case-12- 入浴拒否と向き合う 〜その2〜
case-12- 入浴拒否と向き合う 〜その2〜
※スタッフ、関わった方の名前は全て私が便宜上適当につけた仮名ですので、ご安心ください。
入浴拒否どころか、帰宅まで1歩も動かない麻木さんをトイレ誘導するのも難儀だった。まず、パットの交換をさせてくれない。着替えなんてさせる日には爪で腕を引き裂き、しまいには噛み付いてくるのだ。
だが、それは認知症云々の話ではなく、単純に羞恥心とプライドが高いということで、※ここから先の話は是非とも気をつけてもらいたい。
校長先生、公務員、警察官、自衛隊、政府関係者、看護師、学者、銀行員、パイロットという、仕事に対するプライドの高い人ほどめんどくさい認知症に「なりやすい」です。
これは現実的に統計が取れているので、今から頑張りましょう(どうやって??)
さて、話戻り麻木さん。まずはトイレに行くと100パーセントズボンまで汚れているので、それを着替えさせることが大変だった。
「失禁した」と脳では理解しているが、恥ずかしいので絶対に「汚れてないわよ!」と怒る。
怒った時は大体本人が理解しているサインなので、そこには触れず、わたしの関わりはいつも同じ。
ただ、いきなり初見の人間が彼女を椅子から立たせるのは不可能。原さんというおばちゃんスタッフ以外、ケアマネージャーですら無理なのだ。
とりあえず、まずは相手を知らないと近づけない。なのでわたしは彼女の情報収集からスタートした。
彼女は、編み物と、お花と、料理と相撲が大好きな人だった。わたしは彼女との信頼関係を樹立すべく、全く興味のない相撲を覚えた。
──とはいえ、全部を覚えた訳では無い。彼女が好きなのは「日本人」の昔の横綱であり、高次脳機能障害があるので、新しい相撲取りの名前を羅列しても知らない。
なので、彼女の動かない左手をリハビリの先生のように突然参上し、ひたすらマッサージしつつ相撲の話をするのだ。
朝一番から私が唯一知っている若貴ブームのお相撲、当時賑わせた白鵬は強いが彼女にとってはタブーのひとつ。曙さん、小錦さんはOK。モンゴルが完全にダメ、なんとも難しいさじ加減。朝青龍の名前を出すとあの鋭い眼光で睨みつけられる。
しかしだ、わたしは「千代の富士」が好き(同郷)なので、千代の富士の名前で勝負した。そしたら意外と乗っかってくれて、彼女もポツポツと好きな相撲取りの話をしてくれるようになった!
さて、相撲の話で終わるわけにいかない。私の任務は、彼女をまず朝一番のお風呂に入れること!
もしもそれが無理でもとりあえず失禁したリハビリパンツを変えることだ。
スタッフの原さん(彼女と信頼関係ばっちりのスタッフ)が居てくれる時は問答無用というよりも、麻木さんもニコニコ笑顔でついていくのだが、基本原さんは夜勤が多く、訪問介護に行くので日中不在の事が多い。
そうなると、彼女を風呂に入れるミッションはよく分からない派遣看護師(ここに頼るとブラック企業であることがバレるので頼めない)か、わたし、ケアマネージャー、所長(男性なのでむり)、美人の山ガール相談員、お風呂も担当するサバサバ系美人のおばちゃんのいずれかになる。
派遣看護師はフロア見守りと血圧を図るだけというとっても楽ちんな仕事しかさせていないので、わたしが風呂担当であることが多い。
厄介なことに、麻木さんは毎日いる。一応インシュリン注射があるので毎日夕方には帰るのだが、ズボンまで失禁しても変えることが困難で、家では何とか入浴しているが、娘さんの介護負担を減らすべく、こちらで毎日風呂に入れて欲しいとオーダーが来たのだ。
これは、偉い人に言いたい。
あのさ、受けるのは簡単なんですよ。大変ですよね、ではこちらで対応致しますって。
偉い人はニコニコ契約書を出してそうかわすでしょう。でもね、実際に引き裂かれても噛みつかれても介助するのはこちら下々の人間なんですよ。
ここは今まで辞めていったスタッフのことなんて誰も見向きもしない。そいつのスキルが足りないからそうされたんでしょ?と嘲笑われる。わたしの前に辞めたクォーターの看護師なんて、「ゴミ捨てしか脳のない使えないやつなんていらねぇんだよ」と吐き捨てるように山ガールの相談員に言われてた。使えないくせにあいつは給料泥棒とか。
ブラック企業だと辞めた人たちが掲示板で吠えても揉み消される。そんなのが日常茶飯事です。
わたしは看護師である事に誇りを持っている。
噛みつかれて速攻で辞めた看護師さんの想いも背負い、絶対にこのくそケアマネとむかつく相談員をギャフンと言わせてやる‼️
ただそれだけの気持ちで、麻木さんに関わった。必ずわたしがあなたをお風呂に入れる。絶対に!
