第25回 第二章 (『ノラら』堀戸から見た世界 ) ~老後の楽しみにとっとくような音楽なんてないねん。今しかないねん。あとでもできる音楽なんて、音楽ちゃうねん~
『ノラら』
第二章:堀戸から見た世界
第二十五回
紗英さんは
食欲の暴走がひと段落したらしく、
片手にスマホを持って
何やらチェックし始めた。
「ピールのロダモが更新されてる」
そう言いながらスマホを僕に見せてくる。
ロダモ上では、
ピールの最新アップロード動画として、
ついさっき僕らが居た
高架下の映像が流されていた。
隠し撮り風に撮影されている映像に
音は無く、僕らが見かけたあの
パントマイム率いる老人の
パフォーマーたちの演奏が
ズーム気味にカメラで抜かれている。
演奏を終えて
そこから立ち去っていく様子を
正面辺りから捉えたカットも
最後に盛り込まれていたのだが、
その画の奥の方に、
パフォーマーたちの後ろ姿を
呆然と見送る僕と紗英さんの姿が
僅かに映り込んでいた。
しかし、映っていた僕たちの姿は
遠いせいもありピントがぼやけていて、
他の人が見ても人物を特定することは
できそうになかった。
ただ、僕らだけが
それを自分達だと知っている。
この動画のキャプションタグには
『inner world』と付けられていた。
「音聞く?」という紗英さんの問いかけに
「これ音有るの?」と問い返すと
「もちろんじゃん」といって動画をタップし、
スマホと一緒に
左耳用のイヤホンを差し出してくれた。
「え?なになに?何が映ってるん?」
向かいから吉岡さんが割って入ってきたが、
僕は再生し始めた映像と
それに寄せられたコメント群を見続けた。
―これってビオンホール前の高架下だよね?
今日ここに居たひといる?
―なぎぃライブおつかれさまでした!
最高に感動した~
―次回のツアーは三か所なんて言わずに
全都道府県回ってくれ。ちなみに沖縄在住
―この人たち名古屋のライブでも見かけた!
―このよぼよぼじいちゃんが
今回ピールの前座やってたん?
―ひとり学生まじってる説。
―誰これ?気の触れたホームレス?
不特定多数の文字たちは、
僕に何も教えてくれそうには無かった。
そうだと予感しつつも
読むことを止めるタイミングを
逃しつつあった。
「ヨッシーもロダモで検索してみてよ」
「俺SNSとか一切やってへんねんて」
「冗談でしょ?」
「今俺がそんな冗談言うたって
紗英さん笑わんやろ?」
珍しく吉岡さんが紗英さんに
不貞腐れた口調でつっかかっている。
僕は相変わらず
コメントに視線を落とし続ける。
―こんな目立つ集団が駅前にいたら
さすがに気付くでしょ
―結構いい音楽じゃん。
ピールイチオシの素人楽団とか?
―平均年齢八十と見た。
―狂言にしては摺り足があまいね
―パントマイムなんじゃないの?
―ほほう、
これがピールのインナーワールド
僕はここから何を知りたくて
親指を繰り続けているのだろう。
エンドの見えないコメント群から
ようやく目を逸らし、動画に視線を戻す。
再生され続けていた動画は
演奏シーンを終えて、
また彼らがそこから
立ち去っていく場面に変わっていた。
映像には映っていなかったが、
高架下を歩く女性のヒールの足音が
サイドで小気味よく響いていて、
映像のフェイドアウトとともに、
その音も遠くへと立ち去って行った。
「ありがとう」と言って
紗英さんの手にスマホとイヤホンを返すと、
食べ掛けのプラウンミーを勢いよく啜った。
その後吉岡さんも
紗英さんから動画を見せてもらっていた。
視聴中も動画に向って
絶えずツッコミを入れている様子を見て
彼らしいと思った。
映像を全て見終えると、
紗英さんにスマホを渡しつつこういった。
「これ、パロってるんとちゃうかなあ」
紗英さんは一瞬動作を止め
「パロるって何を?」と
少し上擦った声で彼に尋ねた。
吉岡さんは皿の上に残ったガパオヌーアを
スプーンでつつきながら
「うん」と落ち着いた調子で頷くと、
皿から一口掬って口に運んだ。
それを飲み込むか飲み込まないうちに、
次の言葉を話し出す。
「その動画の中で
じいさんらがやってたのは、明らかに
ピールの初期のころの音楽やん?」
そう言い終えて一口、
さらにもう一口と
立て続けにスプーンを口へと運ぶ。
「パロディって一種の
風刺技法でもあったりするやん。
ピールが出した今回の動画は
所謂自虐ネタなんやと思うねん。
あいつらの原点とも言えるロマ音楽を
歳いったじいさんらが
道端で演奏してる。
あいつらの未来にも見えへんか?
