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おばあちゃんの隣の家のおばちゃん
おばあちゃん(91歳)の隣の家に住んでいて、毎日おばあちゃんの家にお茶を飲みに来ているおばちゃん(70代後半くらい)=とし子さんがわたしは大好きだ。
先日、1/5(日)の午後におばあちゃん家に行ったときも「朝からさっき(昼12時)まで、とし子さんが来てたわ〜」とおばあちゃんは言っていた。
しばらくおばあちゃんと話していると、玄関が開き「いも汁つくったよ〜」と、とし子さんがやってきた。笑
1日のうちに、2回目の訪問だ。笑
おばあちゃんには、仲良しのとし子さんがいてよかったなと思う。本当に仲良しで微笑ましい。
せっかくなので、1時間半くらいわたしも一緒にとし子さんとお茶を飲んだ。
おばあちゃんが煮た筍と、福田屋のパイ饅頭を食べながら。
とし子さんは、おばあちゃんと一緒になって、昔の話をたくさん聞かせてくれた。
「あなたのおじいちゃんは、勉強熱心で、雄弁で、字がキレイで、顔も男前で、おばちゃん惚れてたんよ〜」と、随分前に亡くなったわたしのおじいちゃんについての話をたくさん聞かせてくれた。
わたしのおじいちゃんは、わたしが小学生くらいの頃から入退院を繰り返していて、中学生のときに亡くなっているので、残念ながら会話などがほとんど記憶にない。
でも、とし子さんが絶賛していた。
おじいちゃんは車の免許を持っていなかったので、毎日バスで県庁まで通い、帰ってからその日のうちに、バスの中で会った人に会話の内容と健康を気遣う言葉をハガキに書いて必ず送っていたという。キレイな字で。
とし子さんは、うちのおばあちゃんよりまだ若いけれど、最近は物忘れがひどいと言われていた。
おばあちゃんはとし子さんに、「思い出せないのは悪いことじゃない。思い出そうとしている今も頭を使っているんだから、いいことをしているよ。だからこれからも、たくさん話そう。^^」と。
とし子さんは、「おばあちゃん良いこと言うよね〜」と、ちょっと照れくさそうに言っていた。
でも、おじいちゃんの話や、おばあちゃんと共通の友人の話をちゃんとしていた。名前もエピソードも出てきていたし、繰り返し同じ話をするようなこともなかった。
とし子さんは何回もわたしの顔を見て、「かわいいねぇ〜」と言ってくれた。
いつまでもやさしい、そんな調子でとし子さんは隣の家に帰って行った。
とし子さんが帰ってから「全然とし子さんボケてないじゃん!^ ^」と、おばあちゃんに伝えた。夜ご飯にはまだまだ早い中途半端な時間だったけど、とし子さんが作って持ってきてくれた「いも汁」にご飯を入れて食べた。とてもおいしかった。おいしかった。
わたしも家に帰り、お父さんに「とし子さんがよろしく伝えといてって言ってたよ」と伝言した。お父さんも幼少期からとし子さんを知っている。そんな仲だ。
と、ここまでを書き留めておくはずだった。
今日、仕事から帰るとお父さんから「とし子さんが亡くなったって・・」と聞かされた。
突然の出来事だった。
数日前に話したばかりなのに、いも汁おいしかったってまだ直接伝えてないのに。来年は、とし子さんも誘って干し柿作りたかったのに。
いい人だったな〜。やさしかったな〜。いも汁おいしかったな〜。
悲しくて涙が止まらないけど、とし子さんのおおらかでやさしい人柄や、熱心な仕事ぶりや、おしゃれなパーマやシミやシワがないキレイなお肌を、わたしもおばあちゃんもお父さんもみんな知ってるから、いつだって忘れないし、いつまでも大好き。
おじいちゃんが亡くなってから15年以上もみんなの会話に登場するように。その度に、あたたかくやさしい気持ちになるように。
おばあちゃん家と、とし子さんの家は隣同士だが、もともとは、おばあちゃんととし子さんのお母さんが仲が良かったと聞いている。以前に住んでいた賃貸の家が近く知り合い、仲が良すぎて隣同士に土地を買って家を建てたとのことだ。すごすぎる。おばあちゃんの部屋と、とし子さんのお母さんの部屋は、お互いが襖を開けると顔が見える小窓のついたこだわりの設計である。家の中にいても挨拶できるのだ。すごすぎる。生涯、こんなに仲良くなれる人に出会えたおばあちゃんは幸せ者だ。とし子さん家族には大変お世話になりました。
今年は節分の日に、おばあちゃんの大好物のうなぎが入った恵方巻きをサプライズで予約した。そんな日に聞かされた訃報だった。
早く恵方巻き一緒に食べたいな。とし子さんのやさしい話をしながら。
いつかわたしがボケてしまっても、とし子さんが教えてくれたおじいちゃんの話はここに書いてあるので大丈夫です。
とし子さんへ、心からありがとう。
後悔とかはないけれど、もうお話できないと思うとやっぱり寂しい。