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絵を描くの辛い

あまったれめと思うのかもしれない。好きで描いているのに辛いなんて意味が分からない。
それでも仕方がない。辛いのだから。

どうしてそんな弱気な記事をかくことにした


頭がごちゃごちゃしているので言語化して整理したいと思っている。できないことで目をふさがれて前が見えない状態で突っ走ろうとしてしまっている感じがしている。

さっそく本題だが、どうして辛い


自分の絵に求められる以上のことを求めてしまっている。

自分の絵に一体何を求めている


褒められるくらい上手なこと、自分が満足できること、ファンが付くこと、お金に換えられる価値を持つこと。

求めすぎ

自分の絵で一体何が変わるというのか?世界か?

辛らつかもしれない。しかし事実だと思う。結局はぱっとしない自分に何か強みになりうるものが欲しくて、それがイラストだと格好良いなと思っている。薄っぺらい人間だ。

別に自分のすべてを否定するつもりはない


それは悲しいことだから。私の何者かになりたい願望が強すぎて、絵の楽しみを殺してしまっているのだ。願望を制御していく術を獲得しなければならない。一つを目指してそれ以外は求めない。

褒められるくらい上手なこととは


一体、どういう風に褒められたい?絵が上手ですねか?私はそんな万人のイラストに対応できるような万能な言葉が欲しいのか?違うだろう。その人の胸を貫く、何かどんな方向でも良いから心動かす絵を描きたいのだ。

自分が満足できることとは

自分さえ満足していない。自分の心さえ動かせていないのが現実だ。自分の心を動かすには自分に正直にならなければいけない。こっぱずかしいものも晒せない汚い部分も、愛されるかわいらしい部分も全部材料だ。自分を満足させた先、それに共感してくれた人の心を動かせば良いのだ。

ファンが付くこととは

それは私のイラストを見ればこういう気分になる。というものを作り出す必要があると思う。それは見る人の心にフィットするものでなければいけない。そして、継続しなければいけない。例えば、憂鬱な月曜日の朝、私の投稿するイラストを見て元気を少しでもだして出勤するとかそういう風に提供していくことが大事だと思う。自分のイラストを意図通りに受け取ってもらえるよう提供することも大切だ。

お金に換えられる価値を持つこととは

これは難しい問題だ。私にはまだよくわからない。しかし選択肢は3通り見えている。

①ココナラのような場所で、例えばアイコンを2000円で販売するような無名でもできる方法。しかし、これは価格とそこそこのクオリティにお客がお金を払っている状態で私を選ぶ理由は安くて金額相応のクオリティを出すからだ。だから私自身は満足できない。

②作品を作ってファンに買ってもらうこと。理想的、芸術家のような稼ぎ方だ。多分とっても難しい。漫画家や画家のような働き方。とにかく作品を作らねば。

③名のあるクリエイターになって企業案件をもらうこと
ファンが付いた状態になるとおそらくやってくるイベントだ。これも素敵だ。自分のファンを増やしたり、活動を促進させる手助けになるという福利効果もある。

どの選択肢を選ぶのか

私は今、一番目を拒否し、二番目を目指して迷子になっている。三番目は二番目の先に必ずあるものだからあまり気にはしていない。

つまり、私はファンを作るため一体見る人をどういう気持ちにさせたいのか、どういう風に助けてあげたいのか、考えていかなければならない。

いろいろ喚いていたが結局何を提供するのか?

私は、見る人を癒したり、元気づけたり、楽しくしたりさせたい。そっとすくい上げるように、見る人も気が付かないくらい優しく支えたい。根暗な私にこそできる支え方があるはずだ。

そんなイラストを当面は目指したいと思う。

長くなってしまったが、気分は少し晴れたようだ。

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