そうやとしたら、
歳とってからようやく自分らの音楽を
演奏してる映像ともとれる。
なんでもかんでも
路線を作ってしまうんは
縛りにもなりかねんから
良し悪しあると思うけど、
あいつらの路線って
ロマやったんじゃない?
本来やるべき路線を
今やれてない自分達に対する
戒めの動画。
自分らの音楽を
じじいになってからやったって
時既に遅しやぞって
言うてるみたいじゃない?
ロマ音楽なんて
いつでもやれると思ってたけど、
そうじゃなかったねん。
老後の楽しみに
とっとくような音楽なんてないねん。
今しかないねん。
あとでもできる音楽なんて、
音楽ちゃうねん。
あいつらがほんまに今やりたいのは、
テクノでもダンスでも
ないんとちゃうか?
俺にはどうしてもあいつらが出す
エレクトリック系の音に
違和感があるから、
そう捉えてしまうだけなんかも
わからんけどや。
勿論あいつらのルーツを知らんからって
あいつらのファンとして
深度が浅いとも言い切れんし、
浅いとか深いの尺度語ること自体
ダサさしかないけど。けどやで。
動画に出てたあの呆けたばあさんは、
昔のピールを知らん
今のファンの代表として
じいさんらの演奏をぼけーっと
聞いてたんとちゃうかな。
俺にはそう見えたねん。
ファンのことを
貶(けな)してるつもりなんて
ピールにはもちろんないやろうけど、
技術力のあるあいつらは
流行りをキャッチして
先手打った商業音楽を
バンバン作れてしまうから
作って来たものの、
それにばっかり群がる客に
味気無さを感じてるんかもしれんで」
ガパオヌーアをたんたんと平らげながらも
そう言い終えると、
皿中からかき集めた
最後の一口にかぶりついた。
確かに吉岡さんの言うような見解も
できるのだろう。
その動画には"inner world"という
タイトルまで付けられているのだ。
内的世界は十人居れば
十通りの世界が生まれる。
色んな見え方があって当然なのだろう。
その見え方が合っているだとか
間違っているだとかの判断を
下したがるのは
善悪やら常識やらを携えて
正義ぶる人間だけだ。
ほんのすぐ隣にいる紗英さんや
吉岡さんのインナーワールドですら、
勝手な推測はできても
真実を目にするこはできない。
結局真実も十人居れば十通り生まれる。
無論、こんな考え方も
僕が勝手にしているだけのことだが。
詰まらない、出口のない、
くだらない講釈を垂れているだけ
のように見えるコメント群が、
この動画に何百と
付け加えられていくことすら、
とっくにピールは
高らかと承認しているのだ。
「楽しそうに笑ってたけどね、
おじいちゃんたち。
それからおばあちゃんも」
手前に広がる料理を
すでに平らげてしまったらしい紗英さんは、
左手に持ったグラスを見詰めながら
穏やかに呟いた。
傾けたグラスの底で、
氷がカランと音を立てる。
彼女はグラスから視線を外すと、
今度は店内に目を配った。
その視線は、
ちょうど中央のテーブルで
先程から食事をしている
ワイシャツ姿の男性へと
注がれているようだ。
どこか遠い目をしている彼女には、
彼を見るという意図が
特別あるわけではないのだろう。
僕もつられて彼の方に目を向ける。
彼の目前には
空になった皿や器がいくつも並んでいた。
相変わらず柔和な笑みを湛えている。
まだ何か食べるつもりなのか
彼はメニューを手に取り吟味し始めた。
ページを捲(めく)る細長い指先に
釘付けになる。
ワイシャツ姿の彼が
駅舎かどこかのストリートピアノを
端正に演奏している風景を
連想しかけていたその時、
急に紗英さんが
耿々(こうこう)とした表情で
僕の方を振り返った。
