小説『ゴッド・マザー』全取材ノートvol.2。20230325sat271(ラストシーンの音源)
4013文字・240min
24日。
男はバイトで働いていた中国料理店をクビになった。
働いたのは三日だ。
17日(金)に面接(14時半頃)
19日(日祝)に初日(10時〜14時)
21日(火祝)に二日目(10時〜14時)
24日(金)にクビ(10時〜14時)
男は絶望した。このモチーフでは小説は書けない。思った。男は店の前の車止めに尻をついて、深く肩を落とした。店の看板を見上げた。
だが、男は手元に資料が残っていることに気がつく。
『男』が店の裏に呼ばれて『クビを宣告された』録音の音源だった。
家に帰って聞いてみた。男は奇跡だと思った。
男はもう一度、出勤したスケジュールを確認する。ちょうど短編が書ける日程だ。ランチ営業ではYouTuberの取材、WBCのメキシコ戦、甲子園予選。小説を書き上げるには駒はそろいすぎていた。
翌る日、男はスタバで録音の文字起こしを試みる。男が求めていた、圧倒的な長台詞がそこにあった。
男はトラウマになるようなオクサン(ゴッド・マザー)からの捨て台詞を辛抱強く、くりかえし聞いた。
■なぜオクサンは男をひとり裏に呼びだしたのか?☞なぜ従業員のみんなの前で男にクビの宣告をしなかったのか?☞従業員は男が店を去ると知らなかったのだ。
■なぜ男がつづけたいと言ったあと、オクサンは泡を喰って調子を狂わせたのか?☞オクサンは、男とぶつかった《初日》にこの男を辞めさせる腹づもりだったのだ。
■初日から「つづけられるの? 考えてくれる?」「私は無理だと思うなァ大丈夫? 考えてくれる?」オクサンは男に連呼していた。男は群馬で最も忙しいイタリアンリストランテでの皿洗いの経験があった。仕事はどこもおなじだった。むしろこの中華料理屋の仕事は覚えればやりやすいほうだった。男は9分の録音のなかに人間の業、慾の深さを知ることになった。「これが人間なのだ!」
★ ★ ★ ★ ★
喜ちゃん飯店の裏手、乾燥機の前にて。
「アナタのそういう所が嫌いなんですね。オザワさんね、やっぱり、やっぱりオザワさんも大人だからわかるよねえ? あたしがなにか言ったら、働かせてもらってるんだから、経営者のやっぱり、あの、教え、教えてもらってるんだからそれを、やっぱり、素直に聞かなくちゃいけないんじゃないかなって、あたし思ったんですよ。でそういうアレがオザワさん一節(いっせつ)もなかったんです。あたしがなにか言うと、『どうしたなにかあるん?』 って言ったら、『独りごとです』って。そうすると、なんつんだろなァ。うしろで一所懸命、オザワさんが洗い場で立って独りごとをぶつぶつぶつぶつでっかい声で言ってると、調理している人が、もういらいらしてたんだって」
「えッ!」
「わかるんよ! あたしには! イライラしているんが見えるんですよ、あたしには。もうみんな長いから。あたしが、ほら。あたしのとこにきてみんなもう長いじゃん。そういう気持ちが自分の子どものようにあたしはわかるわけ。だからそういうのって、今日は、それがなかったんだけれども。クセっていうのは一んちじゃ治らないから。また、おんなじことの、あたしくりかえしになるんじゃないんじゃないかなって、オザワさんあたし思ったんすよ。次は助かるんですけど、でもやっぱり、あのいらいらしながら気ぃ使いながら仕事するのあたし非常に嫌なんですよ! いままでそういうの経験を散々してきたから、だからどうしようかなって思ったんです。まァ、クセっていうのは出るから。なにかに言って、返事しなかったりとか。絶対ね。クセは出ちゃうんですよね。だからあたしはみんながオザワさんにきてもらって使いたかったらみんな使ってって言ったの。でもあたしはもういいかなって思ったんです。あたし自身はね。だからそういうのは悪気があってオザワさんに言うわけじゃないんだけども、なんて言うんだろうな。溶けこむ、この、ひとんなかに溶けこむ輪があるじゃないですか、ウチにはウチのもう古い輪が。そのなかに溶けこむっつうことは大変なんですオザワさんも、たぶん緊張感もあったり大変な思いしてきたんだと思いますよ、でも、初めてだから、あ、言われたとおりにしようってそういう気持ちで入ってもらえると、こういうふうに言わないで、ウチの店にきてもらおうかなってあたしの気持ちも変わったんだけど、ちょっとそれが、初っ端からそういうアレが、オザワさんには無くて、えー。無かったから、ちょっと、ちょっと、あたし自身キツいかなって。あたし思ったんですよ。オザワさんどんな気持ちでいるんだろうな。あたし考えといてって言いましたよね? オザワさんどう? つづけられる? 仕事がキツいって言ってたよね。んで調理場にくれば『仕事はキツくないです』ってあっちとこっちで言う言い方がぜんぜん違ってくると、なんだろうなっていう感じんなっちゃうわけ。だから、オザワさんも、もっとぉ、あのー、孤独じゃないけど、団体行動でなく、違うところの仕事が、オザワさんに合った仕事がほかにあるんじゃないかなって、あたし思ったんですよ。ここで気ぃ使って、言ったり、お互いに気ぃ使っているよりかも、オザワさんに合ったもっと違う仕事があるんじゃないかとあたし思ったんですよ。頭は良いし、年代もいってるからぁ、そう言うことをオザワさんに考えてもらおうかなと思ったんですけど。どうしますか?」
