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幸せを思い出したので、会社やめてきました


会社を、辞めました。



殺伐とした毎日に流され、自分の気持ちを置き去りにしていませんか。自分の幸せを、あとまわしにしていませんか?


ここに、なんの後ろ盾もないまま会社を辞めた奴がいます。「飛んだ」という表現が正しいのかもしれません。ろくに引き継ぎもせず、山盛りの仕事を残したまま、社会人としてあるまじき、チョー最低な辞め方をしてしまいました。



私ね、たんまりと洗濯物が溜まっても、毎日がコンビニ弁当になっても、ゴミ捨てに行けなくなっても、


大切な人にあたり散らかしても、大好きな人に連絡を返す余裕がなくても、会いたい人に会いにいけなくても、

仕事を優先して過ごしてきてしまいました。

全部、このままじゃダメだと”思っていたけど”無視して進んできてしまいました。


おかしいですよね。変ですよね。こんな生活、これっぽっちも望んでないのに。


これから書くことは私の話になるけれど、もしもあなたが燻っている毎日を過ごしているなら、あなたの幸せのために読んでほしいと思っています。



「会社を辞めました!幸せのために!」というような、うっすーい話はしたくない。だけど、「会社を辞めました!幸せのために!」という、そんな話になりそうです。

私たちは、誰のために、なんのために、

自分の時間を、命を、燃やしているのでしょうか。

上司に機嫌よく働いてもらうことも、土日を返上して働くことも、私たちの幸せに必要なことなのでしょうか。

あなたにとって幸せってなんですか。
どういう時に幸せを感じますか。
それは今の生活で叶えられていますか?
今の人生の延長上にそれは描けますか?



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ずっとずっと、やってみたかった仕事でした。内定をもらえた時は嬉しくて吐きそうだった。



だんだんと歯車が狂いはじめたのは、自分のキャパ以上の仕事を引き受けて、私が働きすぎてしまったことでした。


会社と働く人とお客様と。すべてを総合して合理性だけを考えたときに「私が犠牲になって任務を引き受ける」という形が、会社にとっていちばん都合がよかったのです。


謎の責任感で「やってやらぁ」とがむしゃらに働きました。アホみたいに働きました。「仕事が好きなんだね」と言われ「んなわけあるかい」と思いながら。


入社してほどなくして、毎日みどり色のうんちが出るようになりました。「牡蠣にでもあたったんかな〜」と思っていたけど、いま思うとただのストレスだったと思います。


「息が浅くてちゃんと呼吸ができていない」と言われた時も「あーそろそろヤバイかもなあ」と思いながら、鼻づまりの時に使うシュッとするスプレーでごまかしました。(無理だろ、オイ。


なかなかハードな毎日でした。でも立ち止まったら試合終了。いま自分の立たされている危機的な状況に気付いてしまったらアウト。会社からの理不尽も、自分の体からのSOSも、ちゃんと意識して意図して見ないふりをしました。気付いたら全部崩れる。わかっていました。

「おかしい」「もう辞めとけ」

周りの人たちには散々言われてきました。ですが、あまり耳に入っていなかったように思います。「理不尽だよなぁ」と思うことは数百個ほどありましたが、会社のことも、上司のことも、信じていました。


そんな私がいよいよ退職を考えはじめたのは、この年末に特大ブーメランを喰らったことでした。


要約すると、上司が、私の頭がおかしくなったていにして、とある問題を解決させようとしたのです。今までの会社や上司の落ち度はすべてなかったかのような言いっぷりでまるめられて。

上司が下した、会社を守るための判断でした。

そうです、合理的ってやつです。

それが会社にとって一番合理的だったから。私が犠牲になれば済む話。そうなんですよ。いつもそうでしたから。

なにも言い返せず、黙って受け入れるしかありませんでした。

上司より経験の浅い私の脳ミソでは、いくら考えてもこれ以上に合理的な方法は見つかりませんでしたから。

「こんなに頑張ってきたのに」と思いました。だけど「こんなに頑張ってきたのに」って、自分に矢印が向いていることにも自分で腹が立ちました。でもやっぱり、「こんなにがんばってきたのに」って思っちゃいました。


