ぼくは漫画家になるのが夢だった / 20240812mon(2194字)
永井豪の初版を見て、感じ入るものがあった。
ぼくは永井豪は大好きだが、あの凄まじさは書けない。
なぜなら「世代ではない」からだ。
⑴のらくろ時代
⑵手塚治虫時代
⑶⑵の弟子、石ノ森章太郎(永井豪は石ノ森章太郎のアシスタントから)、梶原一騎、ちばてつや、藤子不二雄世代、
⑷ガロ系の時代(水木しげる、内田春菊、みうらじゅん、蛭子能収など)、
⑸少年ジャンプ(集英社)、マガジン(講談社)、サンデー(小学館)時代、
⑹ネット化で電子書籍(個人販売)時代
⑶は熱血時代といえる。自分を貫く。愛を貫く。正義を貫く。
⑷は語弊を覚悟でいえばアングラ(熱狂的なファンがいる)漫画だ。
ぼくは⑸の少年ジャンプ時代だ。ギャグ漫画《アラレちゃん》、《キン肉マン》などと⑶の潮流《北斗の拳》《聖闘士星矢》などが混在していた。当時の少年ジャンプは毎週一冊買うだけで五度も六度も美味しい時代だった。⑷の時代を過ぎているので、漫⭐︎画太郎の《珍遊記》《ジャングルの王ターちゃん》《すごいよマサルくん》などの作品が一緒くたに読めた。
いまの少年漫画はどういう感じなのだろうか?
ぼくは⑸の世代「鳥山明」と「高橋留美子」の「しらけ世代」=「感動をそんなに真面目になんか描けねえよ」の世代の作家の影響をズドンと受けている。これは「何をやるにも抗えない運命」だ。
私は一体なにが表現できるのか?
じぶんが表現者になったとき、ぼくは《しらけ目線》が入ってしまう。これは生まれや呪いとおなじくらいに厄介だ。当時の影響というのは死ぬまで自己表現につきまとう亡霊のようなものだ。表現者ならばだれもがまとう呪い(同時にじぶんの武器)である。その呪い(亡霊)を打ち払うために表現者は日々じぶんと戦っている。
さて、小さい頃のぼくは「鳥山明」と「高橋留美子」作品に夢中だった。この二人の存在無くして、いまのぼくはない。
今回は、鳥山明先生の追悼としてドラゴンボールにスポットを当てる。
スライド形式で。
なんと言っても、基本(画力、スケッチ力)が大事。
これは、書き始めてすぐに小説講座で言われた。「手塚治虫と川端康成は一日、手当たり次第にスケッチをしていた。ずっと文章を書いていくのなら、なんでもいいから毎日スケッチをしよう」
下記までいけば世界(鳥山明)レベルの表現力。
架空の世界の豊かな想像力!
仲間になるまでの完璧な流れ!
最後に。
ぼくのドラゴンボールのシーン、ベスト。
いまの読者のための、再現。
勝った! と思いきや……。
次回への引きの強さ。
そんなドラゴンボールに影響されたぼくは成長して……。
いまはこんな本を読んでいる。
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