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12月7日の考えごと

BUFFALO PRESS PHOTO EXHIBITION 2024

BUFFALO PRESSの展示に行ってきた。
私が行ったのは12月7日夜、スナックルーニィとアーティストトークで大盛況の頃。

アーティストトークの中で聞いた、土佐さんの写真集作りについての言葉が印象に残っている。起承転結の流れの意識とか、何度も推敲を重ねることとか、自分が記事作成でやっていることと重なる部分があった。

作品とは異なるけど、聞いた中で個人的に反芻している言葉は「普通に大学に入って」という経歴の説明。ああ、大学に入るのって普通なんだって、普通に入れるって羨ましいなって卑屈な自分が垣間見えた。

地方の話がよく出てきた。
地方の定義は、東京からの距離ではない。

盛岡のイエローハットの話も印象的だった。私は地方で出会った人や、素敵なサービスを提供してくれたお店に手紙を書くことがある。今日「これが地方!」っていうのを聞いて、私がやってることは地方なのかと思った。地方が動詞みたいな表現だ。
盛岡は夫がちょうどいま行っているところで、私も秋に滞在したばかりで、話を聞いているとまた行きたくなった。

聞いていて思い出したこと。地域おこし協力隊は居住地よりも地方には行けないらしい。地方の程度に基準が設けられていると聞いてから、私はその基準を地方指数と勝手に呼んでいる。

例のごとく一人で行き、今回は声をかけてくださった方と少し話をした。その方が初めて買ったカメラはEOS kissで、初めて買ったキット以外のレンズはSIGMAの50mm Artだと教えてくださり、SIGMAの社員でもないのに嬉しくなった。

お開き前の集合写真撮影

考えごと

帰り道にふと考えた。

フォトブックマルシェがきっかけで今日ルーニィに来たんだなあ。フォトブックマルシェを知ったのは、パープルで赤々舎の人に教えてもらったからだ。パープルにに行ったのは10p10fp展の人に教えてもらったからで、そもそも私はfpを持っていて、fpは社用カメラとして出会って、

英語が苦手なため脳内ではカタカナ表記が増える

この続きをまとめてみた。

1.Roonee 247 Fine Arts

Roonee 247 Fine Artsで展示を見てきた。3回目の訪問。
​BUFFALO PRESSの土佐さんのInstagramで、展示をやっていることとアーティストトークが開催されることを知って行ってきた。

​2.BUFFALO PRESSの土佐さん

BUFFALO PRESSの土佐さんは、T3 PHOTOBOOK MARCHEでお見かけして、なんとなく惹かれてその後Instagramをフォローしていた。

3.T3 PHOTOBOOK MARCHE 2024

T3 PHOTOBOOK MARCHE 2024は、今年の9月に京都のPURPLEへ行った時、お店の方に教えていただいて知った。

4.PURPLE

PURPLEは、大阪滞在が決まった際に10p10fp展2024でご一緒した作家の方に「関西で行くべきギャラリー」を聞いて教えていただいて知った。

5.10p10fp展2024

10p10fp2024は、SIGMAのfpというカメラを持っていることがきっかけでお誘いいただいた。

6.fp

fpは、一時期手伝っていた友人の会社の社用カメラだった。
気に入って私用で購入した。

7.友人の会社

友人の会社には、noteを書いていたことがきっかけで声をかけていただいた。

8.友人

友人とは、別の友人(以下、水色さん)を介して千葉の御宿というところで知り合った。水色さんからその日の朝に「今日千葉に行きませんか」と電話がきたのがきっかけだった。

9.水色さん

水色さんと初めて会ったのは高校時代。校外サークルみたいなとことで見かけた水色さんを一方的に覚えていて、6年前にに彼の個展へ行ったところから友人関係が始まった。

10.校外サークル

校外サークルは高校の図書館に置いてあったフリーペーパーで見つけた。

11.高校の図書室

高校の図書室は好きだった。すごく好きというか居場所だった。

12.高校

勉強が苦手なくせに勉強を頑張って入った高校では、落ちこぼれだった。
教室に入れない時期があったり、単位落としたりした。
かといって家にいたい訳でもなくて図書室によくいた。

13.中学生の頃に見た高校の文化祭

活発だった中学生の頃は、平日も土日も忙しく過ごしていた。
そんな調子で高校の文化祭に遊びに行った時、この高校に入りたいと思い、そこからすごく頑張った。

14.中学校

中学校は、制服が可愛い学校だった。
風紀は乱れていたけど、一定の距離がある人間関係を作るのに成功して心地よく過ごしていた。成績は中の上で、部活も勉強も、数年先の未来を考えることも楽しいと思えた。

15.小学校

小学校の女子児童同士の人間関係がとにかく面倒だった。そんな環境に疲弊していた頃、母が越境就学を提案してくれて、家から少し離れた公立中学校を選んだ。

逃げてよかった

ちょっとしたお出かけから学校や会社まで、色んな選択を経て昨日に辿り着いたんだなあと思った。ここ最近の選択は「良いカメラを持つ」「面白そうな場所に行く」とか楽しいことが多いけど、最初にした選択は逃げることだった。

10代の頃は、家や学校から逃げてばかりだった。
いまに辿り着けて良かったし、あの時逃げてよかった。

2013年12月

高3の頃の机の写真が出てきた。
作業をするときに机がすごく散らかるのはいまも同じ。
京都芸術大学のMYMYMYは何回も読んだなあ。

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