最初の頃は誰も成功しない事例を、一介の看護師が成功させた!という功績が欲しかった。
原さんのように、おばちゃんで世間話から信頼関係を樹立したわけではなく、口下手で訛りも酷くてトークも下手、それでも、相手の趣味とあの固まった左手(私も骨折しているので同じ感覚)をどうにかしたかった。
まずは朝イチでくる麻木さんの隣に挨拶して座る。大体というか、確実に無視される笑。
そんで、リハビリの人のように、手をマッサージ開始。人に触られるだけで嫌がられるかと思いますが、「麻木さん、左手固まって動かしにくいので、リハビリしますね〜」と言ってひたすら揉む。
気持ちいいのか、若干おとなしくなる麻木さん。この間もわたしはお風呂までの60mをどう攻略すべきか会話を考える。
短期記憶がない事が幸いで、実はアルツハイマーの方は顔の記銘力は抜群に高いのだが、会話したことは覚えていない。気をつけないといけないのが、『あの顔はなんだか知らないけどわたしに嫌なことをする人間だ!』と思われない対応をすること。
別に毎日同じ会話を繰り返したところで、彼女はその会話自体は全く覚えていない。ただし顔は覚える。認知症との関わりで絶対に気をつけないといけないのがここだ。
もう一度書きます。
顔は覚えられるので、一度でも誤解されたり、嫌な記憶を植え付けるとその人との信頼関係の樹立は相当難しい。
ただし、加点方式でもあるので、嫌な記憶は一生覚えられるものの、毎日とにかく根気づよく、その人にとって良い記憶を植え付けることで上塗りできる。
ここでもう一つ問題なのが、『毎日』やること。一度でも間隔を置くとその人はまた『あいつは嫌なやつだ』という負の記憶に引っ張られるのでまたゼロに戻ってしまう。
私はこのマッサージの間、彼女が全く興味を持たない天気の話をしつつ、おしゃれな彼女のお洋服について触れた。元々花が好きな彼女は薔薇の刺繍が入ったおしゃれな服を好んできていた。
「麻木さん、この薔薇の服すごい綺麗ですね」
細身の麻木さんは何を着ても似合う。それは良いのだが、このお高そうなお洋服をこれから攻略しなくてはならない。せめて、脱ぎ着しやすい服で来て欲しい…という悲しい叫びは通じない。
「別に、これしか持ってないから着てるんです!」
一瞬だけお花の話をするとほんの一瞬だけ表情が変わるのだが、根強いアルツハイマーと性格が激変した彼女は上のように語尾強めに睨みつけて怒鳴る。初見の看護師は大体麻木さんの声に怯えて二度と来なくなる。リピーター看護師が欲しい小規模多機能としては切実な問題だった。
服の話題はNGだったかあ…じゃあ、もう仕方ない。強行でいこう。
ここから実践した入浴拒否の関わりについて進みます。
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