ブランク20年の私が、スタジオ収録に挑んだ話。〜SNSで見守り続けてくれていた人がいた話
初めての方も、そうでない方も、みなさんこんにちは!宅録声優をやって半年、蒼井かよです。
普段はTwitterで情報発信をしていますが、140字に収まらない経験をしてきましたので、今日はここに自分の記録として書きます。
突然の電話
12月8日午後。
私は普段、海外からの問い合わせの多い夜中の0時から2時にかけてを一番の活動時間としているので、昼間ちょこっとだけお昼寝をしています。
さて起きようか・・・と布団を出たその時電話がなりました。
「〇〇放送〇〇」
ん?珍しい人から電話がかかってきたぞ。
あれか?私が「元ケーブルテレビアナウンサーで〜す!」ということを謳っているので「ちょっとまずいからやめて」とか言われるんだろうか?
などと、基本ビビリの私は恐る恐る電話に出ました。
話を聞くと、緊急でCMの声入れを複数本お願いしたい。とのこと。(理由はここでは書けないので省略します)
(以下岡山弁でお送りします)
「ええけど・・・宅録で届けることもできるよ。それにしても、他の外部から読みにきてるアナウンサーさんに頼めばいええがぁ?」
と、お伝えしたところ
『他で頼んだら、一本何万もするじゃろう』
と言われ「カッチ〜〜〜〜〜〜ン!!!」と来た私。
「あのな、私じゃけぇいうて一本何万で仕事とっとるけぇな!足元見なんなよ!ただな・・・〇〇さん。緊急事態なんじゃろ?急ぎなんじゃろ?」
私はお世話になった義理がある。
育ててもらった。
今機材の扱いについて明るいのは、20代の時に、このケーブルテレビでアナウンサーとしてだけじゃなく、番組制作・編集・機材の扱い・・・ケーブルの巻き方一本から教えてもらったから。(てうか、見て覚えたから)
しかも緊急事態に、よく私のことを思い出してくれたもんだ。
「今回だけで?私の喋りの技術、20年ぶりに劣化してないどころか、進化してるのをお試しでやるつもりで受けようじゃん」
と、いう気持ちでお仕事をお受けすることになりました。
「自分の宅録環境には自信があるから、今すぐ原稿を送ってくれりゃあ、明日の朝までには、全部揃えてデータ送ります。あの番組のあのトーンじゃろ?すぐいけるで?」
と、申し出たものの『スタジオに来てもらったほうが早い』の一言でスタジオ収録決定・・・・
あわわわわわわわわわわわわ。
やばい。
ボロがバレるwwww
なんだかんだ言って、スタジオ収録の緊張感や、リテイクが出せない怖さ、求められるレベルの高さが、例え地方のケーブルテレビであろうが「壁」のひとつで、私にとって「トラウマ」だったので、スタジオ収録が決定した時には、カタカタ体が喜びと怖さで震えていました。
私のケーブルテレビアナウンサー時代
というのも、20年前の私は、なんのスキルもなくケーブルテレビに入社し、ろくに研修も受けないまま「叩き上げ」でスタジオ収録をしていたんです。
原稿を5種類くらいポンと渡され、指定の秒数に合わせてすこーし練習したら、声色の確認とか、ニュアンスとか、なんの指定もないまま「はい本番」
当然、「何を目的として」「誰に届けるのか」「この原稿で一番言いたいことはどこか」「視聴者に語りかけるところ」「共感を求めるところ」「訴えるところ」・・・なんて読み解くことすら出来ないまま・・・です。
差し替えになっても、同じ声色が出せず、同じ声の圧を保てず、ただわかるのは
「私、出来ていない」
という劣等感だけ。
ブースから見えるスタッフの表情を見ればわかります。
それに加えて、当時の私は聴力が人の半分で、ブース内のスピーカーやヘッドフォンから聞こえるスタッフの指示が全集中しないと聞こえない。聞こえても理解できない。
まだ20代で、メンタルが弱かったこともあるでしょう。
やりたかった仕事なのに、自分の努力や勉強が足りず、かといって自分から学ぶこともせず、ただただ「できない」=「自分の価値はない」に陥っていったのです。
それでも、毎日毎日ニュースを読み、CMを読み、ナレーションをして、数をこなしていけば次第に読み解くことも、アナウンサーとしての「表現」も身についてきます。
先輩の表現を聞き、先輩が下読みで使った後の原稿をゴミ箱から拾って何を書き込んでいるのか学び取り、自分の糧にする。
ケーブルの巻き方ひとつで叱られ、何度も何度もやり直して機材の扱いを学ぶ。
「5分前集合な」と言われ5分前に行ったら「おせえよ、5分前の感覚狂ってんのか」と言われ、次に15分前に行って準備していたら「俺の顔潰す気か、早すぎんだよ」などと言われたことも、今となっては良い思い出・・・(白目)
メンタルも育ててもらいました。
(今はその方は務めてらっしゃらないので暴露(笑))
しんどいなと思いながらも、成功体験を積み上げさせてもらいながら「自分なりに」成長していきました。
いざ、古巣へ!