「…つづけます」
「はぁ?」
「僕はつづけたいです」
「えー。あたしは嫌だな」
「つづけたいです」
「あたしは上がってもらたいって思ってるんですよ」
「リョーマさんに進退は任せてるんです」
「リョーマはまだ後継ではないので、後継じゃないけれども、リョーマたちもそう言う気持ちでいると思うんだよ。で今日一んち初めてぇ、初めてオザワさんの様子を見させてもらったんです。みんながそういう気持ちなのよ。代表してあたしが。やっぱり、経営者だから言わなくちゃなんないん。ひとを使うのがあたしの仕事なんでぇ。うん。そんなんであたしが伝えたんです。だからあたしとしてはぁ、今日でぇ」
「明日はないんですか?」
「ないんです。はい」
「…」
「そういう感じなんですけど。オザワさんに合った職場が見つかれば良いんじゃないかなって」
「本当にないんですか?」
「ないんです。あたし自身はね。うん。疲れちゃうんですよ、あたしこういうの」
裏手の廊下で子どもが騒いでいるのが聞こえる。
「ママ」
ナオの声がする。
「カバンを持ってきてくれた」
乾燥機がガタガタとまわる脇に、ミホは首を出した。
「どこへ?」
オクサンの眉間に深いシワが寄った。
「カバンだよ」
とナオが言った。
「言ったじゃん」
ナオは洗濯機のまわる渦を見つめている。
「カバンを持ってきてくれたの」
とミホは言った。
「お客さんが」
とナオは言う。ミホは男に会釈をする。
「カバン?」
とオクサンはナオにふりむく。
「カバンだったよね」
ナオとミホは顔を見合わせた。
「コチョウランの?」とオクサンは言う。
「胡蝶蘭?」とナオはミホの顔を見る。
「ううん…」とミホは言う。
「カバン」とナオは言う。
「あッ!」とオクサンは目を丸くする。
「いま」ナオはアゴで店内を示す。
「ちょちょ、ちょっと、コーヒーでも飲んでもらってて」
オクサンは慌てた調子で言うとナオとミホは、勝手口へ向かった。
「ということで、オザワさんはこれでもう…」
「マスターに、お願いしていいですか?」
男はこぶしを強くにぎった。
「ううん。でもたぶん、みんなおなじ気持ちだと思うんだけど、じゃ、お父さんに聞いてみますか?」
「はい。お願いします」
オクサンは勝手口へあるきだす。
「わたしはオザワさんが使えるとは思えない」
男は黙ってオクサンについて勝手口へのびる通路をあるく。ネコが背を丸めて残飯を食べていた。
「ああっ」
ミホは勝手口に足をかけたオクサンに、声を上げてよろけた。
「いいじゃないすか!」
オクサンはよろけたミホを押し退けて、座敷に座る常連に、声をかける。常連は低いヒールの靴に足を入れて会釈をする。オクサンはそれを無視して、
「お父さんどう?」
常連は帰っていった。マスターは目を泳がせて口ごもった。男は胡蝶蘭がプリントされた持ち手の長いコットンバッグを一瞥した。
「お父さん、どうですか?」
マスターはまた口ごもった。
「え?」
男は勝手口に踏み入れてキッチンに頭を下げる。それからゆっくりとカウンターの前まであるく。マスターは春巻きを包んでいて、ナオキが鍋をふるっていた。タツとリョーマはその場にいなかった。
オクサンは、店内の宙の一点を見つめ、目を泳がせる。「いいじゃないですか!」を連発した。厨房では鍋がぶつかる音が聞こえる。
「いいじゃんこのカバン!」
「ねー。いいですよね」
とナオとミホの声がする。オクサンは水槽のなかでゆっくりとたゆたうアロワナに向かって「いいじゃないですか!」と答える。
「これ、持ち手のながさちょうど良いよね〜」
「そうですよね〜」
とナオとミホははしゃいでいる。
「やだねー。使ってやってるんじゃないですか。いいじゃないですか! ねー。お父さん。いいじゃないですかねぇ。お父さん。いいじゃないですかね。お父さん!」
オクサンはアロワナに向かって言った。
「お父さん、手ェ空いたら、ちょっといいですか」
「おう」
マスターはくぐもった声で答える。
「これはメニューの五目あんかけですか?」
男は鍋をふるうナオキに言った。
「やめる人間のまかないに高価なエビなんか入れるんじゃないよ! ネコにやるハムでも入れときな!」
奥でオクサンがさけぶ。
「えっ」
ナオキは一瞬、身体を硬直させて、男に笑った。
(5分40秒まで)
このあと、カウンターの前に立った男は、マスターに直談判をすることになるのだが…
「取材だ。それから正確な日本語で伝わる文章を書く。私が教えられることはそれだけだ」男は師匠だった老作家の言葉を思いだした。
以下は9分間の生音源の.m4a
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