見開かれた聡慧(そうけい)な目が
解放感のある笑みとともに僕を圧する。
何かを見澄まされたような
居心地の悪さを感じながらも、
僕の頬は反射的に
彼女の笑みを真似ていた。
僕に向って彼女が
何か言おうとしたのだが、
それは顎髭の男性によって
遮られてしまった。
「いらっしゃい。今日は仕事帰り?」
その顎髭の彼は
僕らの顔を見渡したあと、
吉岡さんに向ってこう聞いた。
「おお。さっきまで
ビオンホール前におったんやけど、
デネブしか思いつかんかったから
結局こっちまで出てきてもたわ」
吉岡さんはそう言いながら
嬉しそうに彼を見上げる。
この店のマスターであるらしい彼は、
呆れたように優しく笑いながら、
紗英さんのほうへ視線を預けると、
素直に来たかったから来たって言えよな
と、彼女の耳元で呟いて小芝居をした。
紗英さんもノリを合わせて頷きながら、
揶揄するような眼つきで
吉岡さんを見遣っている。
「ゆっくりしてってね」
マスターはそう言って
何故か僕にだけ笑いかけたあと、
テーブル上の空いた皿を片づけて
キッチンへと戻っていった。
食事がひと段落した後も、
僕らの時間はなんとは無い会話に紛れて
おもむろに過ぎて行った。
来週から始まる会社での
手直し作業の段取りの話題になって、
品管ではない僕は専ら聞き役に回った。
さっき紗英さんが
僕に何か言いかけていたことを
気に留めたままではあったが、
彼女自身は
忘れてしまっているようでもあったので、
たいした話ではなかったのだろうと
結論付けることにした。
こうした些細な
タイミングのズレに出くわすたびに、
時間の経過には抗えない正常な自分が
今ここにいることを再認識する。
それと同時に、
蛹が幼虫に戻ってしまうといったような
僕特有の観察バグを思い返しては
今の自分とそういうときの自分は
何が違うのだろうと、
この場には似気無(にげな)いことを
黙思(もくし)していた。
「そろそろ行こか」
宴のたけなわも過ぎたころに
吉岡さんのひと声で
ようやくその日はお開きとなった。
僕らも支払おうと準備していると
「ええから先出といて」と
制するように言った。
外に出ると、
昼間の熱気を引き摺った夜風が
じれったく肌に纏(まと)わりついた。
道路を挟んだ店の向かい側には
タワーマンションが建っていて、
ガラス張りのエントランスは、
中の照明が筒抜けで煌々と輝いて見えた。
その奥から男性がひとり
颯爽と歩いてくる姿が見えた。
左手には白い布で覆われた
キャンバスのようなものを抱えている。
道路脇に停まった黒い車の
後部座席に乗り込むと、
車は東に見える大通りのほうへ
向かっていった。
何をしている人なのだろう。
僕と同年代ぐらいに見えた。
遠ざかるテールランプを
ぼんやり眺めていると、
僕の背後で店の扉が開く音がして、
思わず振り返る。
出て来たのは吉岡さんだった。
僕らは彼に向って礼を言うと、
「そんなんええねん」と
視線を逸らしたままぼそりと呟いた。
紗英さんはそんな吉岡さんを見て
小さく笑っていた。
吉岡さんは紗英さんと僕を
家まで送るつもりだったが、
紗英さんは運動がてら
歩いて帰ると言うので、
僕も彼女に付き合うことにした。
紗英さんが別れ際に吉岡さんに向って
「ヨッシーへのお土産、
後部座席に置いてるから受け取ってね」
と言うと、吉岡さんの曇った顔は
一瞬で解消された。
彼と別れた後、
「お土産なんて買ってあげてたんだね」と
紗英さんに訊くと、
「ううん。渡し損ねた塩パンだよ」と
さらりと答えた。
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