過去の経験から(笑)15分切る頃に会社に到着。
20年ぶりに、古巣へ足を踏み入れました。
懐かしい、2階への階段。
懐かしいモニター。
懐かしい・・・・
いや待て。
うん、20年経ってるから、機材は変わってて当然よね?
しかしまぁ、2階全フロア色々改装しすぎでしょ?!
外観は全然変わってない「え?ここ放送設備整ってんの?」みたいな建物なのに!!
それでも、このケーブルテレビが放送を開始した当時(私が生まれる前かららしい)からのアーカイブの棚とか、手書きのケースとか、諸々が並んでいるところは当時のままで
ああ、私戻ってきたんだな・・・と感じました。
宅録声優でやっていくと決めて、オンラインだけの受注先だけではなく、自分の足で営業して仕事をとっていくことにしていた自分の中で、なぜかこの古巣だけは「営業の対象外」でした。
なぜかと問われると、まだ自分の中に、ここで教えてくださった皆さんに対して「結果をしっかり出してから行こう」とか「バカにはされたくない」とかいうつまらないプライドがあるんでしょうね。
でも、時々「戻ってきたよ〜!」という夢を見ていたのも、本当の話で。
本当は早く「声の仕事再開したよ!ここで学んだおかげだよ!海外とやりとりしてるんだよ!頑張ってるんだよ!」と、伝えたかった。
それが、昨日の今日で夢が現実になったということにふわふわした気持ちになりながら、電話くれた方のお部屋まで行きました。
スタッフは数名入れ替わりがあるものの、変わらない面々がそこにおられました。
ケーブルテレビなので、保育士をしていた時にニュースの取材などに来られて何人かは途中途中でお会いしていたけど、このケーブルテレビの建物の中でまた皆さんにお会いできる日が来るなんて思わず、泣きそうになる気持ちを堪えました。
しっかり営業かけましょ
今は私はケーブルテレビのアナウンサーじゃありません。
Voice lightersという屋号の個人事業主です。
タイミングを見て「今後に繋げる」営業をかけるのが、この仕事を受けたもうひとつの目的です(さっきのプライドどこいった)
さっと名刺を出し!
ビジネスの挨拶をし!
料金についての話をし!
なぜか先にお金をもらい!
原稿をいただき!
下読みをして!!!
スタッフ「もういける?」
いやはえーわ!!!!下読み一回しか・・・しかも黙読しかしてないわ!!!!
と、心の中で突っ込んだところで、20年前にお世話になった方の1人が部屋に入ってこられました。
ハグしたいくらいの気持ちでしたが、そこは我慢をしてご挨拶。
『ココナラ出しとるじゃろ?儲かるんか?』
ズバッと聞かれました。
「実績件数みた?儲かっとるわけないじゃろ」
そう返しながらも心の中では「うひゃ〜、みられとる〜。チェックされとる〜」と冷や汗をダラダラ流していました。
そもそもが、私の発信しているSNS。
これをケーブルテレビの人たちはチェックしていました。
私が声の仕事に戻ったことも、どうやって営業していっているかも、国内でどんなところで商品を出したり、声で稼ごうとしているかも、全部お見通しでした。
私が意地を張って営業に行っていなかったとしても「お、かよさん始めたんだな」というのは、SNSの発信を通して、とっくの昔にご存じだったのです。
SNS発信の人と人とを繋ぐ力は最近特に感じていました。
問い合わせも増えてきたし、同じ業界の人たちとの情報交換にも使えるし。
集客だとか、フォロワーを増やしてビジネスに繋げるなんてよく聞くし、そこに私も足を踏み入れようとしている。
だけど、そういう部分だけが目的ではなく、昔から自分のことを知ってくれている人が、何も言わずにただ見守っていてくれていた。
諦めた過去を知っていて、再始動してもがいている姿を見てくれていたんです。
SNSで発信していた。それを継続していた。
だから、今回私を思い出してもらえた。
私はSNS発信や集客に繋げるためのセミナーなんて受けたこともなければ、私がやっている方法のどれがどんなふうにターゲットに刺さっているかなんてわかりません。
でも、続けていた。
それだけで、今回20年ぶりのスタジオ収録にまでこぎつけることができた。
見守ってくださったケーブルテレビの皆さんに感謝の気持ちが湧いてきました。
スタジオって、スタジオじゃん!!!!