夜の23時。家の駐車場について、まっくらな車の中でさめざめと泣きました。



すぐに退職を決断することはできませんでした。ずっとやりたかった仕事、お世話になった人たち、がんばってきた時間。毎月安定して振り込まれるお金、社会的な信用。

すべて投げ捨てるには惜しかったのです。


そんなずっしりと重たい気持ちを抱えたまま、頭にふよふよ浮かぶ『退職』の2文字を掴んでは手放しながら、年末の帰省をしました。


そこで、退職を決めることになった、辛い出来事が起こりました。






はたちの弟が、交通事故にあったのです。


田舎の山道でカーブを曲がりきれず、橋の下に落ちてしまって。不運なことに目撃者がおらず、弟が見つかったのは事故からまる2日たったあとでした。

運転席がもげてぐちゃぐちゃになった弟の車を見た時、その場にいる誰もが凍りつきました。たとえ生きていたとしても、現場は夜になるとマイナス10度になる場所。事故を起こした体で2日も耐えられるとは、到底思えませんでした。

そこにいた家族も、弟の友人も、救急隊員も。みんな諦めていたと思います。


だけど、弟は生きていました。

救急隊員も、担当医の先生も、誰もが信じがたい奇跡の生還でした。


打撲と血で固まりぐちゃぐちゃな顔面。川に放り出され濡れて凍った洋服。

痛みと寒さに耐えた弟の2日間を思うと、今でもいたたまれない気持ちになります。集中治療室でたくさんの管に繋がれた弟を思い出すと、ぐっとこみ上げるものがあります。

生きていてよかった。

ただただそう思うのです。

それ以上も以下もありません。生きていてよかった。ただそれだけなのです。



私たち家族は『死』を間近に感じ、「幸せ」とか「人生」とか、そういう漠然とした、でっかいテーマと向き合わざるを得なくなりました。

私の仕事の悩みなんて、上司からの理不尽なんて、なんていうかもう、そんなことはどうでもいいのです。


弟が生きているという事実に高揚し、弟を思って苦しくなり、幸せについて考える。


まだふわふわと夢の中にいるような、そんな毎日を過ごすこととなったのです。




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ちょっとだけ"幸せについて”の話をはさんでもいいですか。

よかったら「あなたにとっての幸せ」も考えながら読んでみてほしいです。めっちゃ大事なことだから!


私ね、「時間や場所にとらわれず自由に働きたい!」「自分を犠牲にせず働きたい!」と、フリーランスを志していた頃がありまして。

深掘ると、

時間や場所にとらわれず自由に働きたい

会いたい人に、会いたい時に会いに行きたい

自分を犠牲にせず働きたい

自分にも他人にも優しく出来る余裕がほしい


という思いがあってね。こういう状態でいれたら私は幸せだと思ったの。

でね、弟の事故のことで家族みんながソワソワしている状況を見て、


しばらく家族のもとにいたい
このままの仕事の状況ではあまりにも余裕がない。そんな状態では家族と向き合えない。優しくできない。


と、私自身が考えていることに気が付きまして。


やっぱり私の幸せは、
会いたい人に会いたい時に会いに行けること
自分にも他人にも優しくいれること

これが叶えられていないと幸せじゃないなと、改めて思ったんです。


このままじゃ朝から晩まで休日も返上して働きっぱなしだし、他人どころか自分のメンテナンスもできないほど疲弊してるし、常に何かに追われててカリカリしていて余裕もない。


ここの会社で働いていると、自分の幸せからは180度ちがう方向に進んでるなって。これって全然幸せじゃないよな、と思いました。


ここの会社で仕事を続ける延長上に、私の幸せはどう考えてもありませんでした。



あなたにとって幸せってなんですか。どういう時に幸せを感じますか?それは今の生活で叶えられてるのかな。今の人生の延長上にそれは描けてる?



