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「毎日書く人」を見て焦る私と謎の制約

え、毎日note書いてる人いる!!? なんか書き続けるチャレンジしている人もいる!!? ってか、みんな文章、うまっ!!

私の悪いクセが顔を出す。
「自分より上手くやれている人」を見ると、途端にペースは乱れ、信念を忘れて焦る癖。

そもそも私は「絶えず何かと比較する自分」から自由になりたくて、フラットにnoteをやりたかったんじゃないのか?

『めちゃくちゃ面白いことや、人に役立つことを書いて、書籍化してる人までいる!?』

私は、noteを知らなさ過ぎた…
そんな壮大で面白いこと書けない…
何なのだ。世の中は、なぜ、こんなに文章がうまい人やアイディアが豊富な人で溢れているのか…
世の中を知らなさ過ぎた…

『私は、こんなに面白いこと、書けないし…』

…良くない。良くないぞ。

また、自分に謎の制約をかけようとしている。
今回は「面白く書かねば」という制約。

きっと、こうして、何かをしようとするたびに、自分で謎の制約をかけしまうのも、私の癖の一つ。
一つ行動するたびに、幾重にもかけてしまうそれは、制約というより、もはや呪いかもしれない。

話が逸れてきた…整理しよう。

・何かつくりたい!私にとってはそれが文章だ!
・自分の感情や出来事に標をつける
・note書けば私だってクリエーターやぞ?

よしよし、私がnoteを書く理由はこうだぞ。
もしまた、あの謎の制約に縛られてしまったら、ここを読むんだ、私。

もし、私と同じような人がいるならば、どこかで標をつけておくことをオススメしよう。

書く・書き続けるというのは、結構、しんどいことだ。自分の内面と向き合わないといけないことなんて日常茶飯事。それだけでもしんどいのに、自分の外側にも、書かせまい・書き続けさせまいとする要因がゴロゴロしている。仕事や家事は言うに及ばず。私にとっては、気圧の変化やホルモンバランスだって、いくらでも私を妨害してくる。

書き続けた人には、書き続けた景色が見えるのだと思う。
素晴らしい。

でも、私には出来ない。
noteは変わらずそこにあるのに。

書く人は書く人にしか見えない景色があるんだ。

そう信じて、たまに書いていきます。

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