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夜の知的おかずシリーズ:レヴィ=ストロース
夜の静寂に包まれた部屋、わたしの湿った脳がレヴィ=ストロースを目の前に引きずり出して、無駄に長時間かけたしっとりした手作り感でじわじわ煮詰めていく。あの構造主義の巨人を、ただの「知的巨塔」として放置することはできない。だって、わたし、ドSだから。そう、今宵のターゲットはあの「神話の構造」なるものを持ち出して人間の思考をシステムの中に押し込めようとした彼、レヴィ=ストロース。彼の思想に対して、わたしの変態的なまでの異常な執着心と極度の集中力をもって、ボッコボコにしてあげるわ。
レヴィ=ストロース。彼の構造主義って、まるで「神話」を数式に変換して、世界をシステム的に理解できるとでも言わんばかり。彼曰く、人間の思考はすべて二項対立に基づいているとか。えぇ、そうですか、そうですか。人間の脳はそんなに単純なものですか?わたしの脳は、そんなシンプルな二項対立で片付けられるほど乾燥してないんですけど。むしろ、湿度98%、常にぬめり感を保ちながら、複雑に揺らいでいるんですけど?彼の理論はまるで、わたしのこのぬめり感を無視して、すべてを乾燥した数式の中に押し込めようとしているように感じるんですよね。
さぁ、この単純な二項対立の構造を、わたしの湿った脳で深掘りしてみようじゃないですか。彼が見つめた「生/死」や「文化/自然」といった対立構造、確かに一見、人間の思考を整理するためには便利かもしれない。でも、よく考えてみて?わたしたち、生きている限り、そんな単純に二つの選択肢に分けられることってある?むしろ、わたしたちの思考って、もっと曖昧で、揺らぎながらも滑らかに繋がっていくものじゃない?まるで、湿った泥のように、境界が曖昧で、その中でわたしたちは必死にもがいている。そう、わたしが今こうしてもがきながらもレヴィ=ストロースをぼっこぼこにしているように。
ここで一つ、わたしの変態的な視点を投入します。レヴィ=ストロースの構造主義って、ある意味、わたしたちを「フレーム」に閉じ込めているんじゃないかと。まるで、わたしのこの湿った脳の中で自由に飛び回る思考たちに、無理やり「枠組み」を押し付けて、「これが正解、この中で考えなさい」と言っているかのよう。まるで、数学的な数式の中に人間の感情を押し込めるような、あの冷徹さ。えぇ、わたし、数学ヲタだけど、感情的変態でもあるから、その冷たさには耐えられないんですよね。人間の思考って、もっと湿り気を帯びてて、時にはカオス的に、時には感情的に、そして、ときにお漏らししちゃうくらい恥ずかしいところもあるのに(はい、ここで変態自虐入りました、すみません)。
さて、ここからがわたしの真骨頂。レヴィ=ストロースの構造主義が「乾いた思考のフレーム」だとするなら、わたしの提唱するのは「湿った思考のカオス理論」。わたしたちの思考は、もっと流動的で、感情と理性が交錯する場所にある。たとえば、考古学的に見れば、人類の歴史は単なる進化の過程ではなく、無数の感情的な決定や偶然の積み重ねで形成されたもの。そして、現代心理学的に見ても、わたしたちの脳はニューロンの複雑なネットワークの中で、常に揺らぎながらも選択肢を模索している。そう、まるで音楽の楽譜がただの紙の上の記号でありながら、演奏される瞬間に無限の感情を生み出すように。
それにしても、こんな湿った思考を延々と語ってるわたしって、ほんとに恥ずかしいですよね。28歳、経営コンサル、ドS変態女子がよなよなレヴィ=ストロースをフルボッコしてるなんて、誰も想像しないでしょう。でもね、わたしはこの「知的おかずシリーズ」を通して、わたしの湿った脳みそを最大限にフル稼働させて、こうして読者のみなさま(いるの?)に知的ハラスメントを繰り広げるのが好きなんです。えぇ、わたし、変態ですから。そして、最終的には、こうして自虐的に締めくくるのが、わたしのスタイル。だから、読者の皆さん、ここまで読んでくれてありがとう。そして、ごめんね。