たまに真面目な話 フランス革命前段編 #世界史がすき
こんちゃーす。理系物理化学世界史選択の文学少女葵です。真面目な世界史のお時間が来た!
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さて。アメリカ独立戦争が始まったのが1775年、パリ条約で正式にアメリカが独立したのが1783年。アメリカの独立はフランスによって大いに助けられたのでした。
ここで眼をフランスへ向けてみましょう。
旧体制(アンシャンレジーム)下のフランスでは、人口のわずか二パーセントでありながら財産の四十パーセントを所有していた上流階級の人々(第一身分と第二身分)は免税特権を持っており、国家の収入は専ら第三身分(農民や市民)からの税金でした。宮廷人の豪華絢爛は、そのお金で成り立っていたのです。
そこへきて、アメリカ独立戦争。フランスはあまりに熱を入れて独立軍を応援しすぎ、…とうとう破産してしまいました。
そこで第三身分(農民や市民)だけでなく、第一身分(聖職者)と第二身分(貴族)にも課税しよう、と当時の国王ルイ十六世(マリー=アントワネットの旦那さん)が言い始めます。
当然、特権階級の人々は猛反対。税金をとるなら、三部会で可決されてからにしてくださいよ、と言いました。
新しいワードが出てきましたね。三部会。この議会、実はちょっとしたいわくつきなのです。
時をざっと五百年ほど遡り、十三世紀、フランスの王権を握っていたのがルイ十六世の家系のブルボン家ではなく、カペー家だった頃の話をしましょう。フランスは十世紀にフランク王国という大きな国から分離し、それからというもの群雄割拠の時代が三百年ほど続いていたのですが、分離当時からパリ周辺にシマを張っていたのがカペー朝です。当時は弱小だったカペー朝ですが、十三世紀、フィリップ二世の時代に、イングランドのジョン王と戦ってノルマンディーなどの領地を奪ったことで、力をつけ始めます。(実はこのジョン王というのがまた有名なへっぽこ王で、それからというもの、イギリスでは、ジョンという名は王家の息子にはつけられないとのこと)
再三述べていることですが、戦争というのはお金が掛かります。当時イングランドはヨーロッパ大陸にもわりと領地を持っていましたから、カペー朝はそれを奪って勢力を拡張するために、多額の戦費が必要だったわけです。
そこで、戦費調達のために聖職者にも課税しよう、と言い出したのがフィリップ四世でした。実はこれは、当時としては画期的なことだったのです。
というのも、十三世紀までのヨーロッパはカトリック一強。十三世紀初頭のローマ教皇、インノケンティウス三世は、「教皇権は太陽であり、皇帝権は月である」とのお言葉を残しています。ローマ教皇は神聖ローマ帝国の皇帝よりも、もちろん、パリ周辺に小さなシマを張っている王よりも、偉かったのです。ローマ教会に破門されたら、神聖ローマ皇帝すら、雪の中で跪いて許しを請うほどに。
それが、十四世紀に入ると揺らぎ始めます。というのも、十字軍のせいなのです。
1095年、めきめき勢力を拡張し、聖地エルサレムを占領してしまったイスラーム勢力に対抗するべく、ローマ教皇の呼びかけで始まった十字軍でしたが、戦績は、控えめに言ってダメダメでした。一勝五敗一分け。勝ったのは最初の一回のみ。十三世紀の末ごろには、聖地回復どころか、キリスト教勢力最後の拠点であったアッコンが陥落してしまいました。これでは、教皇に対する信頼も疑わしくもなりますよね。
そんなこんなで陰りが見え始めた教会への信頼に、最初のヒビを入れたのが、十四世紀初頭のフランスカペー朝の王、フィリップ四世でした。彼が聖職者に課税をすると言い出し、ローマ教皇ボニファティウス八世が従来のノリで、「けしからん!破門じゃ破門!」と言います。ところがフィリップ四世は屈しません。1302年、三部会という議会を開き、「ねえみんな、聖職者に課税して良いよね?」と問うたわけです。ここで三部会という議会ははじめて世界史上に登場します。
これは、聖職者、貴族、そして平民という三つの身分からそれぞれ代表を出す議会で、採決は身分ごとに一票です。つまり、「聖職者に課税していいよね?」と言った場合、聖職者身分、反対、貴族身分、賛成、平民身分、賛成、となり、一対二で可決されるわけです。
こうして、「ほらー、国民も良いって言ってるし。教皇の言うことなんか聞きませーん」という感じで、フィリップ四世は教皇をガン無視。それどころかボニファティウス八世をとっ捕まえてアナーニに監禁してしまいます。彼は牢の中で憤死したとか。この出来事をアナーニ事件と言います。
こうしてはじまった三部会ですが、時を移して1615年、ルイ十三世の時代に、宰相のリシュリューによって一度閉じられてしまいます。これは中央集権化の一環で、続くルイ十四世の時代の政策などにもよって、フランス絶対王政は、ルイ十六世の時代までの繁栄が実現されたのです。
そして、さあ、本題に戻りましょう。ルイ十六世の時代でしたね。アメリカ独立を応援しすぎてすっからかんになったフランスは、貴族と聖職者という特権階級にも課税をしようとします。それに反対した特権身分の人々は、課税するなら三部会を通せと迫ります。彼らには勝算がありました。というのも、ほら、三部会のシステム。身分ごとに一票でしたね。つまり今回の場合、「特権身分に課税して良いか?」という議題に対し、聖職者身分、反対、貴族身分、反対、平民身分、賛成、となって、二対一で否決になるハズ!…とこう考えたわけです。
ところが、第三身分も黙ってはおりません。食料を生産し国を支えているのは自分たちなのに、重い負担を背負わされ、特権階級だけが面白おかしく暮らしているなんて納得できません。
さらには、第三身分の味方をしてくれる第一、第二身分の人々もいました。第三身分出身の聖職者、シェイエスは、「第三身分とは何か」を刊行し、第三身分だけの「国民議会」を設立すべきと主張しました。
1789年、ヴェルサイユで三部会が招集されると、議決方法を巡って第三身分代表は特権身分代表と対立し、「国民議会」を自称。民主的な憲法が制定されるまでは決して解散しないことを誓います。これを「球戯場の誓い」と言います。その勢いと、特権身分の中にも彼らを支持する勢力があることに押され、ルイ十六世も国民議会を承認。新憲法を起草するための、「憲法制定国民議会」が発足しました。
次回に続く…
次は!次こそはフランス革命に入ります!