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「光る君へ」が無理だった俺に送る本②

 ともかく無理だった!!!!!!!!

 で、大事な「本」をすっかり忘れていた。

源氏物語。

 紫式部が書いていた物語。
 男女のドロドロものと侮る意見が目立って私は本当に悲しいのだが、この話は「すべてに恵まれた一人の人間(光源氏)が、たった一つ欠けていたものがある(母親の愛情)なか、それを求めて罪を犯し、罰を受け、苦しみ、死んでいく。その子孫たち、特に光源氏の『罰』の象徴であった薫はもともと仏法に通じていて光源氏の罪を救済できるかと思いきや、同じ道をあゆみかけてしまう。けれども、恋人の浮舟が強制的に薫と離れたことで薫に救済の道が用意される」という解釈ができる、凄まじく仏教的で哲学的な話。
 本文に触れてみると、光源氏が一般に喧伝されている性格よりはるかに翳がある性格で、罪の意識もあれば、(女三宮の裏切りという)罰を受けたときの彼が可哀想すぎるのが衝撃的。
 一条天皇、藤原公任、藤原道長を含めた男性陣が「いい話だね!」と思っていたのは男女の愛憎ものだからではなく、漢籍の文脈も理解した上で物語に援用されている上、「では『自分はどう生きていけばいいのか』『救いはどこに用意されているのか』」という仏教的で哲学的な要素を含んでいたからではないかと勝手に思っている。最新の学説ではどうなってるんです?
 苦言だが、製作陣や演者は源氏物語をどう読んだのだろう。ただの不倫肯定ものに勘違いしているような気がする。少なくとも源氏のスタンスで言えば、主人公は痛烈な報いを受けなければいけない。藤壺の宮も、「優しい夫と愛してくる義理の息子」の間で血を吐きそうなほど苦しみ続け、朧月夜の君も「女御として入内できない」という物理的報いだけではなく「優しい帝と激しい源氏」のあいだで身を切るようになやみ、薫と匂宮との恋に苦しんだ浮舟は苦しみ抜いて自殺を選ぶまでになった。
 経験したことを物語に書くスタンスなら、主人公は愛していた存在(例えば娘)に痛切に裏切られるか、優しい夫と愛してくる道長の間で血を吐く思いをしなければいけない。心理的にも物理的にも制裁を受けなければならない。入水未遂してもよかった。それがなかった。私にはドラマの主人公が「人の心の闇が好き」という厨二仕草をとるだけで、源氏物語に出てくる女君たちのように人生に向き合い真に悩んでいるようには見えなかった。

和泉式部日記。

 和泉式部が書いていた日記。
 彼女が恋人(敦道親王、三条天皇の弟)と過ごした日々を回想したものなのだけれど……
 美。ともかく美!!!!!!!!!!!! 美しいのだ……。本当に切なくて美しい。恋人が若くして夭折してしまうからこそ、美しい。

枕草子。

 清少納言が書いていた随筆。
 凄まじい言語感覚。凄まじい美意識。センスの良さ。
 そして過去の記憶。大事な人の宝石のような思い出。言葉と記憶の宝石箱。
 私はさまざまなことで自分を追い詰めている中宮定子に父の道隆が優しく明るく付き添っている姿が描かれてる段(何段だっけ……)が好きだけど、その心情描写の細やかさと上品さ。
 どんどんと不遇になっていく定子だけど、それでも明るく前向きに生きようとした彼女の輝き。枕草子を読んでいて思うのが、定子がいつも笑っているという印象なことだ(だから私の中で藤原定子は優等生で神経質なところもあるけど、基本的に前向きで笑顔の多い明るいタイプなのかなと思ってる)。
 一応大事な史料にもなっている。
 もっといえば、この枕草子に描かれなかった政治の厳しさ。こんなに明るくて笑顔ばかりの前向きな女性を、完膚なきまでに叩きのめす政治の残酷さ。その中でも燦然と輝く、定子と清少納言たち女房の笑顔。
 もう、最近枕草子読むと号泣なんだわ

栄花物語。

赤染衛門の書いたもの。

ごめん、断片的にしか読んでない!今度読むね!!!

蜻蛉日記。

藤原道綱母が書いたもの。

うん……いいよ……えへへ、ほんとうにいい。
ただ、全ては読みきっていないので今度読むね!

 今年の大河の主人公が、この日記について評していたことで「あ無理だな」となった。学説としてはあってると思うし私もそう思う。
 だけれど、源氏物語を書く人が、あんな情緒のない感想を述べるかと思ったから、もう感受性豊かなストーリーテラーだっただろう主人公を踏みにじられた気分がして嫌になったんだよなあ

更級日記。

菅原孝標女が書いたもの。

藤原道綱母は伯母で、憧れの存在は藤原行成の娘。憧れの物語は源氏物語。そんなふうに大好きであふれている「幸福な」子が、現実を見て、現実を受け入れていく・・・・・・つらい・・・・・・身につまされる・・・・・・
実は江國香織訳のが手元にあるんだけど、ちゃんと読めてはいない。読むぞ〜!

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