ひとりの人として認めてくれた、先生の言葉
私は先生の言葉に影響されやすいたちなのか、大人になったいまでも心に残るものがいくつかある。その中でも大切なひとつが、小学校の音楽の先生の言葉だ。
小学6年生の時、合唱合奏クラブに入っていた。合唱の名はついていたが、歌を歌うことはほとんどなかった。毎回流行りのJ-Popなどの楽譜がパッと配られ、各々好きな楽器の位置につき、先生がシンセサイザーでイントロを弾き始め、思い思いに合奏する、というなんとも自由なクラブ。
うるさいことは言わない先生のスタンスが好きだった。木琴に鉄琴、オルガン、太鼓、、いろいろな音が重なり合って音楽になるのが楽しくて、楽器を取っ替え引っ替えしたり、伴奏パートを試してみたりした。
毎週活動の終わりには簡単な活動報告をノートに書いて提出、先生からは「見ました」ハンコが押されて返却された。学期末にはそのノートに長めの感想を書いて提出し、先生はコメントをつけて返してくれた。
ある学期末のこと。
自分がどんな感想文を書いたのかは、もう忘れてしまったのだけれど。
先生は、そうコメントをくださった。
小学生の私は、心底驚いた。まさか、子供のことを「見習いたい」と言う大人がいるなんて、思いもしなかったから。
当時の自分には努力している自覚や、できることを誇る気持ちはなかったのだけれど、それでも、先生が自分の行動を見ていてくれていたことが伝わってきて、とても嬉しかった。
すごいねと褒められるよりも、人として認められたように感じられて。
大人になった今でも、何か挫けそうになったら先生の言葉を思い出す。難しいこともたくさんあるけれど、できるまで努力する自分でいようと思い直す。あの時の先生の言葉はずっと、私の灯台であり続けてくれている。
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