なぜ「しつけ」ではなく「寄り添って共感する」ことが大切なのか
最近『校則なくした中学校 たったひとつの校長ルール』という教育に関する本を読みました。この本は「すべての子供たちが3年間を楽しく過ごすためにはどうしたらいいか」について、世田谷区立桜丘中学校の西郷校長先生が書いたものです。
私の率直な感想は、この中学校に進学してくる生徒は、本来、幼少期から小学校にかけて子供が親や大人から受け取らなければならない「寄り添って共感する」という愛情が欠けているので、先生たちが最初から子育てのやり直しを一手に引き受けなければならないというものでした。
寄り添って共感することは、特に繊細な子供や共感して欲しいという欲求の強い子供にとってはより大事なことだと言えると思います。こういうタイプの子供は新しい環境に敏感なため、それこそ生まれてからの一日一日、一つ一つの受け答えを丁寧に、また注意を払った方がいいでしょう。生後まもなく保育園に預けてしまうとストレスを感じやすいので、十分甘やかして愛情を与えてから「集団生活に入っていきたいな」と本人が思うタイミングで、保育園なり幼稚園に通園させてあげた方がいいと思います。
とても手がかかるように思いますが、繊細なタイプの子供は幼少期にたっぷりと愛情を受け取ることができると、その分、成長期のある段階で自分に自信を持ち飛躍的に成長することができます。
話を戻しますが、「寄り添って共感する」とは簡単に言うと甘やかすことです。しつけはいりません。しつけは大人の規律を一方的に押し付けることだからです。子供が感じること、思うことを大人の尺度で測り肯定や否定の判断をするのではなく、子供が直感的に感じること、思うことは肯定してあげるという認識を大人が持ち、安心感を持たせてあげることが子供の自己肯定感につながります。
子供が何かを感じその気持ちを共感して欲しいと求めてきたら、まず共感してあげることが大切です。直接求めてこなくても察して共感してあげたり、あなたはそのままで本当に愛おしいという気持ちをスキンシップなどで伝えてあげると子供は安心し自分と言う存在を肯定できるようになります。
けれどこうした大事な愛情の部分を置き去りにして、早期教育の前倒しやマナーを身に付けるさせるなどのしつけに目がいってしまうと、結果的に子供は自己肯定することができなくなってしまいます。自己肯定ができなければ好奇心も探究心も生まれません。自分を好きになり自信を持てなければ、主体的に考え、行動することもできなくなってしまいます。
現代の教育環境は、学校の成績や進学に重きを置いているといえます。親や学校が成績や進学のプレッシャーを与えることで子供は追い込まれてしまいます。親の期待に応えられず自分のことが好きになれなかった子供が成長し大人になった時、親から愛情をもらえていないがために自分に余裕を持つことができず、社会のストレスに耐えきられなくなり、うつ病や引きこもりといった歪みが生じることにもなります。
また、親に厳しく育てられた子供は自分はもっと常に頑張らなければならないと言う気持ちが刷り込まれ、いつも自分を追い込んでしまうような自己否定的な感情を持ってしまうでしょう。
一見、気づきにくいことにも思えますが、人が生きていく上で最も大切なものは親からもらう愛情であり、愛情がなければ自分を肯定することはできないのです。現代社会の教育はこの重要な点を見落として語られているように思えます。