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仕事が続かない自分は、幸せになる権利がないと思ってた



こんばんは、河北です。

元保育士のフリーランスコーチです。


今日は、「仕事から逃げても大丈夫」という話をしようかと。



過去の私は、
仕事を辞めることはいけないことで
逃げることは弱いことだと思っていました。


だけど逃げ続けた先に幸せを見つけることができて、今はぬくぬくと働いて穏やかに過ごせるようになりました。


「逃げた”から”幸せになった」という
私の経験を話していこうかと思います。


しばらく私の話が続きますが
お付き合いいただけると嬉しいです。



仕事から逃げ続けた人生だった




私はnoteなど発信の場では
「仕事」について話しており
おのずと保育士時代を思い返すことが多いです。

いろんな出来事を回想する中で、
いつも必ず思い出す出来事があります。



ーー


暗くて寒い、夕方6時。


子どもが帰り、
静まり返った古い園舎。


コンクリートの冷たい廊下を進み、階段をのぼってすぐの教室に、私は向かった。



そこは尊敬する先輩が
担任をする教室。


”退職するかしないか”




先輩に相談するためだった。


(退職をとめて欲しかったのか、退職の背中を押して欲しかったのか…。今となってはどんな気持ちだったか思い出せませんが、悩みに悩んで一人ではどうしようもなくなり相談をすることにしたのでした)



木の椅子に向かい合って腰掛け、
今の心境を話した。


ひととおり私の話を聞いて、
先輩が口を開く。



「また逃げるんですか、いい大人なのに」


「これからの仕事も、
そうやって嫌なことがあるたびに
逃げるんですか?」





人よりも多い転職回数。
私の逃げ腰の生き方。


先輩の言葉に
私の人生が集約されていた。



「そうですね、そうかもしれないですね」



震える声でそう答えて
教室をあとにした。



…あれ?人生詰んだんかなw
ウケるんやけどw



絵の具で汚れた保育着の袖で
涙を拭いながら自分の教室に帰った。



それから1ヶ月後。


退職した。



それからはフリーターとして過ごした。



定職に就くのが怖かったのだ。

いつでも逃げられるように、
誰にも迷惑をかけないように、

ぬるい毎日を過ごした。



定職についていない後ろめたさから

家族と会うことも
友人と遊ぶことも
恋愛をすることも

ぜんぶが億劫になった。


自分の今の状況を説明しても
肯定される気がしない。

私の人生を笑われる気もした。



かといって、真面目な私は
嘘をつく勇気もない。

なにかを聞かれ嘘でごまかさなければならないなら、会わずにいる方が楽だった。


そんな生活は
だんだんと私を苦しめた。


家族と堂々と会いたい
友人とも仕事の話がしたい
結婚だってしたい。


意を決して就職活動をはじめた。



また、逃げられない毎日がはじまるのだろうか・・・




求人サイトに登録しまくった。


登録したサイトから
電話とメールが鳴り止まない。


「仕事をしろ」と
追い詰められているようだった。


サイトのお兄さんと
電話越しに口論もした。


「転職はあなたの人生に関わるものです。
後悔してほしくないんです」

そう優しく伝えてくれていたのに

「私の人生を邪魔しないでください」と

理不尽にキレた。



どうすればいい?

どうすればいいの?

これからどうやって生きていけばいい?


あの時は
本当に絶望の淵に立たされていたと思う。




私が見えている選択肢は2つだった。


これからもフラフラと
孤独に生きていくか

心を殺して定職につくか。



「楽しく保育士ができるようになりました」



そんな時、
インスタから保育士さんの投稿が流れてきた。


「保育士が楽しければ、
私も逃げずに働くことができるのでは?」


そう思った。



彼女は、保育士をしながらコーチングを仕事にされているようだった。


コーチングなんて聞いたこともない。

そんなもの知らない。



ただ、
どうすれば楽しく保育ができるようになったか知りたかった。


どうすれば逃げすに働けるのか知りたかった。

藁にもすがる思いでセッションを申し込んだ。




彼女とのセッションを終えて思ったこと。


「私に保育士は無理だ」

そして


「コーチングを仕事にして生きていこう」



逃げ続けた保育士は、フリーランスのコーチになった



彼女との出会いが、コーチングとの出会い。

それから半年後、私はコーチとして動き始めた。


それからさらに2年後、
はじめて売り上げを立てることができた。



私のコーチングは決して安くない。


だけど「幸せになりたいから」と、
私との関わりを選んでくれる人と出会えた。


ここにくるまで長かった。

本当に長かった。


保育士をしていたほうがどんなに楽だろうと、そんなふうに思ったことも数えきれないほどあった。


だけど、逃げなくてよかった。


いや、違う。

逃げられなかったのだ。



私が逃げられなかったのは

「フリーランスになりたい!」からではなく「幸せになりたい!」という気持ちだったから。


私が幸せに生きるためには
フリーランスになることが必須だったのです。



保育士を続けることに自分の幸せを見出せていたら、私は保育士を頑張れたのかもしれません。


だけど頑張れなかったということは
きっとそういうことだったのだと思います。



逃げた先の幸せ


実は「フリーランスのコーチになりやす!」と言ってからも、やっぱり今は違うかも?と保育士に戻ったり会社員もしました。



だけどフリーランスに戻ってきた。


保育士も会社員もどこか違和感を感じるまま働いていたのですが、フリーランスになりたくて行動しているときは、一切違和感がありませんでした。



どんなに苦しくても辛くても「もうこんなの無理やん」と諦めそうになっても、違和感だけは一度も感じたことがありませんでした。



だからやっぱり、
そういうことなんだと思うのです。




先輩と話したあの園舎から逃げて、もう丸4年になります。


あの時は、
私の人生詰んだんだ
って本気で思ってました。



だけど全然詰んでなかった。


ふらふらとフリーターをしていた期間に
経験できたことも実はたくさんあって、

独立する過程では、
あたたかすぎる人たちと出会うことができて

絶対幸せになるやで!!!!!!
と思えるクライアントさんに出会えて。


あのとき逃げなかったら経験できなかったこと、出会えなかった人がいると思うと、時々ゾッとしてしまうのです。


今、この記事を読んでくださっているあなたとの出会いもそうです。

私が「逃げちゃダメだ!」と食いしばって頑張り続けていたら、出会えなかった。


あの時の私には想像できなかった未来です。


人生ってほんとわかんないし
ほんとおもしろい。


これから
もっともっとおもしろくなるんだろうなと
確信しています。




過去の私は「逃げるのは弱い人がすることだ」「逃げることはダメなんだ」と思っていました。


逃なければこれ以上人生の汚点が増えることもないし、自分が嫌いになることもないだろう、と。


だけどそうじゃなかった。


あの時逃げて、本当によかったと思っています。


ぴょーーーんとジャンプして知らない世界に飛んでみたら、そっちには違う人生があったのです。



想像もしていなかった幸せが手に入ったのです。



退職することは勇気がいることだと思います。


想像できないことは怖いですから。
私もその気持ちは痛いほど知っています。



だからひとつの事例として、
逃げた先に幸せを見つけたヤツがここにいるよ!
と伝えたくて、今日は記事を書きました。



読んでくださりありがとうございます。




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◾️河北あおい

元保育士のフリーランスコーチ。

保育士として人生捧げるも、働きすぎて自分を見失ったアラサー。
『保育士資格』だけを握りしめ、裸足のままフリーランスに。

ガリガリ働く保育士から、ゆるゆる暮らすコーチに。

「自分を犠牲にしない」がモットー🍵



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