどひとつもなかった。248頁
葵のなかで、親しくなることは加算ではなく喪失だった。250頁
目を見張った一文
言葉を交わしているうちに少しずつ、彼女が殻を割りその割れ目からこちらをまっすぐ見据えるような感触があった。高校生のときの自分を思い出さずにはいられなかった。
おなじnoteをやっている読者に嫌われそうだが、書いておく。
このnoteの世界も「対岸の彼女」の設定の舞台と、物語のへそとおなじだとおもう。理由は下記、
物語のへそについて、
物語小説家(あるいはすべて表現者)としては、心に響くと思う。ただ読書を楽しむ。エンタメ作品として読書を楽しむ。だけではやはり響かない。表現者は常にマイノリティだ。世界(自分を認めない現実)からの拒絶が自分の作品を生む原動力になる。
表現者は、彫刻家であれ、小説家であれ、漫画家であれ、現実世界を拒絶することで強固な自分の世界(殻、物語)を構築する。
その、現実を拒絶して創りあげた自分だけの世界、つまり作品が、現実の世界に認められたときに、初めて、作家は世界と繋がるわけだ。
作家は世界と直接つながっているわけではない。
作家は、作品が、顔もしらぬ不特定多数の読者たちに認められて初めて、世界と繋がっていく。
現代のネット(SNS)社会では上記の形態が崩壊しつつあるのかもしれないが…
マクガフィン
いじめ(高校、団地)、旅行、掃除、主婦、手紙、指輪(プラチナ)、神奈川県、群馬県、海、川、対岸(理解できない友)
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