収録するために、マイクのところまで案内してもらいました。
ところが、んんん?
前あった防音室どこいった?改修したからなくなってるんだよね?こっち?あっち?と、うろうろしていると「ここ、ここ」と指さされたのは・・・
思いっきり、日常のニュースを読むカメラの前!
「ここで録るのぉ?!」
Twitterとかでさ「今日は現場に来てま〜す」とかって、素敵なブースの写真アップしてる方おられるじゃん?コンデンサーマイクと自分の顔半分写してさ?
あんなんじゃないの。
『いや〜改修する時にさ、もうブース無くしたんだよね。金かかるから。その代わり、この部屋全体の音響は最高の状態にしてあるよ』
そりゃそうでしょうよ、入った瞬間に自分の服の擦れる音でわかったよ
「この部屋・・・やるな?!」って。
しかし、目に入る風景は、もう完全に「お昼のニュースをお伝えします」状態。
『はい壁さらに上がった〜』と体が悲鳴を上げました。
高鳴る鼓動・・・
乾く喉・・・
やっぱり宅録にしときゃよかった〜〜〜〜〜〜!!!!
やる時はやるのが私。
これはまずい、予定と違う。思ってたんと違うってやつが正面から来た。
密閉されている空間じゃなく、30畳くらいあるほんとの「スタジオ収録」だ。
「声出して練習しててくださいね〜、機材スタンバイしてくるんで」と、言われ「とにかく声を出そう!」と原稿のチェックをして、ひたすらに繰り返し繰り返し可能な限り本番を想定して読み込む・・・
緊張して練習している中で、私気づきました。
「ほぅ、読み取れるじゃん?原稿。そんで、イメージ声で表現できてんじゃん?そりゃそうか。宅録で案件こなし続けてるから、感覚はしっかり戻ってきてるってわけだ」
そうすると、マイクの前の景色だけじゃなく、照明だったり、カメラだったり、目の前にあるタイムカウント用の時計だったり、モニターだったり・・・
そういうものに目が行って、自然と方の力が抜けてきました。
ああ、こんなんだったなぁ。って。
同時に「ああ、できるわw w w」という、いつもの態度のでかい自分が自分の中に戻ってきました。
その気持ちになれて、もうひとつ・・・驚くことではないけど感動したこと。
スタッフさんの、指示の声がちゃんと聞こえる・・・
ケーブルテレビアナウンサー時代の所でも書きましたが、私指示が聞こえなくて。
でも、聴力検査の結果は異常がなくて。(後に手術が必要な症状だということがわかって、両耳を手術するってことになり、現在は回復してきているんですけどね)
空気を伝って聞こえてくる、しかも機械を挟んだ音にはめっぽう弱かったんですね。
でも、反響対策ができている部屋とはいえ、頭上のスピーカーから聞こえる指示の声はやっぱり聞き取りにくいのは聞き取りにくくて。
それでも
「なんて言ってるかはわかる!」
「Q出しの声が聞こえるから、原稿から目を離さずに・・・スタッフの顔色を窺わずに自分のタイミングで始めたらいいんだ!」
泣いたら声に影響してしまうから泣いてはいけないのはわかっているのに、喉の奥がツーンとなり始めてきて、また違った緊張に全身が包まれました。
「堪えろ蒼井!やるときゃやるんだろ!」
気合いだけで、何とかその気持ちを収め、収録に臨みました。
宅録は、自分のペースではじめて、ミスったらミスったでもう一回やって、リップノイズが入らないのが理想だけれども、整音で何とかできる。
でも、収録に出向いた時には自分の喋りの技術が全てになるから、その緊張感や必要な技術をフルパワーでとにかく集中して・・・
6本収録中、5本は一発OK、1本は1回リテイクだけで収めました・・・
「よかったよ。また頼むことになると思う。」
帰りがけ、その言葉がいただけたのが、評価の全てだと思います。
やってみた感想?もう多くは語りません。
ただ・・・
またこのスタジオに呼ばれるように、普段の宅録の仕事を真摯に、確実に、こなして・・・その様子を発信し続けていこうと思います。
おや、海外案件のお問い合わせが入ってきたようです。
それではこのあたりで・・・。
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