開かずの木箱
空中を漂うような記憶を、私は頭の中にある木箱の中に一つずつ仕舞おうとしている。
「記憶化」という行為を描写するのなら、私はそう綴る。大事な着物を仕舞うように入れる時もあれば、投げやりに洗濯物を投げ入れるときのように蓋をするものある。概してそれは脳内で処理されるものだから、正確さなんてものは持ち合わせていないのだけれども。
私は父方の祖父母との幼少期の記憶が、一切ない。両親と父方の祖父母との間で何があったのか知り得ないが、唯一持っている「木箱」はあまり開けたくないものだ。ほの暗い病室で酸素マスクをつけた祖父と、その脇に立つ祖母、そして明らかに病室に相応しくない怒鳴り声を散らして、当時はまだガラパゴス式の携帯を床に投げつけ破壊した父親の背を、強烈なまでにはっきりと覚えているだけだ。当時5歳にも満たない私の目に残った父の背は、異様に悍しく、黒々と今でも立ち上がってくる。
「記憶の孤立」、「記憶の混濁」、「わからない」。本作で繰り返された言葉は、そうした「わからない」というものだった。村上春樹氏は父親について全てを知ることができないからこそ、孤立した記憶と、混濁した記憶、そして事実を、結ぶように繋げて、彼の人生を推察し考えて辿る。本作はその行為の繰り返しのような物語であった。
村上春樹氏と同じように、私も自身のこととして同じ行為を行ってみる。そこでわかるのは、同じ時代を共に生きている五十歳の父について、私もまたよく知らないということである。現在進行形で衣食住を共にしている身近な人のこともわからない。何しろ自分が何者かさえ人は説明できないのだ。村上春樹氏のいうように、私に至るまでに紡がれた一つの雨粒、ただその「冷厳な事実」だけが、私を証明し、生かし、そして死なすのだと、そう思う。
生きるとは何か。
父方の祖父母との記憶の箱。埃のかぶったその箱の蓋を開けるときが来るとすれば、それは誰かが当時の話を私に紐解いて話してくれる時なのだろう。携帯が真っ二つになったその事件以降、祖父母の記憶は小学校高学年になるまで皆無であり、それ以後も直接会って話す機会はほとんどなかった。幼い頃はなぜか母方の祖父母にしか会えず、祖父母というものは四人ではなくて、二人だけだと思っていた節もあった。だが別段それは不思議な関係でもないのだろう。どの家庭にも少なからず何かしら語りたくない記憶というものがあって、それを知らないまま、あるいはそんな不穏な雰囲気を察知してはいながら事の成り行きを知り得ない幼少期を過ごした人々はたくさんいる。開かずの木箱。
この時の出来事を四人は誰も語らなかったし、これからもその頃の具体的なやり取りや四人の間でおきた出来事は、きっとこのまま四人の中で、大きな分厚い布のような覆いにくるまれたまま運ばれて、やがて所有者を失い、居場所をなくすのかもしれない。そうしてシャボン玉のように空へ弾けて消えゆくのか、その果てを考えた時、私が祖父母と会えなかったという事実と、私の父の背に見た鮮烈なる記憶が、次の世代へと受け継がれていくのかもしれない。村上春樹氏が推し量った、村上春樹氏の父親と、その父、弁識さんとの不透明な事実。私はまた、両親と祖父母との間のそれに、何かしらの断絶となる大きな壁が、ある時点で生じた所以を、こうして今大人になって推し量る。開けなくても良い木箱は、倉庫に寝たまま、次世代に引き継がれていく。生きるとは何か、自身に生きる意味を持つ必要があるのか、こうして開かずの木箱を受け継ぐ、その行為の繰り返しもまた、人が一人、生を全うする意味の一つなのだろうか。
偶然という言葉はあまりにも汎用され、全ての事象に当て嵌めることができる魔法の言葉だ。だから嫌悪する。きっとこれからもそうだが、村上春樹氏の「偶然がたまたま生んだひとつの事実を唯一無二の事実とみなして生きているだけ」という一節に、生きるとは何かを集約させているが、どうだろうか。偶然の賜物と、そう簡単に片付けられるものだろうか。
記憶にまだ新しい東日本大震災当時、飼っていた熱帯魚は死んだ。激しい揺れで水槽から飛び出したもの、停電で水温が保てず、酸素も回らず死に至ったもの。それは確かに、その個体が持つ生の偶然であったと言えるかもしれない。偶然、そこで生を断たれた。これはまさに「無数の仮説のなかからもたらされた」「たまたまの事実」であり、それがまた運命という言葉に置き換わる時があるように思う。我々は日々起きる偶然の中で生きている。この偶然の中で「生きている」ということがまさに事実なのであって、それ以上でもそれ以下でもなく、私たちの「生」を認めてくれているものなのだろう。そしてその事実を絶対的なものとして考えて生きるのであれば、一方自分が生きたという事実を未来に持っていってくれるのは、村上春樹氏が本著で試みたように、その人を物語れる「記憶」ではないだろうか。
我々は「記憶」の箱の数々を携えて、人は人と関わり、新たな箱を作る。木箱の数だけ、その人が形成される。「記憶」とは言い換えればその人そのものであり、その人が生涯で関わった事柄であるが、それは正確でないという難点を孕む。特定の誰かについて語る時、どうしても主観的で曖昧になって、その輪郭をぼんやりなぞる程度にしか表現できないのは、その人との「記憶」が絶対的な信頼性のある証拠として自分の中にないからだと思う。村上春樹氏が父親について「わからない」と記述したのは、そのためではないだろうか。
まるで遺産相続のようだ。
「記憶」を、つまり、その生が持つ、偶然の中で生まれた「記憶」の箱を、代々我々は引き継いできた。歴史は過去のものではない。その通りだ。受け継がれた偶然が私を生み出し、私たち世代は、まだ生をうけて間もない子供たちに、何かを継承していくのだろう。それは大きな枠組みで語れば、今度は「戦争」ではなく、「東日本大震災」や「新型コロナウイルスの世界的蔓延」に移り変わるのかもしれない。そして私の「開かずの木箱」もまた、まだ見ぬ我が子へと、もたらされていくのだろう。