田中希実選手の五輪前のポイント練習を見に行った
開会式の翌日、田中希実選手のコーチに「可能なら練習見学したいのですが」とダメ元でお願いしたら「いいですよ」と快諾いただいたので、バスに乗ってパリ中心部から20分ほどの場所にある街に向かった。
あいにくの雨だった。
指定された競技場は週末で閉鎖されていた。練習のために開放してくれるはずが、担当者に話が通っていなかったらしい。
どうしよう。
今日、ポイント練習できないかもしれない。
一回、宿舎に戻ろうか。
「柵を乗り越えましょうか」と提案すると、コーチが「いや、さすがに・・・」と言葉を濁す。
五輪前に不法侵入で捕まったみたいになったら洒落にならない。
さて、どうしよう。
そんな空気が流れる中、田中選手は焦る様子もなく、淡々と携帯を触っていた。
Googleマップを見て(少し遠いけど空からの画像で多分、競技場がある、ここは大丈夫そう)、と皆に話しかけるように、でも独り言のように呟き、ここに行ってみよう、と提案してUberの手配を行った。
車で走ること15分くらいだったろうか。
傘をさし、公園内にある競技場に向かいながら、田中コーチが「競技場が開いてなかったら、ここの道路でもできるな」と言い、田中選手も「滑らんかな。大丈夫そうやな」と応じた。
海外遠征に慣れている彼らにとって、これくらいはアクシデントにも入らないのかもしれない。
心配は杞憂に終わり、競技場は一般開放されていて、雨の中サッカーをしている人、ジョガーなどもちらほらいた。
アップをしてスパイクに履き替えた頃には雨は止んでいた。
コーチがタイムを読み上げる中、田中選手は黙々と走る。タイム設定は極めて厳しいものなのに、全くそんな感じには見えない。
タッタタッタ。
力強く蹴る音だけが聞こえる。
フォームが少し変わったように見えた。
田中選手は「いつも変えている」と話すように、同じフォームで走ることはおそらくないのだと思う。コンディション、練習内容、タイム設定などによってほんの少し微調整を加えている。
腕の振りがコンパクトになり、接地もスムーズになっていた。蹴っているパワーがすべて推進力に変わっているように見えた。
一言で言うと無駄のないフォームだ。
練習が終わると、田中選手は「なんかバンクがあった」と笑った。
確かに400mのスタート地点くらいからなんとなく傾いている。
「室内みたいだね」
「バックストレートも波打ってるよね」
「ケニアよりマシです」
「ジャマイカはそもそも(オールウェザーじゃなく)芝トラックですよ」
「競技場が開いていて、使えるだけありがたかったね」
田中選手は、田中コーチ、中野トレーナーとそんなことを話しながら白い歯を見せて笑った。
「五輪のような気がしないんですよね」
田中選手の言葉に思わず大きく頷いた。
同じパリ市内でメダルをかけた争いが繰り広げられているのに、ほんの少し離れただけで全くそんな空気は感じられない。
のどかだった。
いつものポイント練習のようだった。
東京の時はどんな感じだっただろうか。コロナ禍でピリピリしていて、大会云々に関わらず張り詰めた空気だっただろうか。
そんなことを考えた。
帰りは通勤快速のような電車でパリ市内に向かった。
2つ目の駅でチームカラーのユニフォームや旗を身にまとい、顔にペイントした人たちが大勢乗ってきた。
みんな高揚し、楽しそうだった。
サッカーの試合があったのだとパリ在住の男性が教えてくれた。
イスラエルとパラグアイの試合でパラグアイが勝ったらしい。
彼らのおかげでなんとなくオリンピックが始まったのだなと実感できた。