本音のやりとり
noteの好きなところは、人の想いを知ることができるところだ。普段口にするのが恥ずかしかったり、意識高いと笑われてしまう(ように感じてしまう)ことをみんなが表現しているから、私もやってみようと思える。
先日、素敵な夢を聞いた。同年代の男性の、「こんな風に音楽をしたいんだ」という告白。青春だ!って、ワクワクした。生活が、とか、仕事が、とか、いくらでも言い訳できるような年代だけれど、それももちろん大事にしたいけれど、それでも音楽をしたい、っていう気持ち。彼は「普段はこんな話、誰にでもはできないんだけど。だって相手は受け止め方に困るでしょう?」と言いつつ、面と向かって会話するのは初めてに等しい私の前で、まっすぐな想いを話してくれたのが嬉しかった。本音に届いたみたいで。私はなにかを感じてるのに言葉にできなくて、いまだにもどかしいのだけれど。言葉じゃなくても、なにかが届いていればいいなぁと切に願う。
同時に、言葉が欲しいとも思う。解像度の高い言葉。純度の高い言葉。届けたい想いを届けられる言葉。言葉は偉大だ。心のうちを、誰かと分かち合うことができるから。本音はあたたかい。いつも力を、勇気をくれる。
きっと言葉は、言葉にしないと磨かれないものだ。相手の、そして自分の反応を感じて、洗練されていくもの。だから、口にするのが怖くても、恥ずかしくても、その恐れや羞恥も含めてオープンにして、本音のやりとりをしたい。
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