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ずっと憧れていた仕事でした。ずっとずっとやりたかった仕事でした。なんだかんだ上司にも恵まれて、一緒に働く人たちにも恵まれて。新卒ぶりに希望で胸いっぱいにして入社した会社でした。

でも、もう無理でした。


なんだかもう、仕事に行けませんでした。


せめて綺麗に退職できたらよかったです。冒頭にも書いたけれど、私は「飛んだ」のかもしれません。



先日、会社から借りていたものと退職に必要な書類をすべて段ボールにぶちこんで、郵送してきました。

これで、すべて終わりにしました。

なんでこんなに汚い方法しか取れないんだろう、と自分に虚しくなりました。あと味が悪すぎて吐きそうです。


ろくに引き継ぎもできていません。会社にはやりかけたままの仕事が、やまもりてんこもりです。


「最低だな」と思いました。こんな形で辞めたのだから、もしかしたら一生の後悔になるかもしれません。

「そうするしかなかった」ともいえますが、そうしたのは自分です。

失敗は心に刻みながら、心の中でごめんなさいをして、過ごしていくしかないのだと思います。

(もしあなたがよく似た状況にいるなら。今後に活かせる以上の反省はしないでおこうね)


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弟が事故に遭ってから3週間ほど経ちました。奇跡の回復力で、毎日驚かされています。


けれど、右手と両足に麻痺があり上手に動かせません。右手はこれ以上は治りにくい、足に関してもどこまで回復するかわからない、と言われています。

だけど「絶対治す」と、毎日痛みに耐えながらリハビリをしています。陽気な弟です。気丈に振る舞って笑いますが、頬にはフロントガラスが入ったままで、笑うたびにキラキラ光ります。

そんな弟を見るたび考えさせられるのです。

五体満足で体を自由に動かせること
味覚があってご飯が美味しく食べられること
毎日あたたかい布団で眠れること
健康に、今、生きていること

それだけで、もう十分幸せなのだと。


もう二度とこんな経験はしたくない。


だけどこの経験は、生きていくうえでの指針となるようなことばかりで。私たち家族は、みなそれぞれが「幸せ」について「生き方」について、考えなおしていたように思います。



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私は、仕事は人生の一部であって、自分自身や大切な人を犠牲にしてまでするものではないと思っています。(わかっていたことなのに、無視して働き続けてしまったことは、私の愚かさだと思います)


これは究極の考え方かもしれませんが、明日、1ヶ月後、1年後、命が終わるとわかっているなら、私は仕事に行かないと思いました。


私がこの世を去るときに会いたいのは、都合よく振り回してくる上司じゃない。


いま目の前にいる家族、
LINEを返せないままになっている友人、
大切なあの人。


みんな、私が今の会社で働くことで、関係をあとまわしにしてきた人たちです。



やっぱり私は「会いたい人に会いたい時に会いに行きたい」ってそう思います。大切な人たちが困ったとき、どっぷりと腰をすえて支えられるような、そんな余裕のある人間でありたいです。


仕事は生活の一部です。働き方を選ぶことも会社を選ぶことも、幸せになるための手段。 



仕事をすることで幸せから遠ざかってはいけないのです。




退職してからは、フリーランスになるためにもう一度動きはじめました。既存の働き方では私の幸せは手に入らないと思ったから。


私は、億稼ぎたいわけじゃないし、大豪邸に住みたいわけでもない。


目の前にいる大切な人と、こたつでぬくぬく笑いあったり、一緒にごはんを食べて「おいしいね」って言いあったり。そんな幸せが叶えられる働き方をしたいのです。


あなたも、あなたの幸せをどうか諦めないでほしい。覚悟を決めたら、今この瞬間からでも、幸せの方向に進めるよ。



読んでくれてありがとう。




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◾️河北あおい

しゃかりきに働いて自分を見失い、保育業界の中で転職をくり返してきたアラサー。
自分を犠牲にしない働き方やライフスタイルを探すなかで、フリーランスや保育士以外の会社員を経験。
現在はフリーランスで個人向けのコーチングやカウンセリング(対話業)を仕事にしています✌️



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